日本人にとって「お箸」は毎日の食事で使用する欠かすことのできない必須アイテムです。
欧米諸国の人々は日本人の真似をしてお箸を使い始めるようになったそうなので、お箸は日本のものだと思われがちですが、お箸文化はもともと日本のものではありません。
お箸を発明した国はお隣の中国です。
それでは、日本にお箸という文化が導入された時期はいつ頃なのでしょうか?
また、日本にお箸という文化を輸入した人物とはいったい誰でしょうか?
お箸文化を中国から持ち帰ったのは小野妹子
小野妹子(おののいもこ)は、飛鳥時代に聖徳太子に命じられて3度にわたって隋(ずい)と日本を行き来した遣隋使(けんずいし)です。
小野妹子が初めて隋へ渡ったとき、当時の隋の皇帝は暴君と名高い煬帝(ようだい)でした。
小野妹子は聖徳太子より託された国書を携え、それを煬帝に読んでもらうのですが「こんな遅れた国と付き合うなんて御免だ」とあっさり拒否されてしまいました。
実は小野妹子には国書を煬帝へ届けるだけでなく、別の任務もありました。
それは中国の進んだ文化を見学し、聖徳太子に報告することです。
日本からの使者として食事に招かれた小野妹子はその席でお箸を使って食事をとる隋の人々をみて衝撃を受けました。
なぜなら当時の日本人はお箸を使って食事をとっていなかったからです。
早速小野妹子は現地でお箸を購入し、日本に持ち帰り聖徳太子にお箸の存在を報告します。
ちなみに小野妹子が接待されたときに食べたのは、小麦粉をコネて細長くしたもの、つまり麺を食べたと言われています。
お箸が導入される以前の日本人の食事
さて、さきほど示したとおり、聖徳太子と小野妹子が生きていた飛鳥時代の時点では日本にお箸を使って食事をとる文化がありませんでした。
それではどのようにして食事をしていたのかと言いますと、お米やおかずを手掴みで食べていました。
それでは「味噌汁のような具材の入った汁物は?」と気になる方もいるかと思いますが、わざわざ汁で煮込んだ肉や魚を別の食器に移してから食べていました。
意外かも知れませんが、当時の日本人の食事風景は手掴みでカレーを食べるインド人となんら変わりなかったのです。
小野妹子からお箸を伝え聞いた聖徳太子
小野妹子からお箸に関する報告を聞いた聖徳太子は「さすが文化の最先端を行く国だ」と感動しました。
そして木工職人にお箸を渡して「これと同じものを作れ」と指示します。
聖徳太子は隋の煬帝になんとか認めてもらうために日夜中国の学問や文化を研究していました。
そんな中で小野妹子が見学してきたお箸というアイテムを知り、それを使って食事をとる隋の人々の真似をしようと考えたのです。
聖徳太子がお箸を導入した理由
一度は国交を断られた聖徳太子ですが、リベンジするために再度小野妹子を隋に派遣します。
そしてこの時、小野妹子が携えていたと言われているのが「日出(いず)る処(ところ)の天子(てんし)から日没(ぼっ)する処の天子へ」から始まる煬帝を激怒させた国書です。
煬帝が激怒したとき小野妹子はなぜかピクリとも動じませんでした。
煬帝は小野妹子の尻込みしない気概を買って、日本と国交を結ぶことを渋々了解しました。
そして隋からは裴世清(はいせいせい)という使者が選抜され、小野妹子は裴世清を伴って日本へ帰国します。
聖徳太子がお箸を導入した理由とは、隋から日本へ派遣された使者である裴世清に日本の生活基準が中国に近づいていることを証明するためでした。
聖徳太子は裴世清が来日する前に「隋の使者へ日本人もお箸を使って食事をとっているところをお見せしましょう」と推古天皇(すいこてんのう)に提案し、推古天皇は聖徳太子の提案を快諾しました。
聖徳太子と推古天皇が待つ宮殿で裴世清がとった行動
小野妹子が裴世清を連れて帰国したころ、日本の朝廷では隋からの使者である裴世清がどのような振る舞いをするのか注目されました。
朝廷内では隋との対等な国交が「できる派」と「できない派」に分かれて外交に関する意見を戦わせていました。
聖徳太子と推古天皇が待つ宮殿に到着した小野妹子と裴世清は推古天皇の前で4度片膝をついて頭を下げました。
これは当時の日本の礼儀では最敬礼を表わしています。裴世清は推古天皇に最敬礼をした後、日本語で「この度は倭国へお招きいただき、誠にありがとうございます。」と挨拶しました。
その後聖徳太子は裴世清に対し、「よく参られました。これからは隋と我が国、ともに並び歩んでゆきましょう」と対等な関係であるという念を押すと、裴世清はそれに同意しました。
この時日本史上初の中国との対等国交が成立したのです。
日本で初めてお箸が使われた瞬間
裴世清が推古天皇に謁見したあと、推古天皇、聖徳太子、小野妹子そして蘇我馬子(そがのうまこ)は彼を宴に招いて接待しました。
そのときの食事でお箸が使われ、これが日本で初めてお箸が使われた瞬間となりました。
まとめ
日本にお箸が伝わったのは飛鳥時代です。
お箸という文化を日本に持ち帰ったのは小野妹子(おののいもこ)で、お箸を実際に日本でも導入したのは聖徳太子でした。
もし、小野妹子がお箸を持ち帰って聖徳太子に報告していなかったら、今でも我々はインド人のように手掴みで食事をしていたかもしれません。
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