ジャズ・ピアノの巨人、ビル・エヴァンスの「自己との対話」の深い内省性







ジャズ史に残るピアノ・トリオ、ビル・エヴァンス・トリオのメンバーはドラマー、ポール・モチアンとベーシスト、スコット・ラファロでした。

その中でビル・エヴァンスが頼りにし盟友であったベーシストのスコット・ラファロを不慮の事故で1961年7月6日に亡くしたことも影響していたと思います。

 

ビル・エヴァンスは世界で初めて多重録音によるソロ・アルバム「自己との対話」を1963年に発表しました。

この「自己との対話」は三台のピアノを左、センター、右に配しての録音で、これをすべてビル・エヴァンスが演奏しているというもののです。

「自己との対話」でビル・エヴァンスは、グラミー賞を受賞します。

 

今回はそんなビル・エヴァンスの「自己との対話」にスポットをあてて考察していきたいと思います。

 

ビル・エヴァンスの略歴

 

ビル・エヴァンスは1929年8月16日にアメリカのニュージャージー州ブレインフィールドで生まれました。

ビル・エヴァンスは幼いころより、兄のハリーとともに正式な音楽教育を受けます。

そんなビル・エヴァンスですが、クラシック音楽を学ぶ傍ら、10代に入ると兄のハリーとともにジャズに関心を持つようになります。

クラシック音楽の勉強の余暇にはアマチュア・バンドでピアノ演奏をするようになりました。

1946年、サウスイースタン・ルイジアナ大学に入学し、音楽教育を専攻。それと並行してアマチュア・ミュージシャンとしての音楽活動も盛んに行います。

1951年、アメリカ陸軍での兵役に就きます。そこで、以降、ビル・エヴァンスを語るうえで欠かせない麻薬を覚えます。

1954年、兵役を終えたビル・エヴァンスはジャズの中心地、ニューヨークで音楽活動を開始します。

1956年、「New Jazz Conception」でメジャーデビューを飾りますが、このデビューアルバムは500枚ほとしか売れませんでした。

1958年、マイルス・デイヴィスのバンドに短期間加わりますが、麻薬が問題となり、すぐに離れることになります。

1959年、前述のピアノ・トリオ、ビル・エヴァンス・トリオを結成。

 

「ポート・レイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」「ワルツ・フォー・デビイ」「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」と立て続けにジャズ史に残る名盤を発表します。

しかし、ベーシスト、スコット・ラファロを失い失意のどん底に落ちます。

その後、エディ・ゴメスをベーシストに迎え、活動を再開。

1973年、長年内縁関係にあったエイレンに別れ話を持ちかけ、エイレンは地下鉄へ身を投げて自殺してしまいます。

ビル・エヴァンスはそれに大変ショックを受けますが、同年、ネネット・ザザーラと結婚し、息子のエヴァンを儲けます。

 

その後も、ビル・エヴァンスは名盤を発表し続けますが、麻薬常習者の彼の体は、麻薬によって蝕まれてゆくことになります。

1979年、兄のハリーが拳銃自殺します。

そして、1980年9月15日に肝硬変並びに出血性潰瘍でビル・エヴァンスは亡くなります。

 

享年51です。

 

ビル・エヴァンスの命を奪ったのは麻薬です。

しかし、ビル・エヴァンスの周りはいつも死に囲まれ、また、ビル・エヴァンス自身もまた、死に憑りつかれていたといわれています。

 

「自己との対話」におけるビル・エヴァンスの闇の深さ

 

 

セロニアス・モンクの名曲「‘Round Midnight」で始まる「自己との対話」は、とても内省的なアルバムです。

多重録音を選んだのは、自身の演奏とじっくりと対話したかったのか、または、スコット・ラファロの死が影響して、この1963年は、まだ、自身との対話をするのが精いっぱいだったためか、この「自己との対話」は不思議なアルバムです。

 

三台のピアノ演奏は時に衝突して、決してアンサンブルが整った演奏とは言い難いのですが、三台のピアノを演奏するビル・エヴァンスの心境を思うと、その闇はどこまでも深く思えて仕方がないのです。

 

セロニアス・モンクの演奏とは程遠い「‘Round Midnight」は、ビル・エヴァンスの華麗で流れるようなピアノ演奏が存分に味わえるのですが、それでは、なぜビル・エヴァンスは演奏スタイルが全く違うセロニアス・モンクの曲を演奏しているのでしょうか。

それは思うに、「‘Round Midnight」がそもそも内省的な楽曲で、それに触発されたビル・エヴァンスが「‘Round Midnight」をビル・エヴァンスの解釈で演奏することで、心の闇を埋めたかったのかもしれません。

 

ビル・エヴァンスは「自己との対話」でセロニアス・モンクの楽曲を三曲も演奏しています。

それだけ、セロニアス・モンクの楽曲はビル・エヴァンスを触発して仕方がなかったのだと思います。

ただし、ビル・エヴァンスはセロニアス・モンクの曲をあえてセロニアス・モンク風に弾くことを避けるようにして、ビル・エヴァンス流の華麗な演奏を聴かせるのです。

これは聴くものの期待を見事に裏切る行為に違いなく、そうせざるを得なかったビル・エヴァンスの心の闇の深さは尋常ではなかったように思います。

 

あくまで己の演奏スタイルを貫くことでしか、当時のビル・エヴァンスは自身を保持できなかったのでしょう。

そして、自分の演奏と多重録音という形で対話することでやっとビル・エヴァンスは闇に落っこちそうな自分を引き戻すことができたのかもしれません。

 

「自己との対話」には「続・自己との対話」」(1967年)があり、さらにその第三弾となる「New Conversation」(1978年)があります。

つまり、ビル・エヴァンスには大きな三度の精神的な危機があったのかもしれず、自分の演奏と対話することでしか保持できなかったビル・エヴァンスの悲哀を感じて仕方がないのです。

 

麻薬におぼれることで、たぶん、ビル・エヴァンスは自殺する衝動からやっと逃れていたと思われ、その心の闇の深さは「自己との対話」「続・自己との対話」「New Conversation」を発表することで、踏みとどまれたのかもしれません。

 

まとめ

 

世界で初めて多重録音でのソロ作品「自己との対話」を発表したビル・エヴァンスは、自分の演奏と向き合うことで押しつぶされそうな精神状態からやっとのことで抜け出たのかもしれません。

それほどまでに「自己との対話」に漂う悲壮感は、ビル・エヴァンスがどんなに華麗な演奏をしても隠しようがありません。

むしろ、ビル・エヴァンスが華麗に演奏すればするほど、悲壮感が色濃くにじみ出てくるのです。

そんな不思議なアルバムが「自己との対話」なのです。

 

盟友、スコット・ラファロを失った悲しみの中、その悲しみをどこにも持ってゆけずにいたビル・エヴァンスはピアノ演奏で自己と対話をします。

そうしてやっと自分を保持できたその軌跡が刻印されたアルバムが名盤「自己との対話」なのです。










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