世界的には超有名だが、ここ日本ではなぜか一般的な認知が低く、そればかりかマイナスなイメージでとらえられ不当な扱いを受けているように感じるミュージシャンやアーティストが大勢います。
一般的に人物の名前と顔が一致し、なおかつ曲もいくつか知っているアーティストはビートルズとマイケル・ジャクソンくらいかもしれません。
それ以外にもポピュラーミュージックの世界では歴史を作ったアーティストは数知れず。
もし、音楽好きを自称する人で名前や曲を知らない人がいるのであれば、これを機に是非魅力を知ってほしいアーティストをシリーズにてお伝えしていきたいと思います。
ロックのイノベーター デヴィッド・ボウイ
2017年初頭に亡くなり世界中を悲しみに包んだデヴィッド・ボウイもやはりこの日本では正当に評価されていない世界的レジェンドミュージシャンの一人です。
世界的には珍しいヴィジュアル系といった日本独自の音楽ジャンルもボウイ無くしては生まれなかったカルチャーです。
ボウイの長いキャリアにおけるロックへの貢献度の高さについて、また、なぜ日本ではミュージシャンとしての評価が低いのかについて考察してみたいと思います。
グラムロックのスターにして日本におけるヴィジュアル系のルーツ
14歳のころに音楽に目覚め、学生時代よりバンド活動をスタートし、ソロアーティストデヴィッド・ボウイとして20歳の時にデビューという当時としては珍しくない年齢でのプロミュージシャンキャリアです。
その後スマッシュヒットを飛ばしつつもようやくビッグヒットとなる「ジギー・スターダスト」を1972年にリリースし世界的な有名アーティストの仲間入りをしました。
このアルバムが奇抜な衣装と髪型、メイクを施した中性的ヴィジュアルで一大ムーブメントを起こしたグラムロックと呼ばれる音楽ジャンルを生み出し、T-REXと共にそれまでになかった新しい音楽ジャンルの立役者として時代の寵児へとなっていきます。
この当時の奇抜な衣装や髪型、中性的なメイクや立ち振る舞いがここ日本では独自に発展し、世界に類を見ない『ヴィジュアル系』といった音楽スタイルとなり現代においても一定のファンのいるジャンルとなっています。
そういった部分でボウイはヴィジュアル系の元祖といっても過言ではありません。
またこの時代のイメージでボウイを捉えている方が多く、中性的なルックスから苦手意識へとつながっている人も多く、時代によって柔軟に変化していった音楽性にまで興味を持ってもらえない要素となっているように思います。
ロックを改革し続けたイノベーター
世界的にポピュラーミュージックの世界を大きく変えたグループと言えばビートルズで間違いないですが、ソロのアーティストといえばデヴィッド・ボウイが相応しいと思います。
まず最初に音楽シーンに変化をもたらせた1972年のグラムロック時代、その後自らそのグラムロックを早々に辞めて自分のルーツとなるアメリカのソウルやR&Bへと回帰、1974年にはアメリカにて当時の凄腕ミュージシャンをバックに「白人がいかに黒人の音楽に近づけるか」といったテーマにチャレンジし、一定の成功を収めています。
ちなみにイギリス出身のボウイもこの時代にジョン・レノンとの共作「FAME」にて全米1位を獲得しさらに世界的ミュージシャンへとステップアップしていきました。
その後1976年ころからはベルリンに移り住み、キャリアの中でも人気の高いベルリン3部作を製作。
キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップや元ロキシーミュージックのブライアン・イーノをプロデューサーに迎えてパンク全盛のこの時代にあえてスケールの大きいロックを発表しました。
ここでもあえて時代に逆らいパンク以降のシーンを見据えたロックのイノベーターの面を垣間見ることができます。
またMTV全盛の時代には再びアメリカに渡り当時の主流であったディスコサウンドを取り入れた「Let’s Dance」をリリースし、これがキャリアにおける最大の世界的ビッグヒットとなります。
この曲は日本でもCMなどに使用されているので耳にしたことがある方も多いと思います。
ちなみにちょうどこのくらいの時期に大島渚監督映画「戦場のメリークリスマス」にイギリス軍将校ジャック・セリアズ役で出演、同じく出演していたビートたけしなどと親交を深めています。
自分で創っては自分で壊す、イノベーターらしく、フォロワーが現れるともう本人はそこにはいない、その創造と破壊を繰り返すデヴィッド・ボウイは「Let’s Dance」以降も突然バンドを組んでみたり、またソロミュージシャンとしてそれまで封印していたグラムロック時代の曲もやり始めたり、リリースする作品にはテクノやハウスなどのエレクトロミュージックへの傾倒もみせたりと柔軟に活動していきます。
2000年代に入ってから以降も意欲的な製作活動をしていましたが、突然の体調不良からくる半引退状態に、かと思えば予告なしの突然の復帰など常にファンをドギマギさせてきました。
しかし2016年初頭に闘病生活を経て亡くなり、世界中が悲しみに包まれました。
時代ともに変化するボウイの必聴重要作5作
どの時代のどのアルバムも名作なのですが、その中でも特に音楽好きにはどうしても聴いてほしい必聴のアルバム5枚を厳選して紹介したいと思います。
ジギー・スターダスト 1972年
新しい時代のグラムロックというジャンルとボウイ自身をそのスターへと決定付けた歴史的ロックの名盤。
架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じるコンセプトアルバムということでボウイが演じたジギーの衣装や髪型、メイクを施した中性的なイメージは多くのフォロワーを生み出しました。
ヤングアメリカンズ 1975年
それまでのグラムロックのイメージのジギーを引退させてアメリカに渡り黒人ミュージックへ大きく傾倒した内容のアルバムで、当時は黒人のソウルと差別化するためにブルー・アイド・ソウル(青い目の人のソウル=白人のソウル)と呼ばれていました。
ソウルミュージックの本場フィラデルフィアのシグマスタジオで録音されデヴィッド・ボウイしか成しえないソウルとロックをミックスしたサウンドになっています。
ヒーローズ 1977年
アメリカからベルリンに移り住み製作した3枚のアルバムの中でも特に必聴なのがこの「ヒーローズ」です。
当時はセックス・ピストルズの登場により燃え上がっていたロンドンパンク全盛、このムーブメントは世界各地に広がりを見せていきますが、そんな時代背景にもかかわらず、その先のポストパンク時代を見据えたような威風堂々とした作品内容です。
ロック名盤としてキャリア中ナンバーワンに挙げるミュージシャンも多いのもうなずける充実の内容です。
レッツ・ダンス 1983年
再度アメリカに渡り当時流行の兆しを見せていたディスコサウンドをいち早く自分のスタイルに取り入れ、これが世界的ビッグヒットを招き世界的なアーティストと認知された楽曲「Let’s Dance」を収録した作品です。
ファンクバンド「シック」のギタリストのナイル・ロジャースをギターとプロデュースに迎え製作された当時の最新をいち早く自分のスタイルに取り入れた名作です。
ザ・ネクスト・デイ 2013年
90年代、2000年代とコンスタントに作品をリリースしながらもヒットに恵まれずにいたボウイは体調不調からほぼ引退状態となっていましたが2013年に突然のカムバックとして10年ぶりの新作を発表。
これが全キャリアの集大成ともいえる素晴らしい内容でリリースから24時間で世界27か国のiTunesチャート1位を獲得する大ヒットとなりました。
ヒットするのも納得の大傑作となっています。
多くのミュージシャンからリスペクトされ続けるボウイ
最後のアルバム「ブラックスター」をリリースした2日後に死去したボウイ、世界中が悲しみに包まれ、多くのミュージシャンがリスペクトを捧げました。
日本でもその死のニュースがワイドショーで取り上げられたり、影響を受けたミュージシャンがコメントを発表したりと話題にはなっていましたが、その(一時期の)奇抜なルックスや日本映画へ出演していた過去などが注目され重要な音楽が一般の方に認知されることは少なかったように思います。
時代の変化に敏感でその動きを感じ、ロックそのものを変革したボウイの音楽キャリアそのものがロックの遺産といっても良いほどの偉大なミュージシャンです。
彼が作り出した音楽やスタイルはいまだに多くのミュージシャンやアーティストに影響を与え続けています。
そんなボウイの大いなる遺産に興味を持っていただき死後のこれからもデヴィッド・ボウイのファンが増えることを願うばかりです。
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