《戦国時代の飯事情》戦国時代の兵士は戦中の戦闘糧食として何を食べていたのか?







戦において作戦や兵器よりも大事なものは何と言っても戦闘糧食ではないでしょうか?

戦闘糧食とはすなわち軍隊の兵士たちが戦場で口にする食事のことです。

 

そういえば私も陸上自衛隊に所属していたときは缶詰やレトルトの中華丼の具材と白米のレトルトパックを携行して演習に参加していました。

ところが、戦国時代には当然レトルトパックや缶詰などはまだ開発されていません。

戦国時代の兵士たちはいったいどんな戦闘糧食を食べていたのでしょうか?

 

戦闘糧食の主食 炒米(いりまい)と干飯(ほしいい)

《炒り米》《干飯》この2つは想像するに難くない戦闘糧食です。

主食である米を炊いた後、乾燥させたり炒めたりして水分を飛ばし、保存性と携帯性に優れた戦国時代の戦闘糧食です。

 

これらの米はそのままポリポリかじるのもよし、お湯でもどして柔らかくしてからズルズルとすするのもよし。

実際にはお湯とともに口に含んでモグモグと食べることが多かったと伝えられています。

干飯には米と麦飯からなるものがあり、麦飯のものを特に強飯と言ったそうです。

 

焼味噌

味噌は発酵食品であり、調味料のひとつでもあります。

そのため、戦国時代には大変重宝されました。

米と塩とともに戦闘糧食ではなくてはならないものでした。

 

しかし、味噌はそのままでは腐ったりカビが生えてしまったりするので一度焼いてから味噌玉(焼いた味噌を手で丸めたもの)にして携帯しました。

焼いた味噌はお湯に溶かせば味噌汁になり、おかずの代わりを果たしました。

武田軍は塩が入手しづらい内陸の甲斐が本拠地だったので、塩よりも味噌の方が塩分補給の食品として重宝されています。

それは非常事態に備えて兜の緒を味噌に浸してから着用させるほどでした。

 

糧食の防腐剤、兵士の疲労回復食品 梅干し

梅干しは日本が誇る加工食品であり、保存食の王様に位置づけられる食品です。

その梅干しが戦闘糧食として取り入られないはずはありません。

戦闘時には大量に汗をかき、なおかつ激しい運動によって心身がともに疲弊します。

その疲労回復には梅干しに含まれる塩分やクエン酸が効果を発揮しました。

 

また、梅干しの持つ成分に注目した武将としては上杉謙信がいます。

日の丸弁当の考案者は他でもない、上杉謙信でした。

上杉謙信は梅干しとごま塩によって美味しい白米の弁当を昼食として兵士に持たせることを可能とした優れた指揮官です。

 

携行性、栄養価抜群戦闘糧食 芋茎縄(いもがらなわ)

芋がら(わりな・ずいき) 1kg

里芋の茎である「ずいき」を味噌汁で煮しめたものを乾燥させてロープ状にしたものです。

腰に括り付けて携行し、そのまま食べればおかずになり、お湯でもどせば味噌汁にもなるという優れものです。

 

ゲン担ぎだけどタンパク源となる糧食 鰹節

鰹節は戦国時代の戦闘糧食において血や肉、骨を作る主なタンパク源となりました。

干魚も食べられていたようですが、携行性には欠ける代物でした。

また、この時代は宗教上の理由から動物の肉を食べることが禁じられていたので、日本人のタンパク源となったのは鳥肉か魚の2択しかありません。

 

鰹節は加工する過程で塩を大量に振りかけてから燻製を何度も重ね、カチコチに固く乾燥させた食品です。

鰹節は武士たちが帯に挟めて携行し、お湯でもどしたごはんに削り節を入れたり、砕いた鰹節を口に含みながら食べられる優れた戦闘糧食でした。

さらに鰹節の表記ですが、戦国時代の武将たちは「勝男武士」と書き、それを持ち歩いてゲン担ぎをしました。

 

戦国時代の兵士たちは戦闘糧食を食べるために戦に参加していた?

 

戦国時代というのは日本中が飢餓に苦しむ時代でした。

そのため、戦に参加する多くの兵士は戦闘糧食を食べるためだけにあえて危険に身をさらしました。

ごはんを食べられずに死ぬのなら、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされてもごはんを食べられるほうが良いと考えていたわけです。

実際に大名たちは「子連れの従軍は控えるように」という命令を出した例もあれば、子供にも戦闘糧食を食べさせるために「我が子はいずれ立派な戦闘員になりますから、見学させてください」という名目で親子で従軍する例もありました。

 

1日3食のルーツは戦国時代の戦闘糧食から

 

当時の一般的な食生活は朝と夕方の1日2食でした。

それに重労働の兵士たちには夜食がついて1日3回となります。

これが後々「いつでも臨戦態勢でいられるように」と武士たちの食生活に取り入れられて現在の1日3食の食生活へと変わりました。

 

戦時はいつなにがあるかわからないので、まず早朝に朝食と夕食の分のごはんが一度に炊かれます。

戦闘は日中に行われることがおおいので、夕食を作るための時間がなかなか作れないからです。

戦闘があっても夜になればたいてい中止になります。

ところが夜襲というのもわりと頻繁に起きたため、必ず夜食用に夜もごはんを炊いて夜食をとってから眠りにつきました。

 

つまり戦国時代の戦では「炊事は早朝と夜の2回行われ、朝食はホカホカ、昼はお弁当、夜はホカホカ」という現代の一般人と何ら変わらない食生活でした。

サザエさんの夕食シーンのように一家団欒(いっかだんらん)の原点が戦国時代の戦闘糧食にあったとは、驚きを隠せません。

 

現在の戦闘糧食はかなり便利!

戦闘糧食II型 ミリめし 名古屋ポークカレー

最後に少し話はかわりますが、私は18~21歳まで陸上自衛隊に所属していました。

陸上自衛隊にも兵科によって戦闘部隊と後方部隊に区分されるのですが、私は野戦特化という専ら野戦に投入されるべき部隊に配属されていました。

 

そこでは多いときは月に2度演習で山に入り、もし戦争が起きたときに備えての訓練を受けていたのですが、缶詰や中華丼や玉子丼などのレトルトパックを携行し、山の中ではそれを食べていました。

自衛官が食べる戦闘糧食と言えば一般の方々はそればかりを想像するかもしれませんが、実は演習には糧食班と言って炊事をする自衛官も随行していて炊き立てのご飯と熱々の味噌汁なども食べることができていました。

 

しかし、状況が悪いときは飯ごうにごはんやおかずが托鉢(たくはつ)のようにごちゃまぜになって詰められていたり、雨降るなかそのごはんを食べているうちにホカホカごはんがいつの間にか冷えた湯漬けごはんのようにベチャベチャになっていたものを食べることもしばしばありました。

しかし、それでも戦国時代の戦闘糧食よりはずいぶんマシなものでしょう。

 

まとめ

 

戦国時代の戦で食べられていたもの

  • 炒米と干飯
  • 焼味噌
  • 梅干し
  • 芋茎縄
  • 鰹節

 

以上のように戦国時代の戦闘糧食は保存性、携行性に優れた糧食を食べていたことがわかります。

また、本記事に登場するものは準備するには大変な時間と労力を要しますが、複雑な調理や二次加工をしなくても食べられるものばかりです。

やはり何が起きるかわからない戦場では一分一秒でも早く食べられ、調理や保存の手間が必要ない食品が選ばれていました。










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