大東亜共栄圏とは?経済的に見た大東亜共栄圏の危うい真実







太平洋戦争は「自存自衛」の戦いでした。

「え?侵略戦争じゃないの?」という疑問もあるでしょう。

しかし、侵略戦争であったのかそうでなかったのかを論じれば「侵略戦争とはなにか?」という定義が必要です。

 

そもそも、日米関係が決定的悪化していくことになった原因である日中戦争(当時シナ事変)は、当時世界的に認められていた日本の権益を蒋介石政権が浸食しようとしたところから始まっています。

「日貨排斥(にっかはいせき):日本の強引な政治的,経済的進出に反対する,日貨排斥を名目とする中国の民族運動。」、「侮日(ぶにち):日本あるいは日本人を侮った感情」がなぜ起きたのかまで歴史をさかのぼって分析する必要があります。

少なくとも、単純な「侵略戦争」という言葉で片付く話ではないのです。

 

どのような国家も、戦争は外交手段の破たん、最後の手段として行います。

なぜ、外交で揉めたのか?

 

そもそも戦前の日本は「食えない国民」を大量に抱えていました。

その国民をどうにか食べさせなければ「社会主義革命」が起きたかもしれないという想像を当時の為政者はしていたでしょう。実際にそのような史料も残っています。

そして、日本は「食べるため」「自存自衛」のためにアメリカとの絶望的な戦争を始めるのです。

そのときにすがった幻想が「大東亜共栄圏」でした。

 

大東亜共栄圏とはなにか?

 

大東亜共栄圏とは、日本がアジアの盟主として、欧米支配からアジア諸国を解放するためのモノであったという解釈があります。

一方で、欧米支配に取って代わって日本がアジアを支配するためのお題目であったという主張もあります。

そして、後者の主張は主に左派勢力からなされ、大日本帝国への侵略批判という形をとります。

では、実際どうであったのか?

 

そもそも日本は、当初アジア諸国の完全な独立など望んではいませんでした。

特に重要資源の算出する地域は日本直轄地とすべきという方針が打ち出されています。

さらに、独立国であっても、決して日本と対等な関係など日本は望んでいません。

 

こうすると、一見左派の主張は正しいように思えますが、彼らの批判は筋違いです。

日本はもう生きるために「自存自衛」のため、そこまで追いつめられていたからです。

とすると、それは自業自得というかもしれませんが、左派の言うように満州事変から続く国際孤立が原因となったわけではありません。

国内に抱えた「大日本帝国内の食えない日本人をどうにか食わせなければいけなかった」のです。

後知恵の批判はできるかもしれませんが、国家が他国を犠牲にしてでも生き延びようとするのは、当時でももう時代遅れであったのは事実です。

しかし、それ以外の方法に一体何かあったのでしょうか?

 

とにかく、日本は日本の生き残りをかけ、日本人の命をかけ、税金を投入し、日本の国益のために戦争を行ったのです。それが太平洋戦争です。

そもそも、日本の国益以外を目標とした戦争などあり得ません。そんな戦争は国家による国民への裏切りです。

大日本帝国は日本による資源確保と市場の確保のために計画されたものです。

そして、それは利害の対立する国があったということで「正義」、「不正義」で論ずるような話ではないのです。

 

大東亜共栄圏は日本の国益のためにあった

 

「日本はアジアの解放のために戦った」という言説を聞くことがあります。

確かに、そのような思いで戦った個人もいましたし、組織もあったかもしれません。

しかし、国家のとしての日本の戦争目的は「アジアの解放」などではありません。

それは戦争終盤に「戦争目的」となりましたが、それは戦争に勝つため(可能性はゼロに近い)の建前です。

 

そもそも、国益のため、日本のためではなく、日本人の税金を使用し、大量の日本人の命を消耗し、なぜ、アジアを解放しなければいけないのでしょう。

国家は国民の利益のためだけに動くべきであり、その点で、大日本帝国はそこまで狂っていませんでした。

大東亜共栄圏はアジアの独立ではなく、日本の経済市場をそこに創りだす、日本の国益のために考えられたものです。

それを他の国が勝手に感謝するのは自由ですが、当時の日本の本音はあくまでも「国民を食わせるため」の手段としての大東亜共栄圏だったのです。

 

大東亜共栄圏では大日本帝国の経済は支えられない

 

しかし、大日本帝国は大きすぎ、遂行する日米戦は絶望的でした。

当時の日本とアメリカの国力が隔絶していたことは、よく知られています。GDP比で10~20倍は違っていたというような資料もあります。計算方法により差があるようです。

しかし、仮にアメリカが日本の大東亜共栄圏の建設を放置して、ただ貿易を停止した状態を維持したとしても、日本は徐々に経済的に衰退し、旧ソ連が崩壊したように、大東亜共栄圏は崩壊したでしょう。

 

戦争により日本と資源地帯の海上輸送ラインは、アメリカ潜水艦により寸断されます。

そして、マリアナ陥落により、日本本土には「機雷(きらい):水中に設置されて艦船が接近、または接触したとき、自動または遠隔操作により爆発する水中兵器をいう」が散布され、有力な港の使用が困難となっていきます。

 

日本海軍も、機雷の掃海を行いますが、どうしても技術的に一歩遅れました。

そもそも、戦後のアメリカが自分たちの撒いた機雷を掃海できなかったのですから、とんでもない物を撒いたものです。(おかげで自衛隊の掃海技術は世界一となるのですが)

そして、戦争末期にフィリピンが陥落したことにより、日本の南方との海上輸送ラインは完全に寸断されます。

 

しかし、このようなアメリカ軍の行動が無かったとしても、どう考えても大東亜共栄圏の経済は上手く回るはずがないのです。

そもそも、アジア諸国は欧米の植民地であり、必要な資源を得るための「モノカルチャー経済」の国となっていました。

欧米諸国に供給する「一品」を生産すればいいのです。そして、その代わりに日用品、あるいは食料まで輸入します。

 

このような経済構造を持った国々を日本が支配し、経済を上手く回すことが出るのでしょうか?

出来るわけがなかったのです。

日本は戦争遂行に必要な食料や物資を「輸入」します。決済は「円」や「軍票」ですが、日本から物資が入ることはありません。

戦争前半であっても日本は、アジアの国が必要とする物資を輸出できませんし、本当に日本が輸出したいものは、大東亜共栄圏内にその市場がないのです。

 

大日本帝国の経済構造からみて市場にならない大東亜共栄圏

 

そもそも戦前の日本の経済はどうなっていたのでしょう。

今の日本は一般に「加工貿易」と呼ばれる形で経済を回しています。

原材料を輸入して加工して輸出します。それに、日本の「特許」「パテント」なども日本に利益を持たすようになっています。

しかし、当時の日本は「加工貿易」ではありましたが、その構造は極めてシンプルだったのです。

その図式をシンプルに表現すると以下のようになります。これは、戦後のアメリカの日本調査団の報告に基づくものです。

 

まず「生糸」です。蚕の生み出す「絹糸」です。これをアメリカに輸出します。そして外貨を得ます。

この外貨で綿花を購入します。そして綿製品を作り売ります。

主な市場はインドでした。戦前、イギリスとの間で何度も経済摩擦問題を起こしています。

この綿製品の生み出す外貨により、生産中間財や重工業に必要な資源を購入し生産を行います。鉄鋼生産、造船業など列強レベルには達していましたが、ほぼ国内需要で手一杯です。

 

このような経済のサイクルをもった日本が、大東亜共栄圏を入手しても、円を刷りまくって資源を入手する以外、その国が必要としている物を十分には供給できません。そもそも、日本国内ですら不足していたのですから。

しかも、経済の起点となる「生糸市場」はどこにもないです。綿製品もインドのような巨大市場はありません。

大東亜共栄圏では、大日本帝国の経済は支えられないのです。

 

大日本帝国の経済はアメリカに依存していた

 

結局、戦前の日本経済は今の日本以上にアメリカに依存していました。

そのアメリカとの関係が決定的に悪化したため、生き残るための、食っていくための手段として「大東亜共栄圏」を作りますが、それは決してアメリカ市場の代わりになるようなものではありませんでした。

また、中国市場も蒋介石政権が法幣という貨幣制度を整備します。

これはポンドとリンクし、円による経済支配をはねつけます。

日本は占領地域であっても法幣、もしくはドル、金などの信用できる対価が無い限り、物資の買付ができなくなってきます。

 

戦争をやる前に経済的に詰んでいた大日本帝国

 

日本の戦争計画は、大東亜共栄圏から戦争遂行に必要な資源を確保し「長期持久体制」を作ることもまず目標としました。

この点でもうすでに「アジア解放」なんてあるわけがありません。

ただ国益、日本が対米戦に勝利するための方法だけが、あったのです。

 

日本が「アジアの解放」を大きなスローガンとするのは、戦争に負けが込んできてからです。

そもそも、最初の戦争計画である「帝国国策遂行要綱」ではイギリス、蒋介石政権の屈服により、アメリカの戦意を喪失させるまで頑張りましょうというレベルのものです。

 

日本の戦時経済を大東亜共栄圏で支えることができるのか、また大東亜共栄圏は日本の戦時経済を支えることが出来るのか?

そのような考察までする余裕はなかったようです。

あったのかもしれませんが「できない」という結論がでたところで、当時の日本にはどんな選択肢もなかったでしょう。

 

アジア諸国が感謝してもそれはその国の勝手な話

 

大日本帝国の中、その精神性の中に「アジアの解放」はあったかもしれません。

ただ、具体的な政策としてそれは無かったのです。少なくとも、対米戦の戦争目標ではありませんでした。

しかし、太平洋戦争(この呼び名は当時から海軍で使われ『大東亜戦争』という正式名称は陸式であか抜けないという評価は当時からありました)、大東亜戦争、そして、左派文化人のよく使うアジア・太平洋戦争という名前――

別に名称はなんでもいいのです。

ただ、この戦争でアジア諸国が「感謝しています」という言葉を日本人が大きく取り上げることにすごく違和感を持ちます。

日本は単に日本の「自存自衛」ために戦ったのです。そして負けたのです。

 

アジア諸国が感謝するのは、それはそれで、その国の自由です。

経済大国となった日本との関係を少しでもよくできるなら、そういった言説を利用することくらいのことはするでしょう。

左翼側の主張へのカウンターとしての「アジア諸国の感謝」を持ち出すのは理解できなくはないです。

しかし、それは正確ではないという意味において、左翼側の歴史観と似たような立ち位置にあるのではないでしょうか。

 

もう戦後70年以上が経過しています。

昭和初期から見れば、戊辰戦争にまで遡れる時間が流れているのです。もう太平洋戦争は「乾いた歴史」として考察すべきではないでしょうか。












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