禅と茶を今に伝える、栄西禅師の「建仁寺」は、花街祇園に佇む京最古の禅寺







建仁寺(けんにんじ)は、華やかな祇園に隣接しながら、静寂に包まれ凛とした清々しさが漂う、臨済宗の名刹。

観光客で賑わう四条通り、老舗のお茶屋「一力亭」の角を曲がると、そこは情緒あふれる花見小路通です。

 

町屋が連なる石畳をゆっくり進むと、左に歌舞練場、そして建仁寺の北門が出迎えてくれます。

茶祖と呼ばれた栄西(ようさい/えいさい)が創建した建仁寺は、俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」でも有名ですね。

今回は、臨済宗の禅を日本に伝えた栄西禅師の生涯をたどり、京都最古の大禅林(禅宗寺院)の歴史を見ていきましょう。

 

「けんねんさん」と親しまれる建仁寺は、市民に開かれた禅寺

建仁寺は、鎌倉時代に2代将軍・源頼家の寄進を受け、幕府直轄領に千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師を開山(かいさん:初代住持)として創建されました。

当初は勢力の強かった天台宗・真言宗に配慮し、禅宗と合わせ三宗兼学でしたが、11世住持から純粋な禅の道場になりました。

その後、鎌倉・室町・江戸幕府などの援助で、京都五山の第三位、臨済宗建仁寺派の大本山として繁栄します。

 

開山の栄西禅師は、宋で学んだ禅宗の布教に努め、中国から持ち帰った茶種の栽培と喫茶の普及にも貢献しました。

茶祖・栄西をしのぶ「建仁寺茶礼」は、36名の客を招き催され、中国禅院の茶礼を今に伝えます。

また、毎月第2日曜日に行われる「坐禅と法話の会」は、どなたでも無料で参加できます。

広く民に開かれた禅道場を目指した栄西禅師の遺志が、今も受け継がれる「けんねんさん」です。

 

焼失と荒廃を繰り返すも、時の権力者の援助で再興した建仁寺の略年表

 

  • 建仁2年(1202)源頼家が寺域を寄進、栄西禅師を開山として建仁寺創建
  • 建保元年(1214)比叡山を下りた道元(曹洞宗開祖)が栄西を訪ね、後に建仁寺に入る
  • 建保2年(1215)栄西が建仁寺で死亡する 鎌倉の寿福寺だったとも
  • 仁治元年(1240)8世住持・済翁証救が、法観寺(八坂の塔)を禅寺にする
  • 康元元年(1256)焼失、荒廃する
  • 正嘉元年(1258)東福寺開山・円爾弁円(えんに べんえん)が10世住持になり、仏殿などを復興 禅も隆盛する
  • 正元元年(1259)建長寺開山・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)が11世住持となり、兼宗禅から純粋な禅の道場となる
  • 文永2年(1265)「建寧寺(けんねいじ)」と改名し、臨済禅寺となる
  • 弘安元年(1278)焼失する
  • 嘉元3年(1305)方丈を再建
  • 建武元年(1334)建武政権により、京都五山の第二位になる
  • 暦応4年(1341)足利尊氏により、京都五山の第四位になる
  • 至德3年(1386)3代将軍・足利義満により、京都五山の第三位になり栄える
  • 応永4年(1397)焼失する
  • 応永14年(1407)仏殿が再建される
  • 文明元年(1469)応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失
  • 大永4年(1524)狩野元信(狩野派二代目)が「仏涅槃図」を寄進する
  • 天文16年(1547)織田信秀(信長の父)が、塔頭・魔利支天堂を再興
  • 天文21年(1552)兵火により仏殿や方丈、法堂などと、多くの塔頭を焼失
  • 天正年間(1573-1592)安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)が、方丈や仏殿を移築して再興した
  • 天正14年(1586)豊臣秀吉が寺領820石(820人を養える領地)を寄進
  • 慶長4年(1599)恵瓊が安岐(大分県)の安国寺より方丈を移築した
  • 慶長19年(1614)徳川家康が寺領820石を安堵(所有権を公認)した
  • 元和2年(1616)織田有楽斎(信長の弟)が正伝院を再興する
  • 承応元年(1652)諸塔頭が再興される
  • 寛文9年(1669)鐘楼が創建される
  • 明和2年(1765)法堂が建立され、現在に至る
  • 明治元年(1868)神仏分離令後の廃仏毀釈(仏教を排除し、寺などを壊すこと)により、塔頭は統廃合され34院から14院に、上知令(土地没収の命令)により境内は約半分(2万3477坪)に縮小
  • 明治9年(1876)臨済宗諸派から独立し、建仁寺派の総本山になる
  • 明治25年(1892)頃に、茶席「東陽坊(とうようぼう)」が建仁寺に移された
  • 大正2年(1913)献茶式が始まる(1885年とも)
  • 大正10年(1921)茶席「東陽坊」を開山堂北から現在地に移す
  • 平成14年(2002)建仁寺創建800年を記念して、法堂の天井画「双龍図」を製作

 

 

2度の渡宋が、栄西の人生の分岐点

 

栄西は、1141年4月20日、岡山県にある吉備津神社の、神職の子として生まれました。

13歳で比叡山に入り、天台と密教を学び、翌年には得度(僧侶になる儀式)を受け、法名「栄西」を授かります。

 

23歳で比叡山を下り、各地で修行の後、1168年に28歳で、宋(中国)に半年間留学しました。

当時堕落していた天台宗を立て直すため、平家の援助を受けて入宋、天台山を訪れます。

そこで、栄西は禅宗に触れ、禅により日本の宗教界を改革しようと考えたのでした。

 

1187年(47歳)、再び宋に渡る機会を得て、天台山の万年寺に入りました。

栄西は仏教の本場・天竺(てんじく:インド)への渡航を希望しましたが、蒙古の襲来などで治安が悪く、願いはかないませんでした。

しかし、栄西は天台山で優れた師たちと出会い、4年間しっかりと禅を学ぶことができたのです。

また、宋で入手した茶の種を、日本に持ち帰り栽培し、庶民に喫茶を広めたといわれています。

 

帰国後、臨済宗を開宗しましたが、当時勢力のあった延暦寺や朝廷の弾圧を受け、京都での布教を断念し九州に下ります。

1195年(55歳)、源頼朝の寄進を受け、ついに日本初の禅寺である「聖福寺」を、博多に建立しました。

 

栄西は、公家に対抗する鎌倉幕府の援助を得て、1199年頃、鎌倉に移りました。

1200年(60歳)には、北条政子(源頼朝の正室)発願による鎌倉・寿福寺の開山となりました。

そして、その2年後に2代将軍源頼家(政子の長男)の援助で、建仁寺を創建することになるのです。

 

栄西は、禅が既存の宗派を否定するのではなく、仏教の復興に必要なものだと説きました。

他の勢力と調和を図るためにも、創建当時は、台(天台)・密(真言)・禅(臨済)の三宗併置にしたとされています。

 

晩年の栄西は、長老として社会活動に貢献し、世のため人のため、苦労を惜しまなかったと伝わります。

1215年、栄西は多くの功績を残して、75年(満74歳)の生涯を静かに閉じました。

 

民衆に広めた喫茶は、宋からのお土産

 

宋で茶の作法を学んだ栄西は、1191年に南宋江西省から茶種を持ち帰り、茶の栽培をすすめました。

奈良時代に遣唐使が伝えた団茶(だんちゃ:蒸した茶を固め乾燥したもの)と異なり、禅宗の茶は挽いて飲む「抹茶法」です。

禅修業においては、座禅中の眠気覚ましとして用い、その薬効と作法を研究して、一般の人々に喫茶を広めました。

また、茶の栽培法や飲み方、効能などが記された「喫茶養生記(きっさようじょうき)」は、二日酔いで苦しむ源実朝に、茶とともに献上されたそうです。

やがて、江戸時代には煎茶が伝わり、今も日本人の生活に欠かせない飲料となっています。

 

建仁寺では、毎年6月5日の開山忌に「献茶式」が催され、裏千家により濃茶が栄西禅師に捧げられます。

また、毎年4月20日に行われる栄西禅師の誕生忌では、「四頭(よつがしら)茶会」と呼ばれる、建仁寺茶礼が催されます。

栄西が宋で学んだ茶礼は、現在の茶席と違い、4人の僧が36名の客に、抹茶の入った天目茶碗を配り、僧が茶を点てて回るというもの。

どちらも、茶祖である栄西をしのぶ、建仁寺の大切な年中行事です。

 

茶室「東陽坊」は、1587年に豊臣秀吉が北野天満宮で催した大茶会で、千利休の高弟が任された茶室です。

大正時代に現在地に移築された茶室の西側には、趣のある「建仁寺垣」と呼ばれる竹垣が設けられており、見どころの一つです。

また1983年、開山堂の手前に建立された「栄西禅師茶碑」の周りには、春に枝垂れ桜、秋には茶の花が美しく咲き、参拝者の目を楽しませます。

 

広大な境内で、文化財と庭園を楽しむ

拝観のため受付をすませて方丈(住持の居室)に向かうと、いきなり国宝「風神雷神図屏風」があらわれます。

展示されているのは、キャノンによる高精細複製品ですが、金地の二曲一双屏風は迫力満点です。

尾形光琳と並ぶ、安土桃山時代から江戸時代前期の大画家「俵屋宗達」の最高傑作といわれ、実物は京都国立博物館に寄託されています。

 

1639年頃、妙光寺再興の記念に、京都の豪商の依頼で製作され、1829年に妙光寺から建仁寺に移されました。

大書院にもレプリカが展示されていますので、金色に輝く屏風の両端に描かれた、躍動感あふれる風神と雷神を、存分に堪能してくださいね。

 

※京都国立博物館公式サイト(風神雷神図屏風)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item10.html

 

方丈から渡り廊下を進むと、1765年建立の威風堂々たる「法堂」に至ります。

堂内にはご本尊の釈迦如来坐像が祀られ、天井には「双龍図」が描かれています。

小泉淳作筆の2匹の阿吽龍図は、丈夫な和紙に描かれた水墨画で、畳108枚分の大きさは、見る者を圧倒します。

禅宗寺院の法堂によく見られる龍は、仏法を守る「水の神」とされ、火災の多かった寺を守る意味がありました。

 

再び方丈に戻り、南側に座して一休み、方丈前庭「大雄苑(だいおうえん)」をゆっくり眺めましょう。

白砂に巨岩、松と緑苔のコントラストが美しい枯山水庭園で、園内には織田信長の供養塔も見られます。

庭におりて、茶室「東陽坊」への散策を楽しんだり、〇△□乃庭や潮音庭(ちょうおんてい)などを巡るのもおすすめです。

 

建仁寺の基本情報

 

拝観時間
10:00~16:30(3月1日~10月31日)
10:00~16:00(11月1日~2月28日)

拝観料
一般 500円

塔頭 両足院 特別公開
https://ryosokuin.com/special_category/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8B%9D%E8%A6%B3/

塔頭 正伝永源院 特別公開
http://www.shoden-eigenin.com/function/index.html

座禅体験
毎月第2日曜日 8:00より2回
参加費無料

写経体験
10:00~15:30(随時受付)
45分間 1,000円

アクセス
京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
阪急電車「河原町駅」より 徒歩10分
JR京都駅より、市バス206系統・100系統に乗車、バス停「東山安井」より徒歩5分、「南座前」より徒歩7分

駐車場
30分200円(参拝者は1時間無料)

問合せ
075(561)6363

所在地
京都市東山区大和大路通四条下る小松町

建仁寺公式サイト
http://www.kenninji.jp/index.html


 

祇園を訪れたら、ぜひ建仁寺へ

 

栄西禅師から始まる、建仁寺の歴史をお届けしましたが、いかがでしたか。

特に繁栄した室町時代には塔頭が50を超え、漢詩文や芸術に秀でた禅僧たちが集まり、サロンとなりました。

「学問づら」と呼ばれた建仁寺には、多くの文化財が伝わり、800余年の歴史に思いをはせる参拝者を、今も楽しませてくれます。

お茶に興味のある人はもちろん、四条河原町でのお買い物ついでに、ぜひ建仁寺へお立ち寄りください。












<script>

よろしければシェアお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です