北条氏が執権政治で行ったことと言えば、必ずと言っていいほど御成敗式目(貞永式目)が出てきます。
本記事では御成敗式目(貞永式目)の内容と、御成敗式目が制定されるに至った経緯について説明します。
御成敗式目(貞永式目)とは
『御成敗式目(貞永式目)』は西暦1232年、鎌倉時代に『北条泰時(ほうじょうやすとき)』が制定したとされる法律です。
御成敗式目(貞永式目)は武士が登場し始めた平安時代からの武士の習慣、源頼朝(みなもとのよりとも)以来の先例、道徳をもとにして定められました。
また、御成敗式目(貞永式目)は歴史上初の武士のための法律であり、江戸時代に武家諸法度(ぶけしょはっと)が制定されるまでの長きにわたって武士の規範とされてきました。
御成敗式目(貞永式目)は当時前代未聞の大規模な法律
聖徳太子が17条の憲法を制定して以来、日本の法律は17条でワンセットとなることが多くありました。
そのため、御成敗式目(貞永式目)ができる以前の法律やそれ以降の建武式目(けんむしきもく:後醍醐天皇が建武の新政で定めた法律)、江戸時代の皇族貴族を取り締まる禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)も17条で構成されています。
さて、御成敗式目(貞永式目)の場合はどうなのかというと、17条が3セット、なんと全部で51条で構成されています。
これは当時としては前代未聞の大規模な法律でした。
御成敗式目(貞永式目)ができた経緯
御成敗式目(貞永式目)ができるまでの日本は国の法律として律令(大宝律令)を用いていました。
しかし、律令は主に貴族に関する取り決めが多く、武士や庶民の生活に見合っていませんでした。
そのため、武士たちは互いに約束事を交わしたり、思いやりや譲り合いをして問題を解決していました。
それでも解決できないときは上司に判断を委ねたり、殴り合いや斬り合いの喧嘩に発展することもありました。
承久の乱で鎌倉幕府が朝廷に勝利すると、武士が支配する土地は近畿地方を中心として急速に西日本へ広がりました。
そうなると、もともと土着していた武士と新しく赴任してきた武士との間で土地や仕事、権限などを巡るトラブルが頻発するようになります。
北条泰時はまずトラブルを解消するための裁判をスムーズに行うため、裁判をする専門の御家人で構成された評定衆(ひょうじょうしゅう)という機関を置きます。
しかし、それでもトラブルは尽きることがなく、日増しに評定衆の仕事は増えていくばかりです。
北条泰時はこのままでは全国の武士をまとめることが難しくなると予想し、評定衆に御成敗式目(貞永式目)の立案を命じたのです。
このような経緯があり、西暦1232年に日本史上初、武士のための法律が誕生しました。
御成敗式目(貞永式目)の内容
御成敗式目の主な内容を以下にご紹介します。
【神社・寺について】
- 神社を修理、改築し祭りを大事にせよ。
- 伝統ある祭りや習慣をおろそかにしてはいけない。
- 領地を持つ小さな神社は自分たちで修理をし、手に負えないような大きな神社は鎌倉幕府に報告すること。鎌倉幕府は報告内容をよく調べた上で最善の手段をとる。
- 僧侶は寺、仏塔の管理を正しく行い、日々の勤行励むこと。
- 寺のものを勝手に使用する者、つとめを怠ける僧侶は直ちに追放せよ。
【守護の仕事や職権について】
- 守護の代官は1人限定。守護の仕事は大番催促、謀反人、殺人犯の取り締まり、強盗、山賊、海賊の取り締まりをすること。
- 重い罪を犯した罪人については丁寧に取り調べたうえでその結果を鎌倉幕府に報告し、鎌倉幕府からの指示に従うべし。また、守護が勝手に罪人から所領や財産を没収することを禁ずる。
【御家人の領地について】
- 頼朝公以来源氏3代、および政子様から与えられた所領は訴えがあってもその権利を奪われることはない。
- 領地は本来御家人の戦功、役人としての働きに応じて与えられるもの。領主が御家人に対して「先祖伝来の領地だから」と訴えても取り上げない。
- 頼朝公が定めた通り、御家人が20年間その土地を支配していれば元の領主に返還しなくてよい。
【犯罪への対応について】
- いかなる理由でも殺害をしたら殺人罪に問う。また、罪を犯した当人以外の父子は無関係ならば罪に問わない。
- ケガをさせてしまったときは傷害罪とする。また、罪を犯した当人以外の父子は無関係ならば罪に問わない。
- 夫が重罪を犯した場合は妻の領地も没収する。
- 悪口は争いを招く。重い悪口を言ったものは流罪、軽い場合でも牢に入れる。また、裁判中に相手の悪口を言った場合はその時点で言った方を負けとする。
- 御家人が相手に暴力をふるったときは流罪、それ以外は牢に入れる。
- 書類を偽ったものは所領を没収する。
【財産、土地の相続について】
- 女子にも親の財産、土地を相続させることができる。
- 相続権のある子が死んだ場合、親は自由に相続する相手を決めてよい。
- 夫婦に子がない場合、養子を迎えて相続してよい。
- 妻に非があって離縁した場合、妻は夫から所領を譲り受けることができない。夫に非があって離縁した場合は譲ってしまった財産、所領を取り返すことはできない。
- 離縁した先妻との間に生まれた子が後妻やその子に家を追い出された場合、長男が相続した分の5分の1を譲りうけることができる。
- 御家人の婿になった公家は武士として働くこと。公家出身であっても婿になれば身分は武士とし、実家の権威を傘にきて御家人の勤めを怠った者には相続権を認めない。
【裁判について】
- 担当裁判官がいるのに他の裁判官に依頼した場合は休廷する。
- 判決に不服申し立てをすることを禁止。
- 裁判所からの呼び出しに応じない場合は原告のみで裁判を行う。
- 以前の境界線を持ち出して領地を広げようとすることを禁止。
【犯罪や禁止事項】
- 人妻と不倫することを禁止。
- 犯罪者をかくまうことを禁止。
- 窃盗、放火の禁止。
- 朝廷や正統権利者から土地を奪うことの禁止。
- 鎌倉在住の僧侶が官職を望むこをを禁止。
- 逃亡した農民の財産を奪うことを禁止。年貢に未納があれば未納分だけ没収する。
- 他人の領地を奪い年貢を奪うことの禁止。
- 判決前に免職することを禁止。
- 裁判の被告人に書面で脅すことを禁止。
- 所領の売買を禁止。
まとめ
御成敗式目(貞永式目)は急速に武士の支配が広がり、武士や庶民の生活に見合う取り決めが必要になったので定められました。
御成敗式目(貞永式目)の内容をよく見ると、武士の仕事、土地、相続、犯罪、禁止事項、権利に関する取り決めが多いです。
御成敗式目(貞永式目)は武士を取り締まると同時に武士の生活を守るための法律でした。
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