『武士』という身分は平安時代に誕生した身分で、天皇家や貴族の警護や所轄地の治安維持をすることを生業としました。
当初の武士は、貴族以上の身分とは異なり、“田畑を耕し自給自足で農作物を生産しながら朝廷で働く”という二足のわらじを履いて生計を立てました。
しかし、みなさんご存じでしょうか?
武士はもともと天皇家から分れた人々であり、武士という身分が生まれたのは天皇家の節約政策によるものだったのです。
この記事では、平氏と源氏という武士の祖の歴史から、武士という身分が作られた経緯について説明していきます。
武士の家系の源は天皇家
平安時代まで日本には武士(士族)という身分は存在しませんでした。
武士という身分が生まれるまでは常時軍を司る役職についていたのは皇子や朝廷の官吏である貴族の人々で、官僚でありながら軍人としての役割をこなしていました。
平安時代以降はそのような役職に武士がつくことになります。
武士の中でもリーダー的なポジションに位置するのは源平合戦でおなじみの平氏と源氏です。
そして平氏と源氏の家系をたどってみると、天皇から始まっていることがわかります。
平氏の祖先は桓武天皇(かんむてんのう)
『桓武天皇』と言えば、西暦794年に平安京を作って都とした天皇です。
平安京は桓武天皇が都として以来、明治維新で首都を東京都に改めるまでの約1100年間も都であり続けました。
これは世界的に見ても非常に稀なケースで桓武天皇の偉大さが伝わってきます。
そしてこちらに記述した桓武天皇ですが、10数人の女性と結婚し、名前や存在が確認されているだけでも58人の皇子と王女を生ませた子沢山の天皇です。
そして58人という数字はあくまで名前や実在の確認が取れた人々の数字なので、実際にはもっといたのではないかと考えられています。
ここまで子供が多いと天皇家の家計は圧迫されました。
天皇家の家計に困った桓武天皇は家計を節約するために次々と王女を有力な貴族に嫁がせるのですが、まだまだ家計は回復しません。
次なる節約の策として白羽の矢が向けられたのは、桓武天皇の孫の世代となる皇子です。
その皇子とは桓武天皇の孫にあたる高望王(たかもちおう)で、平安三大怨霊のひとり平将門(たいらのまさかど)の祖父にあたる人物です。
天皇は高望王に「世を平和にする」という意味を込めて名付けた平安京の「平」の1字をとって姓とし、武士の身分を与えて降格させ、天皇家から切り離しました。
そして、高望王は平高望(たいらのたかもち)と名乗るようになり、平氏の祖となりました。
このように平氏は桓武天皇を祖先とするため、「桓武平氏」とも呼ばれます。
ちなみに「平家」と「平氏」、どちらも平氏の一族を表す言葉ですが「平家」は平清盛(たいらのきよもり)一家のことを指す言葉で、平氏の中の黄金家族を意味しています。
源氏の祖先は清和天皇(せいわてんのう)
桓武天皇の世が終わりを告げ、それから数代後の『清和天皇』の治世でも同様の現象が起こりました。
清和天皇も大変に子沢山な天皇であり、名前や実在が確認されている皇子や王女は36人にものぼります。
桓武天皇の時と同様に天皇家は再び家計を圧迫されました。
清和天皇は桓武天皇の節約政策を見習い、また孫の世代にあたる皇子を武士として天皇家から切り離します。
その皇子は経基王(つねもとおう)といい、天皇は経基王に「天皇家が源流だよ」という意味を「源」の1字に込めて、「源」を姓とし、武士の身分を与えて降格させ、天皇家から切り離しました。
そして経基王は源経基(みなもとのつねもと)と名乗り、武士の二大勢力のひとつである源氏が生まれます。
このように源氏は清和天皇を祖先とするため「清和源氏」と呼ばれます。
天皇による節約政策を図解
先ほど平氏と源氏は天皇家の家計を回復するための節約政策により生まれたと説明しました。
それでは具体的にどのように天皇家の家計が改善されたのかを図解しましょう。
【子孫全員が天皇家の場合】
上の図は黒い線が血縁関係、赤い線が給料を【支払うor貰う】関係を表しています。
子孫のすべてが天皇家であった場合、皇子たちは身分相応の官職につきます。
しかし、あまりにも多いと役職もなく、仕事につかない皇子が続出します。
このような皇子たちは婿へ行く間、天皇か皇太子が面倒を見なければなりませんでした。
皇女の場合は、他の家のお嫁さんとして嫁ぐので、嫁いだ後は嫁ぎ先となった貴族が面倒をみました。
また、官職を得た皇子たちの給料は天皇から支払われました。
【子孫が武士になった場合】
先ほど武士は天皇家や貴族の警護や治安を維持する役目についたと説明しました。
子孫が武士へ降格した場合、
- 天皇から給料を支払われる武士。
- 皇太子から給料が支払われる武士。
- 貴族から給料が支払われる武士
といった具合に給料を支払う人が天皇だけではなくなるのです。
当然武士は朝廷に仕える官吏などの貴族と比べると身分が低いということもあり、給料も安くなります。
さて、みなさん図をご覧になってみて、給料の流れが「すっきりしたなぁ」と感じませんか?
このように給料を支払う仕組みを分散させることで、天皇家の負担が軽くなり、天皇家の節約政策を成功させました。
まとめ
武士が生まれた経緯は天皇による節約政策によるものであることをお分かりいただけたでしょうか?
天皇が武士という身分を与えて節約しようとしたのは、以下の要因がありました。
- 給料を支払う流れを分散させる
- 天皇家の子孫を武士へ降格し、安い給料で雇う事ができる
- あふれてしまった子孫に天皇家や貴族を警護させるなどの役目を与える
- 分家させることにより、天皇の同一家計から捻出する費用を抑える
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