日本の農業改革!鎌倉時代~室町時代にかけての農業改革について







鎌倉時代から室町時代にかけての農民は、荘園領主や悪党と呼ばれる御家人から重い税や仕事を強制的に負わせられ生活に事欠くことがありました。

それでも農民たちは限られた農耕地から効率よく多くの作物をとれるようにあの手この手で新しいアイディアを生み出し、『農業改革』を行っていきました。

本記事では、鎌倉時代~室町時代にかけて起きた農民たちの努力の結晶である『農業改革』についてお送りします。

 

鎌倉時代から室町時代にかけて行われた農業改革

鎌倉時代になると荘園領主(しょうえんりょうしゅ)悪党(あくとう)と呼ばれる御家人が現れ、その土地を治める武士や貴族が農民にたいして重い年貢を納税することを義務づけるようになりました。

それにより、農民たちの生活はそれまでよりもいっそう厳しくなるのですが、農民たちにはどんなに重い税が課せられても農耕地が加増されることはありませんでした。

そのため、少ない土地からより多くの作物を収穫できるように農民たちの手で農業改革を行う必要があったのです。

 

鎌倉時代の農業改革① 『農具開発』

 

まず農民たちは農作業をする上で使用する農具の開発を行いました。

作業時間をより短縮することができ、より楽に作業をこなすための措置です。

 

このときの農業改革によって開発された農具は草削りもっこつるはし熊手苗かごとおしなどの新しい農具です。

木製の部品に鉄の枠を取りつけるだけでも固くなった土を耕しやすくなり、それまではすべて手作業で引き抜いていた雑草なども抜くのではなく、道具で削いで取り除くといったように根本的に農作業のやり方を改善することにつながりました。

 

鎌倉時代の農業改革② 『牛馬耕』

農具開発によって農作業は従来よりもだいぶ改善されたのですが、まだまだ生産性が追い付けなかったことが事実です。

農民たちは悩んだ挙句によいアイディアを思いつきます。

それは人間よりも体力や筋力といった能力が勝る牛や馬などの動物に仕事をさせることです。

 

それまで牛や馬にさせる仕事といえば物を運搬するときの荷車や馬車を引かせるためなどの移動手段としての仕事がメインでした。

さらにこの時代は戦に出陣する際の武器や馬はすべて自前で、一家に一頭は馬か牛がいるのはごく当たり前のこと。

動物たちを農作業の労力として活用することは文明の歯車が動きだした瞬間でもありました。

 

それでもただ馬や牛に田畑を歩かせるだけでは意味がありません。

農民たちは自分たちが扱う農具の開発するとともに牛馬に取りつける専用の農具を開発します。

その農具というのが犂(すき)と呼ばれる農具です。

犂(すき)には二頭立てのものと一頭立てのものがあり、どちらも田畑を耕すことを目的とする専用の農具です。

犂(すき)が開発されたことにより、人間は犂を地中に刺した後牛や馬に指示をして歩かせるだけで田畑を耕すことが可能になりました。

 

また、犂(すき)による耕作は作業が楽になるだけでなく人間が鍬で耕すよりも格段に作業時間が短縮されました。

それまでは人間が1週間かけてやっと耕せた範囲でも牛馬に任せれば半日~1日で終わってしまうということがざらにあり、牛馬耕の文化は急速に全国各地へ広がりました。

 

鎌倉時代の農業改革③ 『地質改善』

農具の開発や牛馬耕が取り入れられるようになると農作業に費やす時間が大幅に短縮されるようになりました。

しかし、次に問題となったのは土地の所有権です。

 

鎌倉時代、日本の国土は皇室が所有する天領と呼ばれる土地、貴族や寺社が荘園領主となって所有する荘園、鎌倉幕府の御家人たちの領地(先祖代々御家人が受け継いだ土地や戦功によって与えられた土地など)などに分けられており、どこでも自由に耕作することはできませんでした。

農民たちに課せられた新たな課題は限られた土地からより多くの作物を収穫することです。

 

「農作業の効率化だけでは追いつかない…」と悟った農民たちは作物を作る土の質を向上させようとします。

そこで行われたのが“たい肥”(動物の糞尿や植物を発酵させて作る肥料)や植物を燃やした後の灰を土と混ぜ合わせて行う地質改善です。

自分の田畑で実験を重ねながら作物によって適した土の性質が異なること、貝殻や火山灰を削って作った石灰と土を混ぜると地質が変わることなどは地質改善のための実験の過程で発見したことです。

 

室町時代の農業改革① 『二毛作』

室町時代に突入すると農民たちは育てる作物について焦点を当てるようになります。

農民たちは作物に焦点を当てた研究の末、同じ耕作地から異なる作物を1年かけて栽培する二毛作という農業を生み出します。

 

例えば秋に種を植えて春に収穫できる作物と春に種を植えて秋に収穫できる作物を同じ耕作地で育てるということです。

これにより、1年あたりに収穫できる農作物の量は単純計算で2倍になります。

 

農家の間では一般的に行われていることですが、同じ畑で同じ作物を育てると土の栄養が偏り、畑を壊してしまいます。

そのため畑を休ませる(休作)か別の作物を植えなければならないのですが、二毛作をすることによってかような措置をとらなくても毎年同じ作物を同じ畑から収穫することができるようになりました。

 

室町時代の農業改革② 『特産物の栽培』

日本は南北に細長い国土でなおかつ温帯湿潤気候という四季がはっきりと表れる気候帯に該当します。

暑い期間もあれば寒い期間もあり、雨の続く期間もあれば日照りが続く期間もある。

また東北地方は1年の1/4が雪で覆われるのに対し、九州から沖縄は雪の積もることが珍しいくらいなので土地柄によっても育ちやすい作物が異なります。

あまりに極端な話ですが沖縄でサトウキビがよく育つので同じ日本の北海道でサトウキビを植えてもよく育つとは限りません。

寒い地域では寒さにつよい作物を育てたり、雨が多い土地では水害に強い作物を育てるといった動きは後にその土地の特産物を生み出しました。

 

まとめ

 

日本における鎌倉時代から室町時代にかけての農業改革は以下になります。

  • 農具開発
  • 牛馬耕
  • 地質改善
  • 二毛作
  • 特産物の栽培

 

現代でも抑制栽培や促成栽培、品種改良やバイオテクノロジー栽培など農作物や農業環境の研究をはじめとする農業改革は永続的に行われ、我々の日々の食卓に運ばれています。

しかし、左記に示すものはいずれも鎌倉時代、室町時代の農民たちが行った農業改革ありきのものばかりで、当時の農民たちが農具開発や二毛作といった発見や動きをしていなけば日本という国自体が戦国時代に入る以前に外国の餌食となっていたことでしょう。

 

ちなみに牛馬耕はトラクターが普及する以前の昭和前期まで行われており、石灰や腐葉土、たい肥をまぜて畑の地質を変更したり肥沃にすることや二毛作は現在も行われています。

今でも通用する農作業の方法を発見したり、生み出した鎌倉~室町時代の農民たち。

彼らの汗と涙がなければ今の私たちの生活は考えられないことなのです。










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1 個のコメント

  • まとまっていて分かりやすいですね!
    ところで、二毛作は実際にどのような作物を育てていたのでしょうか?

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