チハをなめるな!大日本帝国陸軍『97式中戦車』の真実







零戦、大和の様に華のある兵器が無いせいか大日本帝国陸軍は人気がありません。

歴史・軍事が好きな人の中でも大日本手国陸軍に興味を寄せる人は非常に少ないです。

そして、その中でも評判の悪いのが戦車でしょう。

 

それは歴史・時代小説の巨人であり、戦争中は戦車将校であった司馬遼太郎氏の発言も影響が大きかったかもしれません。

国民的作家となった司馬氏に「戦車・この憂鬱な乗り物」というエッセイでボロクソにけなされました。

攻撃力は大根を敵に投げる程度。

炭団が飛んでいくように砲弾が目で追えた。

世界最弱の戦車。

 

実際に体験した戦車将校の発言だっただけに、影響力も大きかったのでしょう。

しかし、本当に97式中戦車は弱小でどうしようもない戦車だったのでしょうか?

今回は、評判の悪い、チハ車・97式中戦車について考察してみます。

 

島国であるがゆえの制約

 

そもそも、大日本帝国陸軍は「軽い兵器」が大好きなのですね。大砲もそうです。軽い兵器は演習でも機敏に動かせ楽なのです。

そして、日本が島国あることも重要な要因になっています。陸軍が想定していた戦場は、中国から満州、ソ連(当時)に至る大陸です。

さて、そこに兵器を運びこまねば、そもそも兵器を使用することもできないのです。

まず、船に積まねばなりませんが、このクレーンの能力はせいぜい15トンです。それ以上の重さの兵器は非常に運用が厳しくなります。

大陸に上陸してからは列車による移動です。これも、制約の要因になります。

 

また、戦場を想定していた満州からソ連国境地帯は泥濘が多く、重い戦車の運用は厳しいです。

日本軍がドイツからタイガーなり重戦車を輸入したとしても、運用は厳しかったでしょう。

とにかく、兵器に限らず、全ての工業製品は運用環境が想定された上で作られます。

これが大前提にあります。97式中戦車も例外ではありません。

ちなみにチハ車の「チハ」とは中型(チュウガタ)の「チ」と「イロハニホヘト」の3番目「ハ」をくっつけたもので、中型戦車として3番目に開発したものです、という意味があります。

 

97式中戦車・チハの開発経緯

 

97式中戦車は日中戦争の前に開発が始まります。

最初は2種類の戦車が計画されました。

実際に運用されることになる97式中戦車より軽く、走行も薄く、機動力でも若干劣る戦車も計画されました。

大日本帝国はできるならば、安くて軽い戦車で済ませたかったのです。

しかし、日中戦争(シナ事変)が始まりますと、陸軍予算が膨れあがります。これによって、安い戦車ではなく、高価な戦車を持てるようになるわけです。

結果、97式中戦車が、大日本帝国陸軍の主力戦車となっていくわけです。

97式中戦車は、1938年から配備が始まります。

 

97式中戦車マレーの電撃戦

97式中戦車はノモンハンでは、ソ連軍に対し夜間奇襲攻撃を仕掛け成功します。

実は活躍していますが、消耗もしました。

この消耗を恐れた陸軍中央部の判断で、早々にノモンハンの戦場から去るのです。

これが、実際に戦った兵隊さんの間に「戦車は頼りない」という印象を与えたのは確かでしょう。

 

しかし、太平洋戦争がはじまり、97式中戦車は大活躍します。マレー戦線戦での侵攻作戦では、中核となって活躍します。

シンガポール攻略を目指す日本軍と、その地を支配していたイギリス軍との戦闘でした。

イギリス軍はユニバーサルキャリア程度の装甲車両があるだけで、戦車をもっていませんでした。

 

このイギリス軍が戦車を持っていなかったという点で、97式中戦車が活躍できたのは、ラッキーだったという指摘もあります。

しかし、イギリス軍には当時の対戦車砲としては十分な威力を持った2ポンド砲(40ミリ砲)が装備されていた事実が見逃されています。

97式中戦車はこの2ポンド砲の攻撃を受けています。当時のイギリス軍の主力戦車にも装備されていた砲です。

 

意外にも97式中戦車はこの砲の攻撃1発で戦闘力を失うということがなかったのです。意外に頑丈だったのです。

最大装甲25ミリは薄っぺらといわれますが、開発年を考えると、標準的な厚さです。

これ以上の厚さを持つ戦車もありましたが、そのような戦車は極端に走行速度遅かったりします。

97式中戦車の最大速度は時速38キロメートルです。これは、自動化(トラック輸送)された歩兵部隊にも追従出来る速度でした。

速度と防御力のバランスは当時の戦車としては水準以上だったのです。

 

しかも、ジーゼルエンジンを搭載しているため、火災に強いのです。

ガソリンエンジンは小型で高出力を出せますが、火に弱い部分があります。さらに、燃料となるガソリンは揮発性が高く、保管も難しい部分がありました。

その点、戦車の動力としては、ジーゼルエンジンは優れた面をもっていたのです。

 

確かに、出力に比べ大型になってしまうなどの欠点がありましたが、日本の燃料事情や、運用環境を考えると、正解に近い選択だったでしょう。

自動化され、高速で進軍する歩兵に随伴でき、敵の対戦車砲の一撃程度では戦力を失わない防御力をもった戦車。それが97式中戦車です。

 

マレー半島では、対戦車砲の放火をくぐり、イギリス軍を蹂躙していきます。ちなみに戦車で敵を轢くことを正式に「蹂躙」といっていました。

マレーでは島田戦車隊の夜間奇襲攻撃など、運用面でも世界では例のない活躍をします。

それを支えたのは、高い戦車兵の技術です。

当時走行しながらの射撃が実用レベルで行えたのは、大日本帝国陸軍の戦車くらいのものだったのです。

それも、軽量で肩に当てて、操作ができる57ミリ戦車砲を搭載したからです。

対戦車攻撃力は期待できませんが、機銃陣地を叩き潰す榴弾威力は大きな砲だったのです。

 

97式中戦車は弱小戦車なのか

 

しかし、98式中戦車は太平洋戦争序盤でも苦戦します。

まずはアメリカ軍のM3軽戦車です。

ヨーロッパ戦線では偵察任務くらいにしか使えなくなっていたM3軽戦車でしたが、この戦車に全く歯が立ちませんでした。

当たり前です。そもそも97式中戦車は「対戦車戦闘」など想定していないのです。

自動化された歩兵に追従できる速度と、敵陣陣地からの攻撃に耐える防御力、そして敵陣地を破壊できる榴弾威力を備えることを目的に造られた戦車です。

戦車との戦闘は「仕様外」の事態だったのです。

 

しかし、現実には戦車に対し、戦車で攻撃するというのが世界の潮流になっていました。

日本陸軍もそれを知らないわけではなかったのです。

 

フィリピンの苦戦を知ると、即47ミリ砲を搭載した97式中戦車を送り込みます。

この方は、口径は57ミリ砲よりも小さくなっていますが、高初速の徹甲弾を発射できました。

すでに、フィリピンでは日本軍が勝利を収めており、47ミリ砲搭載の97式中戦車と、M3軽戦車の戦闘はありませんでしたが、砲威力は、47ミリ砲の方が上であり、M3軽戦車の走行を真正面から貫通できることは、実験で確認されていました。

 

しかし、アメリカ軍はM4中戦車・シャーマンを投入してきます。

工業製品としての完成度という点では、第二次世界大戦でも最高水準の戦車です。

47ミリ砲を搭載した97式中戦車でも、M4中戦車・シャーマンに対抗するのは困難でした。

 

上手く隠れ、側面、後方を狙った至近射撃で何とか撃破できたというレベルであると、日本陸軍は感じていました。

しかしそれ以前に、戦車対戦車の戦いになる前に制空権を奪われ、そもそもそのような戦いにまで持ち込めないというのが、後半の日本軍の実情だったのです。

 

そして、M4中戦車・シャーマンに比べ97式中戦車の性能が低いのは確かなのです。

しかし、このふたつの戦車の間には、開発年次に4年の差があります。

日進月歩で兵器の技術革新が進んでいた1940年代に4年の差があったら、全く世代の違う兵器ということできます。

むしろ、開発年度の古い戦車を改造し、最終的には75ミリ砲搭載の三式戦車まで発展させることができたわけです。

同様の75ミリ砲を積んだ一式砲戦車が1945年のフィリピン戦線でM4中戦車相手に善戦しています。このことから、運用次第では十分に勝負できる戦車になっていたのではないかと思われます。

 

97式中戦車は司馬氏が言うような「世界最弱の戦車」ではなく、最初の仕様が違っていたこと。

そしてその仕様の変化にも改造である程度は対応できた、十分に優秀な兵器であったのです。

 

97式中戦車とはなんだったのか?

 

そもそも1930年代半ば、97式中戦車の開発が進んでいるときは、まだ戦車の用法も固まっていなかったと言っていい時代でした。

その中で、25ミリの装甲板と、燃えにくいジーゼルエンジンを搭載した生存性と、自動化した歩兵部隊に追従できる機動力を持つというコンセプトで造られた97式中戦車は、歩兵支援兵器としては、十分に成功した兵器でした。

 

97式中戦車以上の装甲をもった、イギリスの歩兵戦車は、鈍重すぎて、自動化された歩兵に追従できません。

更に、97式中戦車以上に高速を誇る戦車はありましたが、その装甲板は97式中戦車と同等かそれ以下だったのです。

そもそも1930年代半ばに設計された戦車が、1940年代の技術革新の進んだ時代の中で、改造され、最終段階では、運用によって敵を撃破可能な兵器であったという事実が凄く大きいと思います。

 

海軍の零式艦上戦闘機も同じです。

時代的にはほぼ同じ時期に設計され、太平洋戦争の主力兵器となり、改造され大日本帝国が敗れるまで戦い続けました。

 

97式中戦車の評価は低いです。

しかし、それは日本軍が戦車を十分に使えるような戦場で戦えなかった点もあるでしょうし、数をそろえることもできなかったこともあるでしょう。

とにかく、航空優先で、飛行機の生産が優先で、戦車など後回しだったのですから。

そして、それは、戦争の様相からしても、正しい選択だったのです。

制空権の無い戦場では、戦車は意味を持ちません。

97式中戦車は、そのコンセプト、その後の発展性などを考えると、決して他の国の戦車に劣らぬ兵器であったと言えるのではないでしょうか。










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