ヨーロッパには“魔橋”、あるいは“悪魔の架けた橋”と呼ばれるものが数十有ります。
フランス、スイス、イタリア、イギリスなどに点在するそれらは、人間が近寄れそうもない断崖絶壁に架けられた橋で、悪魔が造ったあるいは悪魔と契約した人間が造ったと伝えらえています。
昔の人々の「自分たちはありがたく使わせてもらっているが、こんな崩れそうな足場の悪い所に、人間の力で橋が架けられるはずが無い。神様か悪魔様か知らんが、ありがたやありがたや」との思いが、以下にご紹介するような物語を生みました。
魔橋の条件
魔橋と呼ばれている橋にはどのような条件があるのでしょうか?
まず第一の条件は、人間の力では架けられそうにもない危険な場所に架かっていること。
そしてその橋が、地域住民の普段の生活に無くてはならない物であること。
「あんなトコに立派な橋架けてもろたけど、何の役にも立たんなぁ」ではダメです。
尚且つその地方の経済、軍事にとって極めて重要な役割を果たしていること。
これらの諸条件を満たしてこそ、初めて“魔橋”と呼ばれるのです。
どうして出来た魔橋伝説
およそヨーロッパで、古代ローマ時代に造られたとされる橋の有るところには、ほとんど全て魔橋伝説が残っています。(実際には1000年~1600年頃に作られた物も多い。)
時々テレビでも紹介されていますが、ローマの石橋は造形の美しさと共に、現在の技術を以てしても「どうやって作ったのだろう?」と首をひねりたくなる、高度な架橋技術が駆使されています。
しかしこの優れた技術は、時と共に失われてしまったのです。
どこの国へもどの技術者や職人へも、引き継がれることはありませんでした。
時の経過とともに、あの素晴らしい橋は人間が作ったのだと言う記憶も忘れられて行きました。
ガリレオ裁判の例を持ち出すまでも無く、中世の教会はしばしば新しい知識や思想、優れた技術を眼の敵にし、抑圧して来ました。
人々に感謝され驚きをもって迎えられる優れた技術は、“神のみわざ”をしのぐものと捉えられてしまうと恐れたのでしょう。
人間が、神以上の知識や知恵を持ってはならなかったのです。
自分たちがおごそかにもったいぶって説く“神のみわざ”を、人間ごときが軽々と超えてしまっては、たまったものではありません。
教会の権威に係わります。
人間の優れた技術によって架けられた橋だと思う事を禁じられた庶民は、いつしか悪魔のしわざと語り伝えるようになったのです。
ロイス川の魔橋
13世紀初頭、スイスウーリ州、シェ-レネン渓谷に、イタリアやドイツとの通商、軍用を目的とした南北貫通道路が拓かれました。
そしてこの渓谷の北部ロイス川の激流をまたいで花崗岩の絶壁に橋が架けられます。
架橋技術を持ったチューリッヒ近郊の僧院の僧たちの力が大きかったと記録には残されていますが、出来上がった橋は“神橋”ではなく“魔橋”と呼ばれてしまいます。
その橋にまつわる物語とは以下のような物です。
ウーリ州近在の村人たちは、この川を越せる橋が有ればどんなに助かるかとの思いで、何度も橋を架けようと力を合わせます。しかし余りの難所のため何度架けても崩れ落ちてしまいます。
「人の力では無理だ。こんな橋は悪魔が架ければいいんだ。」と1人の村人が思わず口を滑らせました。その言葉が終わらないうちに、耳ざとく聞きつけた悪魔が目の前に立って居ました。
「よろしい、それなら俺様が造ってやろう。だが、出来上がった橋を最初に渡るものの魂は頂くぞ。」今さら嫌とも言えず、村人はその約束を承知します。
翌朝、さすがは悪魔、あれほど手こずった橋は一晩のうちに立派に出来上がっていました。
そこへ自慢げにやって来た悪魔、「さあ、約束通り橋は造ってやったぞ。俺様に魂を抜かれるのはどいつかな?」
そう言われても誰も魂など抜かれたくありません。お互いにしり込みしていると、その中に知恵のある村人が居ました。連れて来たヤギをけしかけて、橋を渡らせてしまったのです。
悪魔はカンカンになって怒りましたが、“人間の魂”とことわっておかなかったのは自分の手落ち。そのままスゴスゴと手ぶらで帰って行きましたとさ。
その他の魔橋
どの魔橋にも同じような物語が伝えられています。
- 自分たちの力では出来ないことに困り果てた人間
- 悪魔がやって来て代わりに引き受ける
- しかし代償に人間の魂を要求する
- 作業完了。
- しかし悪魔は人間に出し抜かれて、結局魂を手に入れられずスゴスゴ退散
大体これが王道のパターンです。
魔橋の所在地
他にもありますが、魔橋と呼ばれる橋を少しご紹介します。
イギリス
カンブリア州カークビー・ロンズデール
フランス
ラングドック・ルシヨン地域圏エロー県
イタリア
トスカーナ州ボルゴ・ア・モッツァーノ
ヴェネト州トルチェッロ
終わりに
不思議なことにヨーロッパの民衆は、人智を超えたこれらのわざを神や聖人のおかげとはしませんでした。
悪魔が作ってくれたものとしたのです。
その代わり当然のごとく見返りはきっちり要求されましたが。
日本ですと役小角は“久米の岩橋”を弘法大師は紀州串本から向かいの大島への橋を鬼神を使役して架けようとしてくれたのですがね。
この辺りに教会と民衆との関係が反映されているのでしょうか。
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