ブラームスの名声を不動のものにした不朽の名作「ドイツ・レクイエム」







普通であれば「レクイエム」はラテン語で書かれるのが一般的ですが、このヨハネス・ブラームスの傑作「ドイツ・レクイエム」はドイツ語で書かれています。

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が完成するまで約10年の歳月がかかっていますが、それはこの曲がブラームスの中で、熟すのを待っていたとも考えられます。

 

長く完成することがなかった「ドイツ・レクイエム」は、ブラームスの恩師、シューマンの死が完成を急がせた大きな動機となったといわれています。

また、ブラームスの母の死もまた、「ドイツ・レクイエム」を完成させる契機になっているともいわれ、「ドイツ・レクイエム」は、深い人間愛が溢れるブラームスの名声を不動のものにした名曲中の名曲です。

 

ブラームスの略歴

 

ブラームスに関しては語るに落ちるので略歴にとどめます。

1833年5月7日生まれ、そして1897年4月3日に亡くなっています。

享年63です。

 

  • 7歳の時にオットー・フリートリヒ・ヴィリバルト・コッセルに師事してピアノを学び始めます。その後、コッセルの師であるピアニスト、エドゥアルト・マルクスゼンに師事し、さらに高度な音楽教育を受けます。
  • ブラームスの家は貧しがったために13歳ころからレストランや居酒屋でピアノを演奏し、家計を助けていました。その後、ブラームスは作曲家を志すようになり、ピアニストとしては花開くことはありませんでした。ただし、1859年と1881年の自身作曲のピアノ協奏曲第一番とピアノ協奏曲第二番の初演では自らピアノ演奏をしています。
  • 1953年、シューマンに会います。シューマンはブラームスの演奏と音楽に心動かされ、「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」に発表し、ブラームスを称賛しています。ブラームスは生涯シューマンを深く敬愛し、1856年のシューマン死の後は、シューマンの妻、クララに寄り添い、ずっと助けています。
  • 1865年、母が亡くなります。
  • 1868年、今回取り上げる「ドイツ・レクイエム」が完成し、それは非常に高い評価を受け、偉大な作曲家の一人としてその地位を確立しました。
  • 1872年、父が亡くなります。
  • 1876年、19年の歳月をかけて交響曲第一番を完成させます。
  • 1877年、交響曲第二番、1883年に交響曲第三番、1885年に交響曲第四番を完成させます。
  • 1896年、クララ・シューマンが亡くなります。
  • 1897年、肝臓がんのためにブラームスが亡くなります。

 

ブラームスの作品は、ブラームスが死んだ後もその評価が下がることなく、ますます高まるばかりで、ドイツの大いなる遺産となっています。

 

「ドイツ・レクイエム」の深い精神性

「ドイツ・レクイエム」は全部で七曲からなっていて、最初に作曲されたのは第二曲です。

 

第一曲「至福なるかな、悲しむ者」は、コントラバスの深い響きで幕を開け、そしてヴァイオリンが「ドイツ・レクイエム」のテーマとなる旋律を歌い上げ、そして、女声と男声合唱で静かに始まります。

しかし、なんと慈しみ深いことでしょうか。

この第一曲を聴いただけで、もうブラームスの深い精神性に魅了されてしまうのです。

美しいことこの上ありません。

男声合唱がとても味わい深く、女声合唱の伸びやかな様との対比も鮮やかで、それらが美しく溶け合いながら、ブラームス35歳の作品とはとても思えない老成した音世界が展開します。

 

第二曲「人はみな草のごとく」もコントラバスが深く深呼吸するように奏でられ、その後、ピッコロやヴァイオリン、チェロなどが加わり、テーマを演奏します。

男声合唱の歌声で聖書の歌詞が歌われるのですが、荘厳なのです。

当然ながら女声合唱も続きますが、どうしてこんなにも美しい宗教曲が書けたのかと感嘆せざるを得ません。

 

第三曲「主よ、知らしめたまえ」は、第一曲と第二曲とは趣を変え、激しいパッションを発する作風となっていて、聴きごたえ十分です。

この予兆は第二曲の最後にあったのです。

しかし、第二曲はまだ、明快な合唱で神を讃える歌唱で終わったのですが、この第三曲で、ブラームスの感情の高ぶりは頂点に達したかのように激烈なのです。

バリトンの独唱で始まる第三曲は、ブラームスの信仰告白にもとれます。

 

第四曲「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」は、第三曲とは打って変わって心安らぐ曲調です。

ピッコロとストリングスで始まり、男声女声の合唱が時にユニゾンで、時に相互補完する形で美しい旋律が歌われてゆきます。

ブラームスが書いた旋律はことごとく心に染み渡るのです。

 

第五曲「汝らも今は憂いあり」は、その題名からもわかる通り憂いがある旋律が心に迫ります。

しかし、ブラームスは絶望に終わることはなく、最後は希望を歌い上げます。

ソプラノ独唱が光るこの第五曲は、第一曲に続いて「慰め」が取り上げられていて、「ドイツ・レクイエム」の中心主題と言われています。

 

第六曲「われらここには、とこしえの地なくして」は、「ドイツ・レクイエム」の一番の秀作ではないでしょうか。

第六曲は第三曲よりもさらに激しく、パッションが炸裂していて、聴くものの心を大きく揺さぶります。

憂いに満ちた男声女声合唱にバス独唱が続き、嵐の前の静けさのように歌われたかと思うと、曲は転調し、青天霹靂のごとく、嵐のようなうねる演奏と分厚い合唱の壁がそびえたちます。

第六曲の終わりは「ドイツ・レクイエム」の聴きどころの一つで、劇的です。

 

第七曲「幸いなるかな、死人のうち、主ありて死ぬものは」は、「ドイツ・レクイエム」の最後を飾るに相応しく、悲しみにくれる人に対して神の祝福を受けるに至るドラマがあり、第一楽曲のテーマが美しく奏でられます。

第一曲で歌われたドイツ語の至福を意味する「Selig」が第七曲でも登場し、「ドイツ・レクイエム」が円環の構造をしていることがわかります。

これがブラームスが考える一つの世界観で、それは普遍的ともいえます。

 

「ドイツ・レクイエム」を聴き終えて

 ブラームス:ドイツ・レクイエム

「ドイツ・レクイエム」を聴き終えて、しばらくはその余韻に浸っていたい気分になります。

それだけ「ドイツ・レクイエム」は圧倒的なのです。これがブラームス35歳の時に完成した楽曲には到底思えず、ブラームスのその才能に感嘆するほかありません。

それにしても「ドイツ・レクイエム」はなんと美しく、奥が深いのでしょうか。

全部で七曲から構成されていますが、それがまた、絶妙なのです。

歌詞もブラームスは旧約新約聖書から慎重に選んでいて、キリストの復活劇は排除されています。

ブラームスは、しかし、それ程熱心なキリスト教徒ではなかったと言われていますが、それにしても、「ドイツ・レクイエム」の深い精神性には心を打たれます。

 

まとめ

 

ブラームス35歳の作品でブラームスの名声を決定づけた「ドイツ・レクイエム」は百年以上前の曲なのですが、全く古びたところはなく、むしろ、現代でこそ輝く楽曲です。

ブラームスの才能に改めて感嘆せざるを得ないこの「ドイツ・レクイエム」の深い深い精神性は不変のもので、「ドイツ・レクイエム」は現代のコンサートでも目玉の演目の一つであり、聴き応え十分です。

「ドイツ・レクイエム」以降も、ブラームスは名曲を書き続け、それはどの作品も今に受け継がれて演奏されています。

これは凄いことで、ブラームスの普遍性が飛び抜けて高いことの証明です。

その端緒となった「ドイツ・レクイエム」は音楽史に残る名曲で、まだ、聴いたことがない人は是非、「ドイツ・レクイエム」を聴いてみることをお薦めします。










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