日本が大敗北したミッドウェー海戦 日本が勝利する可能性はあったのか?







1942年6月、大日本帝国はミッドウェーで大敗北を喫します。

ミッドウェー海戦と呼ばれる、太平洋戦争のターニングポインンになった海戦です。

太平洋戦争において「もし勝てたら……」が最も語られることの多い海戦でしょう。

太平洋戦争終盤の海戦と異なり、日本海軍には十分に勝てるチャンスがあったように思えます。

 

さて、今回はそもそもミッドウェー海戦とは何だったのか?

日本はミッドウェー海戦で勝つことが可能だったのかどうかを考察していきます。

 

そもそも、ミッドウェー海戦とは

 

太平洋戦争がはじまり、大日本帝国は「第一段階目標」を達成してしまいます。

それも、予想外に順調でした。

真珠湾攻撃に始まり南方の資源地帯も占領します。

大日本帝国の目指していた「長期持久体制」が整うのです。

 

しかし――

連合艦隊司令長官・山本五十六は、対米戦を「長期持久」で戦って勝ち目があるなどと思っていません。

そもそも勝てると思っていなかった節もありますが、軍事としては勝てる可能性が無くとも、その少ない可能性にすがるしかないわけです。

それは、徹底的に日本海軍が主導権を握り、アメリカ海軍を叩きつぶすことでした。

そのためには、跳梁していたアメリカ海軍の空母部隊を早期に撃滅する必要があったのです。

 

日本海軍の次の目標は、残されたアメリカ空母部隊・任務部隊――

一般に「機動部隊」といわれる空母部隊を撃滅し、そして太平洋の要石であるハワイ基地の占領までを考えるようになります。そこまでしなければ、アメリカは折れないだろうと考えたのです。

 

案外まともな陸軍の反対

 

ミッドウェー作戦は、そもそも「ハワイ攻略」の前段階として計画されたものでした。

ミッドウェー諸島を足掛かりに、ハワイ攻略を進める腹案が連合艦隊の中にありました。

 

しかし、海軍内部でも本来作戦を立案すべき軍令部が、山本五十六率いる連合艦隊の積極作戦に反対しました。

そして、陸軍は「いくらなんでも、それは無理で無茶だろう」と判断します。

 

意外かもしれませんが、大日本帝国陸軍は「兵站」、「補給線」を決して軽視していませんでした。

その点、一度「燃料・弾薬」を詰め込めば、戦闘単位として自在に活動できる「軍艦」を主体とする海軍よりもシビアだったのです。

大陸に何十万の兵隊を展開できるような軍隊が「兵站」、「補給」に無能力なわけがないのです。

 

結果、ミッドウェー作戦は陸軍の大反対に遭います。

陸軍は長期持久による、国家として定められた指針で太平洋戦争を戦おうとしていました。

 

ドゥーリトル隊による東京空襲の衝撃

 

1942年4月、アメリカ海軍は、陸軍の爆撃機であるB-25を空母エンタプライズ、ホーネットに搭載し、東京空襲を敢行します。

戦術的にはさほど大きな戦果をあげるものではありませんでした。

が、しかしこの作戦が、日本海軍の軍令部と日本陸軍を動かします。

アメリカ空母機動部隊の動きを封殺しようとするという点において、日本海軍軍令部と日本陸軍はミッドウェー作戦に賛成し、作戦は実施されました。

 

しかしミッドウェー作戦の結果は惨敗。

作戦は完全に失敗します。

 

ミッドウェー海戦の惨劇

 

ミッドウェー海戦では、大日本帝国海軍は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」4隻の主力空母を一気に失いました。

これは、世界最強とも言える空母機動部隊の喪失を意味します。

日本海軍が太平洋戦争の主導権を失った海戦がミッドウェー海戦です。

 

アメリカも無傷はなかったですが、日本に比べれば軽微な被害でした。

最後まで残った「飛龍」の必死の攻撃で深手を負い、そして潜水艦イ-168により止めを刺されたヨークタウンの沈没が唯一の大きな被害でしょう。

 

これで、圧倒的に優勢だった太平洋戦争が一気に土俵中央まで押し戻されてしまったようなものです。

ハワイ攻略どころの話ではなくなります。

 

ミッドウェー海戦は1942年6月に起きました。

山本五十六連合艦隊司令長官が言っていた「半年や一年は暴れまわってみせる」という言葉――

おおよそ半年くらいに起きたことでした。

 

ミッドウェー海戦の敗因は暗号解読だったのか?

 

日本海軍の敗因でよくあげられるのは「暗号の解読」です。

アメリカ海軍が日本海軍の暗号を解読し、待ち伏せし、撃退したという文脈で語られることが多いです。

しかし、ニミッツはこの暗号解読を「避けられない災厄を教えられたものだ」だったと後に語っています。

はっきり言って、ミッドウェー海戦は徹底的にアメリカ海軍にとって運の良い海戦だったのです。

確かに、暗号解読により周到なアメリカ海軍は出来うる限りの準備をしてきました。

 

しかし、それでも強力な日本海軍に対抗できるかどうかは分からなかったのです。

結果論として、暗号解読は役に立ち、暗号解読が無ければ、アメリカ側は作戦の立案もできなかったのですから勝つための「必要条件」であったでしょう。

しかし、それは対決の場を優位に作ることはできましたが、「暗号解読」成功がアメリカの勝利を保証したわけではありませんでした。

 

ミッドウェー海戦「運命の5分間」のウソと空母「飛龍」の奮闘

 

まず、ミッドウェー作戦で言われるのは、日本側の大きな齟齬です。

「運命の5分間」という有名な言葉があります。

索敵機の空母発見の報告により、ミッドウェー島攻撃のため兵装を転換しそれが終わる直前、つまりあと5分あれば、というタイミングで攻撃されたという「伝説」です。

これは明らかに俗説でいまはもう否定されています。

爆弾からの魚雷への兵装転換は完了しておらず、まさにその最中に日本の空母は攻撃を受けたのです。

よって、魚雷の命中が無かったにも関わらず、爆弾により3隻の空母が次々に炎上します。

 

「赤城」「加賀」「蒼龍」が炎に包まれて戦闘力を失います。

そして、唯一攻撃を逃れた「飛龍」だけが反撃を開始、97式艦上攻撃機、99式艦上爆撃機28機を仕掛け、12機が分厚い3隻の空母が健在のアメリカ機動部隊の防空網を突破、そして爆弾3発、魚雷2発の命中弾を与えました。

しかし、飛龍も力尽きます。彼女は鋼の身体を猛将・山口多聞少将とともに波間に沈めることになります。

 

ミッドウェー海戦アメリカの幸運

 

兵装転換の真っ最中に、アメリカの急降下爆撃機・ドーントレスが襲撃してきたのは、日本にとっては不運でしたが、アメリカにとっては幸運だったでしょう。

しかし、その攻撃の手際は決してすぐれたものではなかったのです。

まず、敵空母を沈める決定的な武器であるはずの魚雷を発射する雷撃の攻撃は、完全に失敗します。

命中魚雷は一本もありません。

 

ミッドウェー基地と合わせ41機が発進しますが、帰還したのは4機しかありません。

90%以上が叩き落とされました。敵艦を「沈める」魚雷という武器が全く機能しなかったのです。

 

しかし、この雷撃機を撃墜している最中に、上空護衛の零戦隊は隙を突かれ、急降下爆撃を許してしまったのです。

アメリカが、狙ったわけではないですがこの急降下爆撃が兵装転換中の日本の空母に致命傷を与えました。

本来、急降下爆撃の爆弾では飛行甲板を破壊され「戦闘不能」にはなったとしても、沈む可能性は低いのです。

事実、ミッドウェー海戦前の「珊瑚海海戦』では、日本の「翔鶴」がアメリカ軍の爆弾3発を受けていますが、沈没には至っていないのです。

 

ミッドウェー海戦における日本の不手際

 

ミッドウェー海戦で語られる大きな失敗の原因は作戦目標が「ミッドウェー島の攻略」なのか「敵空母の撃滅」なのかという点で、意思の疎通が取れていなかったという点が良く指摘されます。

陸軍の輸送部隊を乗せ、ミッドウェー攻略を目指す船団は時間通りやってきます。

その前に、ミッドウェー島の航空攻撃力を無くしておかなければ、上陸作戦が頓挫してしまいます。

そのためには、ミッドウェー島への徹底的な攻撃が必要だったのです。

 

上陸時は夜間戦闘を想定していました。

それで月齢により作戦計画が決まっていますので、変更などできません。

まず、南雲機動部隊は、時間に縛られていたのです。

そして、陸上攻撃を徹底するため、兵装準備が行われたところで、空母発見です。

結果、爆弾から魚雷へと兵装を変換していきます。

一部の機体を、空母攻撃用に残しておくようにという指示は連合艦隊司令部からあったようですが、現場とすれば、目先のミッドウェー基地の殲滅が最優先でそんな余裕はなかったのです。

 

ミッドウェー海戦の勝利は可能であったか?

 

まず、なにを持って勝利とするかですが、アメリカの空母3隻を沈め、こちらは被害なしというような一方的な展開は望み薄だったでしょう。

仮に兵装転換がなく、格納庫が空っぽで、アメリカ空母攻撃を間に合わせても、アメリカ機からの爆撃は受けたでしょう。

誘爆して沈みはしなかったでしょうが、その時点で戦闘不能の空母が3隻です。

普通に撤退するでしょう。

 

更に、雷撃装備でない状態でアメリカ空母を攻撃した場合、しかもこの場合、護衛の零戦も間に合いません。

陸上攻撃用の爆弾を装備した攻撃機を護衛なしで叩きつけても、それほどの効果を上げなかったでしょう。

 

ミッドウェー海戦前の珊瑚海海戦での日本海軍のアメリカ機動部隊の捕捉率、つまり敵を発見できた率は138機出撃させ51機にすぎません。

対するアメリカは142機発進で122機が捕捉しています。

おそらく、ミッドウェーでも、早期の出撃は移動距離の長さから捕捉率を下げたことが想定できます。

そもそも、第二次世界大戦の空母航空戦では出撃した航空機が、敵を発見してくるかどうかの時点で、ハードルがあったのです。

 

アメリカはミッドウェー海戦では攻撃機166機のうち122機が日本空母を捕捉しています。

それでも40機以上は日本空母を発見できません。この捕捉率は、珊瑚海海戦と似ています。

 

日本の珊瑚海海戦は、夜間出撃などの不手際がありましたが、アメリカに比べかなり低いです。

日本の攻撃開始の想定距離が長いのも、捕捉率を下げる要因になったでしょう。

であるなら、ミッドウェーで日本側も、兵装転換せず、攻撃を仕掛けたとしてもよくて相打ちです。

お互いに、空母に損傷を受け、日本側は珊瑚海海戦のときのように、上陸部隊の侵攻をあきらめたでしょう。

 

兵装転換が無くても作戦は失敗の公算大

 

日本では空母部隊の後方に戦艦を中心とする「主力艦隊」がありましたが、それを突っ込ませるようなことは、この時点でしなかったと想定できます。

空母は炎上せずもとも、爆弾を受けて使用不能。無傷だった飛龍が史実様に最期まで戦い、敵に痛撃を与えた可能性もありますが、そうすれば、飛龍も沈んでいたでしょう。史実のように。

結局、どうころんでも、空母の潰しあいで終わった公算が大きいです。

 

結果、ミッドウェーの攻略は断念(珊瑚海海戦のポートモレスビー攻略のように)されたでしょう。

アメリカの作戦目的であるミッドウェー島の防衛は達成され、日本は敵空母とよくて相打ちという結果でしょう。

 

ただ、多少は空母戦力のバランスが悪化しないというだけで、戦争の主導権を握ることは出来なくなった可能性は高いです。

仮に、ガダルカナル戦以降、空母があったとしても、日本海軍は空母に搭載された航空機を下して、地上で運用するようになります。

入れ物である空母が残っても、日本海軍の戦い方は基地航空戦中心に移行し、空母数隻が生き個残った意味があまり大きな影響を与えなかったでしょう。

 

日本海軍がミッドウェー海戦で「作戦的勝利」を得た可能性はあります。

しかし、「戦略的」な勝利には結びつかなかった可能性の方が大きいでしょう。

それは、単純にミッドウェーに投入した航空戦力が、アメリカが感じているほどに圧倒的差が無かったことが原因であるといえます。

(日本軍)空母4隻 VS (アメリカ軍)空母3隻+島嶼航空基地の戦いだったのですから。












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