世界広しと言っても、公式に認定されたエイリアンの墓があるのは、テキサス州のオーロラくらいのものだろう。
19世紀の終わり、この町にUFOが墜落した。
住民は搭乗者の遺体を丁重に埋葬し、以来、この途方もない事件を親しみをこめて語りついできた。
嘘か真か、それとも「町おこし」か、オーロラUFO事件の謎にせまる!
風車に衝突したUFO
アメリカ合衆国テキサス州で発生した「オーロラUFO墜落事件」は、数あるその種の事件のうちでも、かなり風変わりなケースとして知られている。
その住民によれば、1897年4月17日、この町のとある農場の近くにUFOが墜落したことになっている。
このとき、搭乗していたエイリアンは死亡し、無縁仏?として地元の墓地に埋葬されたと伝えられる。
この事件をとりあげたメディアのひとつに、4月19日付けの『ダラス・モーニング・ニュース』があり、オーロラに住む、S.E.へイドン(S.E.Haydon)なる人物が次のような寄稿をしている。
- 「2日前の地方時間(中央)午前6時ごろ、判事のJ.S.プロクターの所有する風車に、空から落下したなにものかがぶつかり、風車は大破した」
- 「飛行物体に乗っていた者は、この事故で死んだ。近くのフォートワース基地の陸軍将校が、このパイロットを見て、「この世界の住人でなく」、「火星人だろう」と語った」
火星とされた人間は、その後、教会のやり方で近くのオーロラ墓地に葬られた。
墓地には事件にふれたテキサス歴史委員会の記録が現在でも残されている。
事故現場に飛び散った残骸は、大半が損壊した風車のかたわらの井戸に投げすてられたが、一部はエイリアンとともに墓に埋められたという。
時は流れて1935年、事故に新たな展開が訪れた。
プロクター判事の地所が、ブローリー・オーツ(Brawley Oates)という男性の手に渡ったのだ。
オーツは井戸を飲み水に使おうと、そこから瓦礫をとりのぞくことにした。
すると、後に、かなり重い関節炎を発症した。
井戸に投げこまれた宇宙船の残骸が、水を汚染したためだと彼は考えた。
そこでオーツは、コンクリートの厚板で井戸を密閉し、その上に小屋を建てた。
これが1957年のことだった。
でっちあげ説
…と、以上、実にまことしやかな、この「事件」なのだが、やがて「でっち上げ」とする説が現れた。
その元になったのが、オーロラの元市長、バーバラ・ブラムマー(Barbara Brammer)による真面目な歴史研究だ。
彼女の研究は、たぶんに眉唾チックな墜落事件から
数か月前のオーロラの様子を、次のように報告する。
- 「当時のオーロラはまったく悲劇的な状態にあった。まず第一に、この地方の主な収入源である綿花が、蔓延するゾウムシによって手ひどく食い荒らされてしまったのだ。壊滅的な被害もいいところだった」
- 「第二に、町の西側に大規模な火災が発生し、ひとびとは心身ともに打ちのめされた」
- 「第三に、火災直後、今度は熱病が流行し、残った市民をほぼ一掃した。こうしてオーロラの街は隔離された」
- 「最後に、計画中の鉄道がオーロラから27マイルの地点にまで伸びていたが、町を迂回することが決定した」。
というわけで、当時、人口約3000人のこの町は滅亡の危機に瀕していたらしい。
うーん、たたみかけるような災難つづき…。オーロラ、まじヤバしっ!
で、さらに興味深いのは、ブラムマーの調査がヘイドンを「市中のお騒がせ男」であることを明らかにした点だ。
元市長の結論によれば、ヘイドンの書いた記事は「オーロラの生き残りのための最後の試みだった」ことになる。
これを裏付ける証言がある。
1979年に『タイム・マガジン』が、オーロラに住む86歳のエッタ・ペギースにインタビューしたところ、彼女は「ヘイドンが冗談で記事を書いたのは、人々にオーロラへの関心をかきたてるためでした」と答えた。
「鉄道が来ないと知り、当時のオーロラは絶望にうちひしがれていたものです」。
そして調査はつづく
事件の探索と調査は、なおも続く。
1998年のこと、ダラスに拠点を置くテレビ局KDFWは、オーロラ事件についての長いレポートを放映した。
しかし、すでに明らかになった事実を追うだけで、火星人とUFOの決定的な証拠を見つけることはできなかった。
ついで2005年12月、人気TV番組「UFOファイル」は、「テキサスのロズウェル事件」と題して、オーロラ事件を取り上げた。
その中で、航空作家のビル・ケースとMutual UFO Network(MUFON)のテキサス州局長が率いた1973年の調査を紹介した。
(「ロズウェル事件」は1947年7月、ニューメキシコ州ロズウェル付近に墜落したUFOが米軍によって回収されたとする事件)
この調査の中でMUFONは、事件の目撃者を発見し、インタヴューを試みている。
また、オーロラ墓地を調査し、探知器による金属反応を示す墓標を発見した。
このとき、奇妙なことが起こった。
墓地発掘の許可を求めるMUFONに墓地協会はノーをつきつけたが、その後、MUFONの調査マーカーが墓地から消え、代わって地面にはなぜか鉄パイプが置かれていた。
ふたたび探知機を働かせると、墓の下の金属反応は消えていた。
何者かが掘り返して持ち去ったとしか考えられなかった。
開封された井戸とあらたな墓
2008年11月には、今度はTV番組「UFOハンター」が事件に関するテレビ・ドキュメンタリーを放送した。
ブローリー・オーツの孫で、現在の井戸の所有者ティム・オーツの許可を得た上で、井戸の封印を解こうとする企画だった。
しかし、井戸から採取された水は、大量のアルミニウムを含むことをのぞけば、おおむね正常なもので、井戸底にはなにもなかった。
このとき、オーロラ墓地にふたたび調査の手が入った。
墓地協会側はレーダー探査を認めたものの、依然として発掘の許可はおりなかった。
すると、1890年代の墓所近くに、銘のない墓があらたに発見された。
だが、その墓はひどく傷んでいて、レーダーはその下にどんな遺体が残っているかを探り当てることができなかった…。
☆☆☆
そんなマスコミとUFO研究家たちのいじらしいまでの執念をよそに、しかし、街の住民たちは事件をとっくの昔に「公認済み」で、立派な記念碑で顕彰するとともに、毎年恒例の「オーロラUFOフェスティヴァル」の開催を心待ちにしているという。
民俗とオカルトが絶妙な配分で溶けあった、まれな例といえようか。
筆者などには、どことなく、ほほえましく感じられる事件ではある。
コメントを残す