平安時代は雅な貴族たちが日本独自の文化を多く作り出していった時代です。
その貴族たちは次々と独自の「遊び」を作り出し、今ではその遊びに使っていた道具や、遊びそのものが学問や歴史的史料などの重要文化財として今日に伝えられています。
この記事では、そんな平安時代の貴族が考え出した遊びの中から、現代でも様々な形に変化しながらも伝えられているものについてご紹介します。
平安時代の貴族が教養を競った遊び「歌合せ」

ここでいう歌とは5・7・5・7・7の定型化された文字数で構成される短歌のことです。
歌合わせではまず貴族たちが東西に分かれて競った歌合戦でした。
歌合わせの詳細は以下のような手順で行われました。
- 天皇や有力な貴族が主催者となってお題を決める
(お題は事前に伝えられている場合とその場で決められる場合がありました。) - 東西のどちらかのグループから順に歌を詠む
- 2で歌を詠んだ貴族に対面する貴族は、その答えとなる返歌を即興で詠む
- 主催者がどちらの歌が優れているのかを判定する
歌合せは貴族たちの社交の場、そして貴族たちが自分の教養の高さをアピールする遊びでした。
現代でいうところのゴルフと同じような扱いだったものと考えられます。
歌合せは遊びとはいえ、貴族たちにとってはかなりのプレッシャーを伴うイベントでした。
平安時代は歌がうまいほど教養が高いと言われていて、歌のうまさが自分の人間関係や出世に直結し、さらには女性が結婚相手を決める際の基準としていました。
歌合わせで詠まれた歌は万葉集や古今和歌集に収録され、それが後の古典や俳句、短歌などの学問へと発展していきました。
平安時代の正月遊びの定番 たこあげのルーツ 紙鳶(しえん)のぼり

平安時代には中国からおもちゃなども輸入していました。
中国から輸入され現代でも引き継がれている遊びのなかに紙鳶のぼりがあります。
この遊びは正月遊びの定番であるたこあげのルーツです。
紙鳶のぼりは竹ひごを組み合わせたり曲げたりして鳶(とび)が羽を広げているような形をつくり、それに紙を貼って鳶の顔や羽などの模様を描きました。
紙鳶のぼりはもともと合戦時に指令を送る合図として使われていたのですが、これが中国の王族や貴族の間で大流行しました。
日本に輸入された当初は貴族の間だけで遊ばれたのですが、それがいつしか武士が真似るようになり、江戸時代には庶民からも親しまれるようになって社会問題に発展するほどの大ブームとなりました。
また、たこあげに使われる“たこ”と紙鳶はまったく形が異なります。
たこは四角形で本体の下部には紙の足が取り付けられています。
形を四角形にしたことで誰でも紙鳶を作れるようになり、大量生産されるようになりました。
そして取りつけられた紙の足がおもりの役割を果たして紙鳶の飛行が安定し、滞空時間が長くなりました。
元祖神経衰弱? 貝合わせ遊び

貝合わせがビジュアル性に富んだ遊びで別名「絵合わせ」とも言われました。
貝合わせには蛤などの二枚貝の貝殻に絵が描きこまれているものを使います。
貝殻には同じ絵が2枚ずつ描かれていました。
貝合わせの遊び方は、1ターン毎に2枚ずつ貝殻をめくり、同じ絵をそろえることができればその貝殻を自分のものにすることができます。
そして最終的にいちばん多くの貝殻を持っていた貴族が勝ちというシンプルなルールでした。
同じ数字をそろえるトランプの神経衰弱に似ていますね。
貝合わせに使われた貝殻には紫式部が書いたことで知られる源氏物語の場面を描いたものが作られ、歴史的に重要な史料となっています。
貴族の娘たちから多くの人気を得た 雛(ひいな、またはひな)遊び

雛遊びは平安時代の貴族の娘たちの間で根強い人気を博した遊びで、とても重要なものです。
なぜ重要なのかと言いますと雛遊びは3月3日の桃の節句で飾ることでおなじみの雛人形のルーツとなっています。
また、おままごとの原点ともいえる遊びであり、雛遊びがなければ雛人形やリカちゃん人形などもこの世に生まれることはなかったでしょう。
雛遊びはもともと雛流しと呼ばれていた儀式が遊びへと発展したものになります。
雛流しは陰陽師がよく式神を召喚するときに使う紙人形を依り代として、自分の穢れ(罪や病気、ケガなど)をうつし、紙人形を自分の身代わりにとして川や海に流す儀式です。
雛遊びの詳細は、木や紙でできた寝殿のミニチュアの中で紙人形を操り、生活や仕事の様子を演出する遊びでした。
貴族の娘たちは自分の思い描く将来の結婚生活や仕事での成功を想像して紙人形を操りました。
雛遊びは3月3日の桃の節句に遊ばれることが習慣となり、それが雛人形を飾る由来となっています。
女の子はいつの時代も結婚生活に関わる遊びをしていたのですね。
貴族が武術の稽古を目的とした残虐な遊び 犬追物

貴族の男子が修めなければいけないもののひとつに武術があります。
武術とひと口にいっても弓術や馬術、剣術、槍術などいろいろなカテゴリがあるのですが、馬術と弓術の稽古を目的とした犬追物という遊びがありました。
人間が馬に乗り、放された犬を追いかけて弓で射るという現代で考えれば残虐な遊びでした。
犬追物の射形は近くの的を狙うのに最適で、流鏑馬や弓道にその射法が引き継がれています。
まとめ
平安時代の貴族が行っていた遊びには現代において学問や重要文化財へと発展したものがありました。
それでは次に貴族の遊びがなにへと発展したのかまとめてみましょう。
- 歌合わせ→短歌・俳句・古典などの学問
- 紙鳶のぼり→正月遊びの定番 たこあげ
- 貝合わせ→神経衰弱のルールや源氏物語関連の歴史的な史料
- 雛遊び→雛人形やおままごと
- 犬追物→流鏑馬や弓道の射法
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