るろうに剣心のモデルになった人斬り 河上彦斎とはどんな人物だったのか解説







愚問ですが、あなたは「るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー」をご存知ですか?

そうです。今から20年ほど前に週刊少年ジャンプで連載され、アニメも放送されていた人気漫画です。

それでは、主人公の緋村剣心は実在の人物をモデルとして描かれていたことをご存知の方はどれほどいるでしょう?

今回は緋村剣心のモデルとなった河上彦斎(かわかみげんさい)という実在した剣豪について紹介します。

 

るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ーとは

普段漫画やアニメを観ない方のために急ぎ足で表題の作品について紹介します。

「るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー」(以降るろうに剣心と省略して記載)1994年から1999年まで和月伸宏氏によって週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画です。

連載から2年というハイスピードでアニメ化された当作品は、当時大人から子供にまで愛されていました。

連載終了から20年の時を経てもその熱は未だ冷めず、SONYのPSPでゲームが発売されたり2012年には主演を佐藤健が務める実写映画が公開されました。

また、アメリカ・ブラジル・フランスなど海外からも厚い支持を得ており、現地では主人公の緋村剣心の左頬に十字傷が刻まれているため「Samurai X」と呼称されています。

 

るろうに剣心と実在の剣豪は性格が全然違う

 

るろうに剣心の主人公は左頬に十字傷がトレードマークの緋村剣心というキャラクターです。

かつては「人斬り抜刀斎」という異名で都じゅうを震え上がらせるほどの維新志士だった過去があり、自身が命を奪った者たちへの反省と行いを悔い改めるために刀身が逆さまになった改造刀(通称:逆刃刀)を常に腰に履いています。

普段は陽気で口癖も「オロッ!」、「オロロ」、「でござるよ~」と、どこか頼りない印象を受けるのですが、戦闘時やヒロイン、友人がピンチのときになると性格が一変して目つきも鋭くなり、得意の抜刀術で悪役を倒してしまう強い剣豪です。

 

河上彦斎

そしてそのモデルとなった実在の人物は、幕末から明治初期を生きた河上彦斎(かわかみげんさい)という尊王攘夷派の剣豪です。

河上彦斎の身長は約150cmと男性にしては小柄な体格で、肌の色も白く体型も細身だったため、よく女性に間違われたと伝えられています。

 

河上彦斎もいつもは礼儀正しく、おおらかな人物なのですが、時には平気で人を殺めてしまう残忍性も兼ねそろえていました。

正式な記録に残る河上彦斎が殺害した人物には佐久間象山(さくましょうざん)しか名前が伝えられていませんが、幕末の四大人斬りのひとりとして岡田以蔵と並ぶ人斬りでした。

勝海舟

勝海舟は河上彦斎について「あいつは人を殺しすぎだ」と非難していたことがあり、そのとき会話した内容も文献として残されています。

 

さらに河上彦斎の怖いところは喜怒哀楽がまったく読めないことです。

彼の前で「だれだれが不穏な動きをしていたよ」、「だれだれが怪しい計画を立てているらしい」という噂をしようものなら、その場を「へーはぁーそうなんだー」と上の空で聞き流しているのですが、即日噂に出てきた人物を殺害し翌日にはちゃっかり噂をしていた人の前に現れるといった常人とは思えない行動をとったそうです。

 

勝海舟が一度「そんなに人を殺したら、その人たちのことを可哀想と思うことはないのかい?」と河上彦斎に質問したことがありました。

そのとき河上彦斎は「あなたは自分の畑になったナスやきゅうりがよい頃合いになったらとって漬物にするでしょ?あいつらはそれと同じです。あんなやつらにはあれこれ言い聞かせずにちぎってしまえばいいんです。あいつらをいくら斬ってもなんとも思いません」と過激な返答をしたそうです。

 

必殺技はるろうに剣心と同じ

 

るろうに剣心の主人公である緋村剣心は、一子相伝「飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)」の継承者で、「土龍閃」や「龍墜閃」と呼ばれる必殺技を使います。

飛天御剣流の真の奥義は「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」という技で、刀身を鞘に納めた状態から高速を超えた速さでカウンターの一撃を繰り出す抜刀術です。

緋村剣心は維新志士時代はこれを体得できていなかったのですが、抜刀術に優れていたため「人斬り抜刀斎」という異名をつけられました。

 

河上彦斎(かわかみげんざい)にも二つ名があり、「人斬り彦斎」または「ひらくち(蝮蛇)の 彦斎」と呼ばれ都を震撼させました。

河上彦斎も緋村剣心と同じく片手抜刀術の達人で「蛇」という字が表すように右足を前に出し、左足を大きく後ろに退き、左膝が地面に接地するすれすれの低い独特な姿勢で構え、目にも止まらぬ早業で一閃を浴びせる戦闘スタイルでした。

河上彦斎は片山伯耆流居合(かたやまほうきりゅういあい)を習得したとも言われており、片山伯耆流居合でならったことと自身が考えた動きを融合させ我流の剣術を身に着けたそうです。

ほんとは義理人情に厚かった

 

緋村剣心はヒロインの薫や友人の原田相楽左之助、弥彦にはとても優しいし、むしろいじられキャラに徹しています。

当時は男尊女卑の考え方が一般的で、夫が妻よりも優位に立っている時代でしたが河上彦斎は妻思いのよい夫で、子供に対しては甘い父親でした。

 

京都で「人斬り彦斎」と恐れられ過激な言動をしていた河上彦斎ですが、大政奉還が行われ明治維新の大改革が始まると、兵学校の設立と兵士の育成を藩から命ぜられました。

河上彦斎が創設した兵学校は「有終館」といい、海軍兵士200人と陸軍兵士100人が学んだとされています。

河上彦斎は有終館で自ら教鞭をとり、将来皇国と天皇のために死力を尽くす兵士を育てんと役目を果たしていました。

 

新境地で教育者として活躍している彼にとって、人生を大きく左右する事件が起きます。

なんと、長州藩士の大楽源太郎が訪れたのです。大楽源太郎は大村益次郎暗殺事件の首謀者で、明治政府から追わる身となっていたのですが、明治政府転覆を企てるために有終館の兵士を借りたいと頼み込んできたのです。

しかし、河上彦斎はこの頼みを拒んだもののかつての仲間を見捨てることができず、大楽源太郎とその仲間を隠遁させたのですが、これも隠し通すことはできず明るみになってしまいました。

 

その後、河上彦斎は逮捕され有終館は創設わずか2年で解体。

大楽源太郎らを匿ったことで彼にはたくさんの反政府事件の疑いをかけられました。

 

容疑をかけられた事件への関与はどれも低いものだったのですが、明治政府によって開国が行われてもなお己の信念を曲げず、断固として攘夷論を強く説いたので、政府から危険分子とみなされ明治4年の年の暮れに斬首刑に処されました。

享年38歳。

 

最期まで信念を貫き通す

 

緋村剣心は「人を殺さず、守るための剣を振る」というを信念もって戦っていました。

河上彦斎も今わの際まで、尊王攘夷の思想を曲げず信念を貫き通して人生のピリオドを打ちました。

 

明治維新期はつい数年前まで攘夷を唱えていたのにも関わらず、明治に変わったとたんにコロッと思想を変えてしまうような輩もおり、河上彦斎のように最期まで信念を貫き通した者はごく少数であるそうです。

晩年に精強な兵士を育てようと努めたのは、今まで自分の殺めてきた者たちに対して悔やんでいる部分もきっとあったのでしょう。

そのように考えると、緋村剣心というキャラクターと河上彦斎という人物は似ていると思いませんか?












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2 件のコメント

    • ご指摘いただきましてありがとうございます。
      訂正させていただきました。

      おっしゃる通り相楽左之助のモデルである原田になっておりました。

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