京都市内から北へ約12km、比叡山の麓に大原の里があります。
四季の自然に囲まれたこの地に、飛鳥時代から続く尼寺「寂光院」が、ひっそりと佇んでいます。
苔むした趣のある石段を登りきると、あらゆる苦しみから救ってくださる地蔵菩薩が、参拝者を迎えます。
心ない放火により本堂は全焼しましたが、2005年に再建され、新たなお地蔵様が安置されました。
大原三千院と並び女性に人気の寂光院の歴史と、建礼門院徳子の人生をたどりながら、平家物語の世界へとご案内しますのでお楽しみください。
地蔵菩薩に祈願した、女性たちの想いが今に伝わる寂光院
天台宗の尼寺「寂光院」は、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために、創建したと伝わります。
空海の創建とも、延暦寺三千坊(堂塔が3千あった)のひとつとも言われていますが、詳細は不明です。
当初のご本尊は、聖徳太子作の六万体地蔵尊と伝わり、焼損したご本尊は、鎌倉時代作の地蔵菩薩立像です。
初代住持は、聖徳太子の乳母「玉照姫」ですが、それから第2代住持とする阿波内侍(あわのないじ)までの、約570年間の史料はありません。
第3代住持の建礼門院徳子(平清盛の二女、安徳天皇の母)は、壇ノ浦の合戦で入水後、出家して平家一門と我が子の菩提を弔いながら、一生を終えました。
義父の後白河法皇が訪ねてくる場面は、大原御幸(おおはらごこう)として、平家物語の最後を飾ります。
豊臣秀吉の時代には、淀殿が亡くなった長男・鶴松の冥福を祈り、寂光院の修復を行っています。
また、次男・秀頼の将来を案じて、子供を守ってくださる地蔵菩薩に祈願したと伝わります。
放火前の本堂は、豊臣秀頼や徳川家康などの尽力により、平家物語当時の様式を残していました。
再建された現在の本堂は、5年の歳月をかけて古式通りに復元され、創建当時の趣を偲ばせます。
平家物語の舞台|寂光院の略年表
- 推古2年(594)厩戸皇子(うまやどのみこ:聖徳太子)が、父の用明天皇の菩提寺として創建したと伝わる
- 永万元年(1165)阿波内侍が入寺し、第2代住持となる
- 文治元年(1185)9月に建礼門院徳子が入寺し、真如覚比丘尼と称す 閑居し、第3代住持として終生を過ごす
- 文治2年(1186)4月下旬に、後白河法皇が建礼門院を訪れたと伝わる(大原御幸) 右京大夫(うきょうのだいぶ:女流歌人、徳子に仕えた)も建礼門院を訪ねる
- 建久3年(1192)藤原隆房の北の方が、建礼門院坐像を納める
- 建保元年(1213)建礼門院徳子、58歳で死去
- 安貞2年(1229)旧本尊の地蔵菩薩立像(六万体地蔵尊)が造立される
- 慶長8年(1603)豊臣秀頼の寄進により、本堂の外陣(げじん:参拝者の礼拝の場)を再興 淀殿や徳川家康も復興に尽力したとされる
- 文化10年(1813)豊臣秀頼の二百年御忌が催される
- 文化12年(1815)徳川家康の二百年御忌が催される
- 明治元年(1868)延暦寺の末寺(天台宗)となる
- 昭和4年(1929)昭和天皇の即位の御大典に使用された部材で、茶室「孤雲」を造る
- 昭和61年(1986)本尊の地蔵菩薩立像が重要文化財に指定、次いで像内納入品と地蔵菩薩小像も追加指定される
- 平成12年(2000)放火により本堂は全焼、ご本尊が焼損し、建礼門院坐像や阿波内侍坐像なども焼失する 汀の桜や千年姫小松も被災
- 平成16年(2004)ご神木の千年姫小松(樹齢1000年)が枯死
- 平成17年(2005)本堂が再建され、本堂落慶と新本尊(地蔵菩薩立像)の開眼供養が催された 千年姫小松を伐採
- 平成18年(2006)宝物殿「鳳智松殿(ほうちしょうでん)」が、復興を記念して開館する
栄華から滅亡へ、波乱の人生を歩んだ「建礼門院徳子」
平徳子(たいらのとくこ)は1155年、平清盛と時子(のちの二位の尼)の二女として生まれました。
1171年、高倉天皇(当時12歳、後白河上皇の皇子、母は時子の妹)に入内(内裏に入ること)し、女御(妃)となります。
1178年に、徳子は男子(のちの安徳天皇)を出産、名を「言仁」とします。
1180年には、3歳の安徳帝が皇位につき、高倉天皇は上皇となり院政をしきました。
1181年、病床にあった高倉上皇が、21歳の若さで亡くなり、徳子の父・清盛も熱病で死去しました。
この年、徳子は後白河法皇から、「建礼門院」の院号を受けます。
1183年、木曾義仲の軍に敗れた平氏は都落ちを計画、兄の平宗盛の指示で徳子は、安徳天皇と三種の神器を携えて、西国へと逃げます。
1185年3月、壇ノ浦の戦いで源義経に敗れ、源氏に包囲された御座船から入水した時子と安徳天皇(8歳)の後を追い、徳子も冷たい海へと飛び込みました。
しかし、徳子だけが源氏方に熊手で引きあげられ、都に護送されます。
一説には、時子が「平家の菩提を弔うために生き延びよ」と、徳子に命じたとも言われています。
兄の宗盛は斬首されますが、徳子は放免されて洛東で出家し、その後寂光院に入りました。
真如覚比丘尼と称し、夫の高倉上皇や息子の安徳天皇、滅亡した平家一門の菩提を弔い、庵室の阿弥陀三尊にひたすら祈り続けて、終生を過ごしました。
1213年、阿波内侍に看取られ、徳子は58年の生涯を静かに閉じたとされていますが、没年には諸説あります。
ちなみに阿波内侍は、大原女(おはらめ:薪売りの女性)のモデルで、京都三大漬物の「しば漬け」を始めたと言われています。
春と秋には、「大原女まつり」が開催されますよ。
栄華を極めた平清盛の娘として生まれ、皇后そして天皇の母となり、やがて平家の滅亡の後に尼僧となりました。
権力に翻弄される一生を送った徳子も、最後は愛しい我が子のために、一人の母親として地蔵菩薩に冥福を祈ったのでしょう。
本堂の北奥には、建礼門院御庵室跡があり、その右手奥に、徳子が使ったと伝わる井戸が残っています。
諸行無常、盛者必衰、因果応報をテーマにした平家物語
平家物語は、平家一門の栄華と滅亡の歴史、約30年間を描いた軍記物語です。
寂光院に伝わる平家物語は、後白河法皇の「大原御幸」をメインに、建礼門院徳子の晩年が描かれています。
建礼門院徳子が出家した翌年、1186年4月下旬に義父の後白河法皇が、徳子の身を案じて寂光院を訪れます。
公卿(くぎょう:公家の最高幹部)6人、殿上人(てんじょうびと:官職上位で昇殿を許された人)8人のみをお供とした、お忍びの御幸(天皇、上皇、法皇などのお出かけ)でした。
徳子は花摘みに出ており、かつて宮中で徳子に仕えていた阿波内侍が、法皇を出迎えます。
年老いた尼が阿波内侍だと、法皇に気付かれず、阿波内侍は己の衰えを嘆き、泣き崩れました。
やがて、花摘みから戻った徳子は、法皇の訪問に驚き、変わり果てた自分の姿を恥じ、立ちつくします。
阿波内侍に促された徳子は、やっとの思いで法皇と対面し、侘びしい庵へと招き入れて、己の一生を話し出します。
平清盛の娘として生を受け、何不自由ない暮らしから一転、都落ちし源氏に追われて、壇ノ浦での入水まで、涙ながらに法皇に語りました。
そして、平家一門のために、仏道修行に励む決意を法皇に伝えます。
話を聞き終えた法皇の車が遠ざかると、徳子は泣く泣く御本尊に向かい、我が子と一門の冥福を一心に祈りました。
やがて病に倒れた徳子は、大納言佐の局と阿波内侍に見守られ生涯を終え、平家物語の幕が降ります。
一説には徳子は、栄華な暮らしに未練が強く、己の身の不運を嘆いて暮らしたとも言われています。
また、後白河法皇の御幸そのものが疑わしいとの説もあり、史実は不明です。
放火による受難と復興
2000年5月9日未明、静寂のなか、火災を知らせるベルが鳴り響きます。
本堂に近づくと、火の粉が噴き上がり、火柱で夜空が真っ赤に染まっていました。
近隣の住民が必死に水をかけましたが、火勢は弱まらず、ついに本堂は全焼してしまいます。
現場検証では、18リットルほどの灯油がまかれた形跡が認められ、建造物放火の疑いで捜査されましたが、時効を迎えてしまいました。
本堂に安置されていた御本尊の地蔵菩薩立像(2.56m)は、無残にも真っ黒に焼けこげましたが、奇跡的に胎内の納入品は無事でした。(立像は特別拝観で公開されます)
17個の桐箱に収められた教典などの貴重品と、3417体の地蔵菩薩小像は、ご本尊に守られたようです。(宝物殿に安置)
消失した本堂前では、住持が毎朝手を合わせ、本堂の少しでも早い復元を目指して祈り続けました。
人々の願いと努力により、5年後に本堂が復元され、新本尊の開眼供養が催されました。
旧本尊と同じ形と大きさに復元された地蔵菩薩立像は、美しく彩色され、鎌倉時代の造立時を偲ばせます。
寂光院の基本情報
拝観時間
9:00~17:00(3月1日~11月30日)
冬季は16:30まで、正月三が日は10:00~16:00
拝観志納金
600円
宝物殿(鳳智松殿)
観覧は無料 平家物語ゆかりの文化財等を紹介
※宝物殿のご案内 http://www.jakkoin.jp/houmotsuden.html
特別公開
春と秋に特別拝観が催されることがあります。
過去には、旧本尊の地蔵菩薩立像が公開されました。
※特別拝観のご案内 http://www.jakkoin.jp/html/news/news_18_04.html
アクセス
京都駅烏丸口から京都バス17番・18番「大原行き」に乗車、バス停「大原」下車、徒歩15分(所要時間75分)
市営地下鉄「国際会館駅」から、京都バス19番「大原行き」に乗車(60分)
京阪電車「出町柳駅」から、京都バス10番・16番・17番「大原行き」に乗車(50分)
京阪電車「三条京阪駅」から、京都バス16番・17番「大原行き」に乗車(55分)
駐車場
300円 50台
お問合せ
TEL 075-744-3341
住所
〒601-1248 京都市左京区大原草生町676
寂光院公式サイト
http://www.jakkoin.jp/
平家物語に浸る、寂光院の参拝
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」で始まる、平家物語の舞台となった尼寺「寂光院」をご紹介しました。
宝物殿には平家物語写本や大原御幸絵巻、安徳天皇像などが展示され、平家物語と建礼門院徳子の世界を堪能できますよ。
また、本堂前の「汀(みぎわ)の池」と桜は、物語で描かれた当時の趣を残しています。
庭園に咲き乱れる花々や、秋の紅葉も有名で、参道の紅葉のトンネルは秀逸です。
大原三千院に参拝のおりは、ぜひ寂光院まで足を伸ばしてみて下さいね。
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