太平洋戦争末期、アメリカはなぜ日本に原爆を落としたのか?







太平洋戦争で日本は二発の原爆を落とされました。

1945年8月6日にウラン分裂タイプの「リトルボーイ」が広島市に、8月8日は長崎市にプルトニウム型の「ファットマン」が投下されたのです。

その後、原爆が実戦投入されることなく、現代まで続いています。

この二発が人類最後の核兵器の使用例になるのかどうかは、分かりません。しかし、最初であるという事実はこれからも覆らない歴史上の事実でしょう。

 

なぜ、太平洋戦争末期――

海上戦力が壊滅し、機雷封鎖などで、海上交通路が完全に寸断され、断末魔にあった大日本帝国にアメリカは、無慈悲の原子爆弾を投下したのでしょう?

一体その理由はなんであったのでしょうか?

今回は原爆投下について考察をしていきます。

 

マンハッタン計画の始まり

まず、アメリカの原爆開発計画・秘匿名「マンハッタン計画」に関しては大きな誤解があります。

あまりにも有名なアインシュタインという学者の存在です。

彼が物理学者レオ・シラードらの出した書簡に署名し、それが元で当時のアメリカ大統領であったルーズベルトが原爆の開発を決定したかのような記載のある本もあります。

それをもって、日本の政治家の科学技術理解に対する批判を展開しているのですが、それは事実に反しています。

 

マンハッタン計画は確かにナチス・ドイツの原爆開発計画に対抗するために開始したものです。

しかし、その開発は、先行していたイギリスの原爆開発資料を引きつぐ形で始まりました。

イギリスはナチス・ドイツの原爆開発を恐れていたのです。

その一方で、原爆開発には膨大な費用と時間もかかることもイギリスは理解していました。

イギリスは自力での開発を断念し、同盟国であったアメリカに研究資料を提供したのです。

そこから、マンハッタン計画はスタートします。

あくまでもその目的はナチス・ドイツ、それを率いるヒトラーへの対抗であったのです。

 

ナチス・ドイツの原爆の虚像

しかし、ナチス・ドイツの原爆開発はどうであったのでしょうか?

ナチス・ドイツには、ユダヤ人科学者を追放したとはいえ、ノーベル賞受賞クラスの科学者、多くの人材がまだ残っていました。

その能力の高さは連合国を非常に恐れさせていました。特に恐れられていたのがドイツブル理学界というより、世界を代表する物理学者・ハイゼンベルクの存在です。

 

もし、先にナチス・ドイツが原爆を開発したら、戦争の行方は全くわからないものになると、アメリカ政府中枢は危惧します。

しかし、ナチス・ドイツは早々に原爆開発を断念していたのです。

それは、短期決戦を狙うドイツにとってあまりにも開発に時間のかかりすぎる兵器であるとヒトラーが判断したからです。戦争に間に合わない兵器に投資する余裕はドイツにはありませんでした。

この判断は、おそらく正しかったでしょう。

 

それは、ナチス・ドイツが全力を挙げたとしても、マンハッタン計画に先んじて原爆を完成させることはできなかったと考えられるからです。

それほどまでに、原爆開発には、時間も金もかかるモノだったわけです。

マンハッタン計画の総費用は当時の金額で20億ドルを超えると言われています。当時のドイツや日本が開発に手を出せるような兵器ではありませんでした。

しかし、連合国は最後まで、ナチス・ドイツの原爆開発を恐れ、中性子を減速させる重水工場と思われるものを破壊したり、ドイツの科学者ハイゼンベルクの暗殺まで計画したりします。

しかし、ドイツが敗戦し、徹底的な調査が行わると、事実は明らかとなるのです。

そこには何もなかったのです。

ナチス・ドイツは原爆など作っていませんでした。

 

日本の原爆開発

 

日本も原爆の開発は進めていました。

しかし、陸海軍それぞれが「二号研究」、「F研究」とバラバラに研究し、それも、基礎研究のレベルを出ないものでした。

理化学研究所で陸軍の「二号研究」のローダだった仁科博士は「今次大戦における開発は連合国も無理である」と判断して、研究を中止させます。

結果として仁科博士の判断は間違っていたのですが、それほどまでに原爆研究と開発は難易度の高い物だったのです。

 

一方で、アメリカは、日本の物理学者のレベルの高さを十分に評価していました。

余談ですが、アメリカの原爆研究の科学者リーダーであったオッペンハイマーは戦後日本の科学者を数多くアメリカに招聘しています。

彼が原爆開発前に解決できなかった素粒子物理学の大問題だったゼロ除算問題をすでに日本人科学者は解決していたのです。

戦後彼はそれを知って驚愕するのです。

 

しかし、日本人科学者がいかに優秀でも、《日本は戦時中に原爆の開発はできない》とアメリカからは分析されていました。

それは、アメリカでは日本の占領地域内ではウランを入手することができないと判断していたからです。その為、日本が原爆開発に先んじることは無いと分析します。

日本の脅威度はナチス・ドイツの下に置かれていたのは事実だったのです。

 

原爆を落とす動きを日本は知っていた

原爆は開発できなかった日本ですが、アメリカが原爆の開発に成功し、もしかしたら日本に落とすのではないかという情報はある程度掴んでいたのです。

 

日本陸軍のTO機関が、1943年頃にはマンハッタン計画の存在を掴んでいたという説もあります。

これは、情報がソ連にダダ漏れだったことを考えるとあり得ない話ではありません。

実際に日本はアメリカが「原爆」を開発したのではないかという前提に立って、警戒している部分も見受けられるので、この説の確度はかなり高いかもしれないのです。

 

陸軍はマリアナ方面に展開するB29の動きを電波通信情報で解析しており、妙な動きをするB29の存在を把握していました。

ただ、原爆の存在と、その電波通信情報を解析する部門は《全く情報が共有されていなかった》という縦割り日本組織の欠点が露呈します。

陸軍の電波解析班は、「V600番台」の妙な動きをするB29がテニアンを発進したことも把握していました。

それが、8月6日、広島に原爆を投下した「エノラゲイ」であったのです。

 

日本陸軍は長崎のときもV600番台の機体の動きを掴んでいました。

しかし、有効な迎撃ができなかったか、しませんでした。

その理由は様々な説があり、今でもよく分かっていません。

本土決戦のための戦力温存という流れの中で、迎撃作戦は無視されたのかもしれません。

 

結局、誰が「原爆」を落としたのだ?

 

1945年の段階で、ナチス・ドイツは降伏し、すでにソ連が日本に攻め込むという密約もできていました。

ここで、あえて原爆を使用しないでも、日本の降伏は時間の問題であるという意見もアメリカ国内には多かったのです。

 

実際、原爆の使用を強固に反対したのは、実行部隊のアメリカ陸軍にその人物を多くみつけることができます。

陸軍長官ヘンリー・スティムソン、アイゼンハワー将軍、海軍でもアメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督らは反対か消極的であったのです。

 

また、事前通告してからの原爆投下という意見もありました。

が、それは、前線指揮官のルメイが反対します。

これは当然だったでしょう。事前通告すれば、日本軍は全力を挙げそのB-29を狙う可能性は高いのです。

B-29は強力な爆撃機でしたが、決して落ちない機体ではなかったのです。実際多くの機体が日本爆撃で失われていました。

 

レズリー・グローヴスの命令書ねつ造

ではなぜ、誰が一体原爆投下をさせたのか。

原爆投下はマンハッタン計画の責任者であるレズリー・グローヴスの命令書ねつ造によって行われたという説が有力です。

 

アメリカは既に、戦後を睨んでおり、ソ連が次の敵になるだろうことは予測していました。

ヨーロッパでのソ連の動きはあまりに露骨だったのです。ドツ占領地におけるソ連軍の行動も問題となっていました。結局のこところ、米ソは相容れない存在だったのです。

このため、ソ連をけん制するため、原爆投下がなされたという説もあります。

 

しかし、その説も簡単に反論できます。

アメリカが原爆投下で民間人虐殺を行うことで、日本を「反米国家」にしてしまうのは、大きなマイナスであるとういう主張が大きかったのです。

おそらく正常な、真っ当で常識的な判断が行われたなら、日本に原爆は落ちなかったでしょう。

もう戦争は終わりかけており、これ以上日本人の反米感情を高めるのは、アメリカの国益にとってマイナスだったのですから。

 

原爆投下指令書が、ねつ造されるという現場の暴走により、日本には2発の原爆が落ちました。

そこには、戦略もなければ、政略もなく、ただ己のプロジェクトが作り上げた成果を確認したいという男の狂った願望があっただけです。

 

 

トルーマン大統領は、戦後もその事実を伏せ、自分が決断し落としたと公的には主張し続けました。

しかし3発目の投下を止めたのは彼なのです。

それは、あまりにもアメリカにとって恥辱的な行為だったからでしょう。

だからこそ、原爆投下に対しアメリカは様々な理屈をつけ正当化します。

本土決戦の被害を少なくするためなど――

 

巨大な国家と膨大なプロジェクトは、その責任者の暴走で、多くの無辜の人々を殺して終わります。

それは、兵器開発という意味では、成功であったのかもしれません。

ただ、トルーマン大統領は日記に次の様に記しています。

「日本の女性や子供たちへの慈悲の思いは私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している。」

原爆投下はアメリカという国家にとっても、決して望ましいものではなかったのです。

たまたま、日本人が大人しかったら、よかっただけの話です。過ちを起こしたのは日本ではなく、アメリカなのですが、日本は「原爆投下」を己の過ちとして、民族の記憶にしていくのです。












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