鎌倉幕府が全国各地に設置した『守護』と『地頭』はどんな仕事?







鎌倉幕府は初代将軍源頼朝(みなもとのよりとも)が弟の源義経(みなもとよしつね)を逮捕するために守護(しゅご)地頭(じとう)を設置しました。

その守護地頭がどんな仕事なのかみなさんはご存知ですか?

本記事では鎌倉幕府が設置した守護と地頭がどんな仕事をしていたのかを解説します。

 

守護と地頭は鎌倉幕府の支配を全国に広めるために置かれた

 

実は「源義経を逮捕するために守護と地頭を設置した」というのは建前で、本当の目的は鎌倉幕府が全国を支配する仕組みを作ることでした。

 

守護国単位で一人ずつ、地頭荘園や公領(くりょう:朝廷の土地)単位で一人ずつ派遣されました。

現代の職業に例えるならば、守護は都道府県知事地頭は市区町村長といった具合です。

 

当初守護と地頭には直接的な上下関係がなく、どちらも幕府から任命された有力な御家人が就任しました。

そのため、度々守護と地頭間で領地や領民を巡るトラブルが相次ぎました。

しかし、時代が進むと守護と地頭の力に差が開き、地頭は守護に仕えるようになりました。

 

守護の仕事内容

 

守護の役割は現在の都道府県知事のような地方自治の長官と同時に警察本部長のような役割も担っていました。

実は守護はもともと地頭だった者の中から最も地位や力のある者が選ばれて就任した役職で、守護は地頭よりも上位の位置づけとなっています。

守護のメインの仕事は大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)と呼ばれる以下の3つの仕事です。

 

【大犯三箇条】

(1)大番催促(おおばんさいそく)

(2)謀反人の逮捕

(3)殺人犯の捜索と逮捕

 

大番は京都や鎌倉の警備のことです。

特に鎌倉の警備につくことは御家人にとって当たり前のことですが、わざわざ守護の職務として「催促」という文字がついていることから、鎌倉の警備には行きたがらなかった御家人も少なくなかったことでしょう。

 

また、守護はいわば御家人の頂点に君臨する幕臣です。

守護は地方の国に住む御家人たちの管理と監視を行い、幕府に楯突こうとするような御家人がいればそれを逮捕するのも守護の仕事です。

 

さらに守護は地方に点在する寺院の修理や道路、宿駅の整備を行う任務もあり、地方の御家人や職人たちに工事の指示や食料の発給などを直接命令して工事を行わせました。

 

大犯三箇条という言葉自体は室町時代にできたという説が有力で、鎌倉時代の守護は大犯三箇条の内容に加え、傷害事件の犯人、夜討の黒幕の逮捕、強盗の逮捕なども行っており、とても忙しい仕事であったことがわかっています。

 

地頭の仕事内容

 

地頭は荘園や公領など国よりも小さい単位で一人ずつ置かれました。

地頭のメインの仕事は年貢の徴収と治安維持です。

 

地頭は鎌倉幕府が開かれる以前、平清盛(たいらのきよもり)も似たような役職を作って地方に派遣していました。

 

地頭の場合は地方に住む御家人の中から選ばれ、荘園や公領の軍事、警察、徴税、行政を見て、直接的に土地と庶民を管理しました。

地頭は庶民に直接年貢の徴収をする仕事柄、庶民にとって最も身近なリーダーとなります。

「泣く子と地頭には勝てぬ」という成語があるくらいなので、当時地頭の年貢徴収はけっこう荒っぽかったのでしょう。

 

土地の管理について、地頭が置かれた当初は地頭の先祖伝来の土地や領民たちが所有して耕作、居住する土地だけに留まっていましたが、鎌倉幕府は影響力を拡大すべく寺院や貴族が所有していた荘園や朝廷が管理する土地だった公領にまで踏み込みました。

鎌倉幕府初代将軍の源頼朝(みなもとのよりとも)がかように地頭へ職権を与えようとしたとき、天皇や貴族は猛反発しました。

自分たちの土地を身分の低い武士が管理しようとしたのですから当然のことです。

 

しかし、それでも鎌倉幕府に天皇や貴族は逆らうことができなかったのですから、頼朝の力は当時大変大きかったことがわかります。

頼朝の死後、後鳥羽上皇による『壬申の乱』平定時には幕府が公領を多く奪い取り、御家人たちを地頭に任じたことで、地頭の数は急激に増加しました。

 

また、地頭は警察官のように、もし領民が罪を犯せば郎党を放って逮捕させたり、領民間でトラブルがあったときはその件について裁判を行う裁判官の役割もこなしていました。

ひとりで市区町村長、税務署、裁判官、軍の司令官をこなしていたので地頭も守護と同様大変忙しい仕事でした。

 

地頭と守護はどのように区別する?

 

守護地頭の仕事について記述しましたが、どちらも警察官軍事司令官のような仕事をしていたため、どのように区別するのかわかりずらいです。

 

まず、守護と地頭の大きく異なるものは地頭は女性でも就くことができ、守護には女性はなれないというところです。

もし地頭が女性だった場合は徴収の責任者や土地の権利者といったところで、実務は男性の御家人があたりました。

 

そして守護は御家人の監督と寺院、道路、宿駅などを管理するのに対し、地頭は庶民と荘園、公領、耕作地、領民の土地などの管理にあたっていたという点も大きく異なる部分です。

 

そのため、

  • 『守護』は御家人の監視と公共機関、公共施設の管理をする幕臣
  • 『地頭』は庶民と土地の管理する幕臣

というように区別することができます。

 

まとめ

 

守護の仕事のメインは大犯三箇条

守護は御家人の監視と公共機関、公共施設を管理し、国単位の警察本部長と軍事司令官の仕事をしました。

 

また、地頭のメインの仕事は年貢の徴収と土地と庶民の管理

地頭は荘園、公領単位の警察署長、軍事司令官の仕事をしました。










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