人々が話す言葉には、その人々が信仰した宗教が必ず関連してきます。
それもそうでしょう。古代において学問を修めるということは、すなわち神や仏の教えを研究するということです。
言葉や文字が統一されて広まっていったのも、すべては宗教の教えを皆が学び、そして周りへ伝えていったからです。
そのため、日本語には仏教を通じてもともとはインドの言葉だったものがごく当たり前のように使われています。
本記事では日本語に影響を与えた仏教の言葉を紹介します。
本来の意味は遺骨?寿司の業界用語になった仏教の言葉『シャリ』
和食の代表格として海外からも多くの人気を得ている寿司ですが、寿司の業界ではお米のことを「シャリ」と呼んでいます。
「銀シャリ」など一般人でさえもよく耳にする「シャリ」の語源はインドで話されているサンスクリット語の「シャリーラ」または、「シャーリ」です。
サンスクリット語のシャリーラは「遺骨」という意味があります。
釈迦は入滅後その遺骨を細かく砕いて分けられインドだけでなく、中国や朝鮮、日本の各地に祀られました。
その釈迦の遺骨のことを「仏舎利(ぶつしゃり)」と呼びます。
その細かい仏舎利がお米のように見えたので、お米のことをシャリと呼ぶようになったと伝えられています。
また、仏教の本場インドではお米のことをサンスクリット語で「シャーリ」と言います。
もし、以上の話が無理矢理こじつけられた話だったとしても(笑)サンスクリット語の「シャーリ」からお寿司の『シャリ』が来ていると言われれば、ストレートに納得せざるを得ないでしょう。
サンスクリット語を真似して広まった『くしゃみ』
くしゃみは誰にでも起こりうる生理現象です。
それなのにくしゃみのことを指すもともとの日本語はなかったそうです。
くしゃみの語源はサンスクリット語の「クサンメ」だと言われています。
サンスクリット語で「クサンメ」の意味は「長寿」。
三蔵法師のモデルと言われる玄奘三蔵は「クサンメ」のことを中国語で「休息万命(くそくまんみょう)」と表記しました。
音を真似てかつ意味を表したベストな言葉です。
実に巧みな翻訳と言ってよいでしょう。
釈迦の説法の様子が記録されている「四分律(しぶんりつ)」によれば、釈迦がくしゃみをすると弟子たちが「クサンメ、クサンメ」と呪文を唱えたそうです。
日本でもくしゃみをすれば《誰かが自分のことを噂している》とか《寿命が縮まる》と考えられていたので、クサンメが訛ってくしゃみに転じたと考えられています。
極道映画でお決まりの名ゼリフ「娑婆(しゃば)」も仏教の言葉!?
ある年齢層から一定の人気を博している極道ものというジャンルの映画やドラマでは、刑務所から釈放された受刑者が刑務所から出て第一声を「やっぱ娑婆(しゃば)の空気はうまいなぁ」というお決まりの名ゼリフで決めるのがおなじみです。
普段駐屯地や船、潜水艦に缶詰めにされる自衛官も外出を許された時には「娑婆に行ってくる」というのがお決まりです。
その娑婆の語源は仏教における「サハー」というサンスクリット語が語源となっています。
サハーは中国では忍土(にんど)と訳され、苦しみに満ちたこの世。
その苦しみを耐え忍ぶ世界という意味を持っています。
なので、極道ものの映画や自衛官のいう「娑婆の空気」というのは忍土であるはずのこの世よりも、刑務所や自分たちの職場はもっと辛いという表現で使われているのです。
仏教の教えと異なる意味で日本語になった言葉「我慢」
私たちが話している日本語には、時の経過とともにいつの間にかその語句の意味が変わってしまったものがあります。
その典型的な例が「我慢」でしょう。
私たちが普段使う日本語の我慢は目的や義理のために苦しみを耐え忍ぶという意味で使われていますが、仏教で使われている我慢の意味はむしろその逆です。
仏教では「無我(むが:自分だけのものは存在しないという考え)」を理解できず、自我があると思い込んでそれに執着すること、あるいは自分は高きに置き、他を見下すことを意味していました。
そのため、我慢は否定されて当然のことだったのですが、いつしか日本語で美徳を表す言葉へと変化しました。
仏教の師弟のやり取りを表す「しっぺ返し」
何らかの仕打ちを受けたらすぐに仕返しをすることを「しっぺ返し」といいます。
日本語で「しっぺ」といえば誰かの手を自分の手か棒などで叩くという行為のことを意味していますが、もともとは仏教の僧侶が使っていた竹篦(しっぺい)という道具を意味する仏教の言葉でした。
仏教では師匠と弟子の間で行われた禅問答、すなわち仏教の教えをちゃんと理解できているかを試すための抜き打ちテストがありました。
その時、弟子が不適切な答えをしたときには師匠が竹篦で叩いていました。
また、禅問答では悟りの境地をはかってもらうため、弟子が機を見て師匠を竹篦で叩くこともあったと言われます。
弟子から師匠が竹篦で叩かれることをしっぺ返しと言われ、これが一般化して仕返しするという意味や子供たちの遊びで負けた者が受ける罰ゲームなどの意味へ変化しました。
まとめ
普段何気なく使っている日本語には仏教の言葉(サンスクリット語)が紛れています。
寿司の「シャリ」、生理現象の「くしゃみ」、極道映画の定番「娑婆」、美徳を意味する「我慢」、仕返しされることの「しっぺ返し」はすべて仏教の言葉(サンスクリット語)が日本語になったものです。
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