今も多くの人に愛され続ける偉大なジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト







ステファン・グラッペリのヴァイオリンとの相性抜群の超絶技巧のギター演奏に一聴しただけで頭をごつんと殴られたかのような衝撃が走る偉大なギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト

ジャンゴは、ギタリストとしては致命的なけがを負い、左手の薬指と小指が不自由というハンディキャップがありながらも、独自の奏法を編み出して、超絶技巧の凄まじい演奏で聴くものを釘付けにさせるのです。

 

相棒のステファン・グラッペリの軽やかなヴァイオリンは、時に鬼気迫るほどに迫力満点のジャンゴのギターに小気味よさを加え、そんな二人の対比は絶妙この上なく、今も全く色あせないジャズ・ナンバーを聴かせています。

ここではそんな偉大なギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの魅力を書きたいと思います。

 

ジャンゴ・ラインハルトの略歴

ベスト・オブ・ジャンゴ・ラインハルト

ジャンゴ・ラインハルトは1910年1月23日にベルギーで生まれ、1953年5月16日に脳出血で亡くなりました。

享年43です。

そんな短い人生ながらも、ジャンゴ・ラインハルトの影響は絶大なものがあります。

 

両親はロマと呼ばれる欧州で国境を越えて移動しながら生活する人たちに属し、旅芸人の一座に在籍していました。

ロマは、第二次世界大戦中にナチスの迫害を受けたことでも知られています。

両親がベルギーのリベルシーに滞在しているときにジャンゴは生まれたのです。

 

ロマの一員のジャンゴは欧州各地を旅しながら成長してゆき、ギターやヴァイオリンの演奏を成長とともに身に付けました。

1920年からジャンゴはフランス・パリを根城に活動し始めます。

ジャンゴは10代前半からダンス・ホールなどで音楽活動を始めていました。

1926年、ビリー・アーノルドのバンドの演奏を聴いてからジャンゴはジャズにののめり込むことになります。

 

1928年10月26日未明、ジャンゴはキャラバンで起きた火事を消そうとして半身に大やけどを負ってしまうのです。

ジャンゴの右足は麻痺し、ギターの弦を押さえるギタリストとして命の左手の薬指と小指に障害が残ってしまったのでした。

医師からはもう二度とギター演奏はできないといわれたほどの大けがだったのです。

しかし、ジャンゴは猛練習の末に独自の奏法を編み出し、左手の三本の指のみで、それは奇跡といっていいほどの超絶技巧の演奏スタイルを確立したのです。

 

1931年、盟友の仏人のヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリと出会います。

この出会いもまた、奇跡といっていい組み合わせだったのです。

 

1934年、グラッペリらと弦楽器のみで編成されたバンド、フランス・ホット・クラブ五重奏団を結成し、ジャンゴの快進撃が始まりました。

しかし、時にジャンゴは身に染みていた旅生活を懐かしむようになり、公演をすっぽかしたり、遅刻をしたりするようになります。

 

1939年、イギリス・ツアーを行っていた最中に第二次世界大戦が起こります。

グラッペリはイギリスに残りますが、ジャンゴらはフランスに帰国します。

しかし、フランス・ホット・クラブ五重奏団はあえなく解散してしまいます。

 

ジャンゴはナチス・ドイツにフランスが占領されても音楽活動を続け、1940年12月13日に録音された「Nuages」は10万枚を超える売り上げを記録し、大ヒットします。

 

1946年、戦争が終わるとジャンゴはグラッペリがいるイギリスに渡り、再び共演を果たします。

同年、ジャンゴはデューク・エリントンの招きで、初めてのアメリカ・ツアー敢行します。

 

1949年、グラッペリとともにイタリア・ローマにわたり、イタリアの音楽家との共演をクラブなどで重ね、その時の録音が「ジャンゴロジー」というLPにに残されています。

 

この後、ジャンゴは家を売り払って旅生活に戻り、キャラバンの先陣を切るためにリンカーンを買いました。

しばらくは仏のル・ブルジェ周辺で旅芸人生活を送ります。

 

1951年、仏のセーヌ=エ=マルス県に家を借ります。

1953年、ジャズ・ジャイアンツの一人、ディジー・ガレスピーと共演しています。

同年5月、スイス公演中にジャンゴは指の障害と頭痛に悩まされることになるのですが、ジャンゴは病院へゆくことは頑として拒んだのです。

時を同じくして、これまたジャズ・ジャイアンツの一人、ビング・クロスビーがジャンゴをスカウトしに仏に来ていたのです。

しかし、二人は会えずじまいで、仏に帰国する途中にそれを知ったジャンゴは「自分にはもう運が向いてこない」と不吉な予感を感じたといいます。

 

同年、5月16日仏に帰国した翌日に友人の店でジャンゴは倒れ、その日の夕方に死去しました。

 

超絶技巧も凄いけれども

ジャンゴ・ラインハルトといえば、その超絶技巧の演奏に注目が行きがちです。

しかし、ステファン・グラッペリといかにも楽しそうに演奏するジャンゴのギターも味わい深くて、硬軟織り交ぜてのジャンゴの演奏には舌を巻きます。

また、ジャンゴはボーカリストの伴奏をした録音も残していて、その時の決して出しゃばらない演奏はさすがの一言で、ジャンゴほど音楽を知り抜いていた人もいないのではないかと思います。

 

それにしてもジャンゴとグラッペリの共演は、なんと楽しく、そして、ジャンゴのどんな演奏をも受け止めてしまう名ヴァイオリニスト、グラッペリの演奏なくしてジャンゴの演奏も考えられないほどに二人の相性は抜群なのです。

ジャンゴが聴かせればグラッペリは引き、グラッペリが聴かせればジャンゴが引き、はたまた、ジャンゴとグラッペリのお互いの即興でのやり取りも一流で、見事という外ありません。

 

ジャンゴ・ラインハルトの業績

 JAZZBEST Django Reinhardt

ジャンゴはロマの音楽、俗にいうジプシー音楽とジャズを見事に融合させた功績が一番で、アメリカのジャズにはないジャンゴ独特の音楽世界は、まるでサーカスを見ているかのような幻想的で、ハラハラドキドキの演奏スタイルなのです。

また、ジャンゴのギターが鳴った瞬間に胸が躍るこの感じは、やはり、ロマの音楽が下地にあったためであり、それだからこそジャンゴは独自の音楽を生み出せたのでしょう。

 

早世してしまったのは実に惜しいのですが、しかし、ジャンゴはそれだけギター演奏に命を懸けていたともいえ、ジャンゴ&グラッペリの共演した名演奏の数々は、人類の宝といっていいほどのものです。

 

それにしても、なんて楽しい演奏なのでしょうか。

また、なんと壮絶な演奏なのでしょうか。

 

まとめ

 

ロマが生んだ偉大なるジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトは仏を拠点に活動していましたが、演奏旅行にもしばしば行っていて、特にローマでの録音は多くの人が知るところです。

 

ロマの音楽とジャズを融合させ、心揺さぶるなんともいえない心地よい気分に時にさせられ、また、時に見せるジャンゴの鬼気迫る壮絶なギター演奏は、たぶん、大けがを負って左手の薬指と小指が不自由だったこととも関係しているように思います。

 

太く短く生きたジャンゴ・ラインハルトの名演は、いつまでも聴く人の心を打つものです。

そこにステファン・グラッペリのヴァイオリンが加わるだけで、物凄く奥深くも軽やかな音楽世界が表出され、この音楽世界は独創的で、ジャンゴ独自のものなのです。












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