吉川元春の嫁選びが男前すぎる?見た目で決めない嫁選び







みなさんは結婚相手を選ぶとき、一番重要なことは何でしょうか?

顔やスタイルなどの見た目?それとも優しいや面倒見がよいといった性格なのでしょうか?

生きていく以上やはり財力という観点も捨てがたいでしょう。

 

性格を重視する、容姿なんて関係ないと言う方もおられると思いますが、統計的に男性は見た目を重視する傾向が強いらしいです。

一般的に考えても相手の容姿を重要視する男性が多いことは想像に難しくありません。

 

しかし、この一般論とは逆の嫁選びをした吉川元春という戦国時代の武将がいます。

そして吉川元春の嫁選びが実に男前だと戦国史に残っていますので、今回はぜひその男前な嫁選びをみなさんに紹介させていただきます。

 

毛利元就の2本目の矢 吉川元春

毛利元就

毛利元就は生前3人の息子を矢に見立て「1本の矢はたやすく折れるが3本束ねれば折れなくなる」といういわゆる「3本の矢」の逸話を残したことで有名です。

そして毛利元就の2本目の矢、つまり次男が吉川元春という戦国武将です。

 

毛利元就の息子なのに名字が異なるのは、毛利氏が吉川氏と同盟関係を結ぶために養子に出されたからです。

次男といえば「グレやすい」というのが世の中の定説です。

実際毛利元就の次男である吉川元春も3本の矢のうちで飛びすぎて手がつけられないほどの矢でした。

 

嫁は自分で決める!吉川元春の勝手気ままな嫁選び

毛利元春

吉川元春はまだ元服前の10歳のとき毛利元就に対して実にぶっ飛んだ発言をしました。

「俺も戦に出るぞ!」です。

毛利元就は「なにバカなことを言ってるんだ」と叱責して反対し、毛利家の家臣たちも止めようとしたのですが吉川元春は聞く耳を持ちません。

そして無理矢理10歳で参戦し初陣を飾ります。

そしてその自分勝手な行動力は結婚という人生のターニングポイントにも影響を及ぼします。

吉川元春は「自分の嫁は自分で決める」と言って、勝手に自分で縁談を進めてしまったのです。

 

戦国時代の大名の結婚は、他国との同盟や家臣とのつながりをより強固にするために政略的に行われていたため、自分勝手に決めることは許されない世の中でした。

そんな中で結婚相手を自分で決めるということはあってはならないことだったのです。「恋愛至上主義」のようにどこの誰の子かもわからない美女を連れてきて「俺この子と結婚する」なんて言おうものならさすがの毛利元就も怒り心頭に達することだったでしょう。

しかし、吉川元春が嫁選びで選んだ結婚相手は毛利家の家臣の娘でした。

 

家臣の娘の中から嫁を娶るというのはごく一般的なことでここまでなら特に問題はありません。

ところが、吉川元春が嫁選びで決めた女性はブスで有名なお嬢さんでした。

そのお嬢さんは新庄局といい、熊谷信直の娘です。

ここでピンときた方もいらっしゃると思いますが熊谷信直は安芸国の国人領主で祖先は源平合戦で平敦盛を討った熊谷信実という武家の中では名門中の名門です。

 

その名門でありながら嫁の貰い手がなかなか見つからない熊谷信直は同僚たちに掛け合って何度も婿をゲットしようと奔走するのですが「お宅のお嬢さんか…顔さえ良ければよかったのに」や「あんなブスは二度とこの世に生まれないよ」、「家柄は申し分ないが、顔が残念」と言われ続けてきました。

そのため、熊谷信直は娘の新庄局や歴代の祖先たちに負い目を感じていました。

そんなときに君主の次男吉川元春が男前にも「ぜひ自分の嫁に欲しい」と申し込んできたのですから感激にむせび泣いて喜んだことでしょう。

 

毛利元就も追求した吉川元春の男前な嫁選び

 

上記のように不美人であることで有名な女性をなぜ自分の息子は嫁に選んだのかと毛利元就は納得がいきませんでした。

そのため吉川元春のもとへ使者を送り「なぜその嫁を選んだのだ?」と真相を追求しました。

すると、吉川元春はこのように答えました。

 

「結婚相手を選ぶのに顔は関係ない。熊谷の親父も『うちの娘はブスって言われるから嫁の貰い手がいない』と悩んでいたので俺が嫁にもらうと言ったら喜んで今まで以上に恩義とか忠誠を誓ってくれると考えている。」と弁明しました。

吉川元春も彼なりにきちんと「大名の嫁取り」について十分に理解した上で新庄局を嫁に選んだのでした。

これには毛利元就も「さすがはわしの息子、わしの育て方は間違ってなかった」と納得し、吉川元春が希望通りの結婚をすることを許しました。

 

男前は後遺症を気にしない

 

一説によると新庄局は幼少期に疱瘡(天然痘)に感染したことがあると言われています。

疱瘡はあの伊達政宗山本勘助の目を奪い、顔に醜い後遺症をもたらす病気です。

新庄局は彼らに比べれば軽い方でしたが、その後遺症で顔にブツブツと痕が残ってしまいました。

そのため、肌がデコボコしていただけで、元は美人であったことが考えられます。

しかし、戦国時代の女性にとって顔に痣や傷跡が残ることはそれだけでブスというレッテルが貼られてしまうものでした。

 

吉川元春が嫁選びで決めた新庄局は良妻賢母

 

結婚する前から偉そうに男前な回答をした吉川元春の嫁選びがどのような結果だったのか、気になる方もいることでしょう。

実際新庄局はよくできた奥さんだったようです。

 

吉川元春は新庄局との間に長男吉川元長を生み、続いて次男吉川元氏、三男吉川広家をもうけます。そして、吉川元春は新庄局を深く愛し、側室を娶りませんでした。

また、吉川元春が息子に「内と我らふたりのおひざもと」と家庭のぬくもりを語り、広家には「われら二人 親ふたり 二人の親」と夫婦のあるべき姿を語る手紙を新庄局と連名で送っています。

新庄局が吉川元春にとって心のよりどころになっていたのは確かでしょう。

 

まとめ

 

さて、以上が吉川元春の男前な嫁選びとその結果です。

吉川元春の嫁選びは顔がよいという観点だけで自分の生涯愛する相手を決めるべきではないと冷静に考え、良妻賢母を得る結果につながりました。

男前な理由からですが、その実よき相手を得たことで吉川家は夫婦円満で永遠に心の安らぐ場所となりました。










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