左遷された菅原道真のたたり? 都人が恐れた災厄を鎮めた「北野天満宮」







受験シーズン、多くの学生で賑わう「北野天満宮」

心をこめて、学問の神様「菅原道真公」に合格をお願いします。

年間500万人の参拝者の約7割は、成績向上や合格祈願だとか。

「天神さん」と親しまれる北野天満宮ですが、創建時は道真公の怨霊を鎮めるためでもあったと伝わります。

今回は、菅原道真の生涯をたどりながら、北野天満宮の成り立ちと歴史、見どころなどをご紹介していきます。

 

「菅原道真」祟り(たたり)を鎮め、やがて学問の神様に

平安時代、右大臣にまで昇りつめた菅原道真は、讒言(ざんげん:人を陥れるための告げ口)により、大宰府に左遷され、失意のうちに生涯を閉じます。

その後の都では、落雷などの天災や疫病の流行、政敵の相次ぐ急逝などが続き、道真の祟りとの噂が広まりました。

 

祟りを鎮め、世の平安を願うため、都の守護を司る北西に位置し、古くから雷神が祀られていた北野の地に、道真の霊を祀る社が造営されました。

やがて雷神信仰と結びつき、道真を「天神様」として祈願する、天神信仰の発祥の地となったのです。

現在、北野天満宮は、全国1万2000社ある天満宮・天神社の総祠(そうし:総本社)であり、学業守護の社と名高い「天神さん」として、多くの人々に親しまれています。

 

道真の鎮魂から始まる、北野天満宮の略年表

 

  • 昌泰4年(901)菅原道真が大宰府に左遷される
  • 延喜3年(903)道真が太宰府の配所(はいしょ:流刑地)で亡くなる
  • 天慶5年(942)菅原道真の乳母だった巫女(みこ)の多治比文子(たじひのあやこ)は、道真から「北野に社殿を設け、祀れ」との託宣(たくせん:お告げ)を受け、自宅近くに小さな祠(ほこら:神を祀る小さな社)を設けた
  • 天暦元年(947)北野天満宮創建 多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主・神良種(みわのよしたね)、北野朝日寺の僧・最珍らが神殿(観音堂)を建てる
  • 天徳3年(959)ごろ、藤原師輔(もろすけ:時平の甥)が私財を寄贈して、壮大な社殿が造営される 「北野聖廟」「天満天神」と呼ばれた
  • 天禄4年(973)焼失する
  • 永延元年(987)一条天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念される 「北野天満宮天神」の神号が認められる 北野祭が始まる
  • 寛弘元年(1004)一条天皇の行幸(ぎょうこう:天皇の外出) 代々皇室の崇敬をうけ、国家国民を守護する神として崇められる
  • 天福2年(1234)焼失した
  • 元中4年(1387)室町幕府3代将軍・足利義満が、北野社領を保護する
  • 元中8年(1391)足利義満が、一日万句の大連歌会を催す 将軍の祈祷を担う
  • 文安元年(1444)文安の麹騒動(天満宮を本所としていた麹座(こうじざ)の麹製造独占権騒動 義満の怒りをかう)で、室町幕府軍の攻撃を受け社殿焼失し、一時衰退する
  • 天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉により北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)が催される
  • 天正19年(1591)秀吉が境内西に、御土居(おどい:京都を囲む土塁 全長22.5km)を築く
  • 慶長8年(1603)出雲阿国(いずものおくに)が、念仏踊と歌舞伎舞を演じる(京都で最初の興行)
  • 慶長12年(1607)豊臣秀頼が、秀吉の遺命により、片桐且元(ただもと)を造営奉行として、現在の社殿(本殿、拝殿など)や中門・東門・後門・廻廊・透塀(すかしべい)を造営
  • 元禄13年(1700)1年かけて修復する
  • 文久元年(1861)和宮が、14代将軍徳川家茂に降嫁する前に参詣
  • 明治4年(1871)官北野神社と改名する
  • 昭和20年(1945年)北野天満宮と改称
  • 昭和41年(1966年)梅苑が開苑
  • 平成28年(2016)御手洗(みたらし)川が完成

 

 

神童「道真」の出世と失意の生涯

 

北野天満宮創建のきっかけとなった、菅原道真の生涯をたどっていきましょう。

 

845年、奈良市で生まれたとされていますが、諸説あり出生地の詳細は不明です。

幼いころより学業に優れ、和歌を詠み、漢詩を作るなどの才能を発揮し、神童と呼ばれました。

862年、18歳で文章生(もんじょうのしょう:官僚育成機関の大学寮で学び、現在の人事院に相当する式部省の試験に合格した者)となります。

877年(33歳)には、ついに文章博士(もんじょうはかせ:大学の文章科教官の長)となり、式部少輔 ( しきぶしょうゆう )という官職につきます。

891年(47歳)、当時権勢を振るっていた藤原氏に対抗したい宇多天皇は、道真を蔵人頭(くろうどのとう:天皇の首席秘書)という要職に就けて、藤原氏を牽制しました。

894年(50歳)、遣唐大使に任命されますが、唐の混乱などを理由に中止し、以後遣唐使が派遣されることはありません。

895年(51歳)には、中納言(階級上位から、太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣・大納言・中納言の順)に任命されます。

896年、長女衍子を宇多天皇の女御(にょうご:后の位の一つ)にし、翌年には三女寧子を宇多天皇の皇子に嫁がせるなど、皇族との姻戚関係を強化しました。

897年(53歳)、政敵の藤原時平は大納言、道真は権大納言(定員外の大納言)に任命され、太政官(だじょうかん:行政の最高機関)の上位に並びました。

同年、宇多天皇が醍醐天皇に譲位します。

899年(55歳)、道真は右大臣に任命されますが、藤原時平は上位の左大臣になりました。学者の道真と上級貴族の時平は、対立していたと言われています。

901年(57歳)、「醍醐天皇を廃立させて、道真の娘婿の斉世親王を次期天皇にしようとした」との、無実の罪で大宰府に左遷されます。

醍醐天皇と藤原時平が、対立する宇多上皇の勢力を排除するために、菅原道真を陥れたというのが定説ですが、真相は不明です。

道真は2年間、太宰府天満宮境内の榎社(えのきしゃ)で過ごしましたが、酷い暮らしの中で健康を害します。

903年、冤罪が晴れることなく、失意のうちに59年の生涯を閉じました。

 

梅を愛した道真、没後から「北野天満宮」創建まで

「 東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

道真が、都を離れる時に詠んだ有名な和歌ですね。

道真を慕った梅が、京都から大宰府まで、一夜のうちに飛んだと伝わる「飛梅伝説」の梅と同種の「紅和魂梅(べにわこんばい)」が、北野天満宮のご神木(樹齢300年)です。

 

菅原道真の死後、909年に政敵の藤原時平が39歳で病死、また、醍醐天皇の皇子や孫が相次いで死亡します。

さらに930年、清涼殿(朝廷の政務の場)の落雷により、多くの朝廷要人が死傷、3ヶ月後には醍醐天皇も崩御しました。

 

これらの京の異変を道真の祟りと恐れた朝廷は、道真を赦免し名誉を回復しました。

923年には右大臣、993年には太政大臣の位が贈られています。

そして947年、菅原道真をご祭神とする「北野天満宮」が創建されるのです。

平安時代末からは、冤罪を晴らす神様としても、信仰されています。

 

道真がこよなく愛した梅は、神紋(しんもん:神社の紋章)として伝わり、ご神木をはじめ境内の多くの梅が、今も参拝者の目を楽しませています。

例年2月上旬から3月下旬に開苑する「梅苑」では、約1500本の梅が美しい花を咲かせます。

1本の枝に紅白の花が咲く珍しい梅「思いのまま」や黒梅、白梅や紅梅、一重や八重など50種類の梅が咲き誇ります。

ゆっくりと散策した後は、茶屋で梅苑の梅を使ったお茶とお菓子をいただきましょう。

入苑時間は、10:00~16:00、入苑料は700円(茶菓子付)です。

 

2月25日の道真の命日には、900年以上続く歴史ある祭典「梅花祭(ばいかさい)」が催されます。

梅の枝を供える「梅花御供(ばいかのごく)」や、蒸したお米を台に乗せた「大飯」「小飯」などの神事が行われ、「厄除玄米」が授与されます。

三光門前広場では、豊臣秀吉が開催した「北野大茶湯」に由来する「梅花祭野点大茶湯」が催されます。

上七軒(かみしちけん:東門前の京都最古の花街)の芸舞妓さんたちによる、野点(のだて:屋外で楽しむ茶会)の接待が受けられますよ。

野点茶会は、10:00~15:00、1500円(宝物殿拝観券・お供物引換券付)です。

 

また、毎月25日の「天神さんの御縁日」には、参道に骨董や古着、鉢植えなどを扱う露店が並び、多くの参拝者で賑わいます。

開催時間は、6:00~21:00、境内のライトアップもあるので、旅の日程が合う人は、ぜひ訪れてみてください。

 

北野大茶湯は、秀吉お得意のパフォーマンス

 

1587年10月1日、北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)は、権勢を誇示したい秀吉により、九州平定の祝いと聚楽第の完成を記念して催されました。

開催に先立ち、諸大名や公家、茶人などに朱印状を出し、触書高札「定御茶湯之事(さだめおちゃゆのこと)」を京都や奈良、堺などに立てて、公家から農民まで貴賎貧富を問わず集まるよう指示しました。

 

当日は、800(1500とも)の茶屋が並び、1000人(1600人とも)が茶会に集ったと言われています。

北野天満宮の拝殿では、組み立て式の黄金の茶室と、秀吉自慢の名物道具が披露されました。

千利休ほか名のある茶人が茶頭役を務め、秀吉自らも茶を点て、民衆に振舞いました。

ちなみに、福島正則と加藤清正が門番を務めたとか、豪華ですね。

 

当初10日間開催される予定の茶会は、九州肥後の国で一揆が起こったため、1日で終わってしまったというのが通説です。

気まぐれな秀吉が1日で満足したためとか、思いのほか京都の人が集まらなかったので早めに切り上げたなどとも言われますが、真相は不明です。

会場跡には、「北野大茶湯の碑」が建ち、茶を点てる時に供する水を汲んだと伝わる「太閤井戸」が残ります。

 

豊臣秀頼が遺した国宝や重要文化財

 

1607年、豊臣秀頼が、現在の社殿などを造営しました。

秀頼は、北野天満宮以外にも、秀吉の追善供養として、東寺・延暦寺・熱田神宮・石清水八幡宮・鞍馬寺などを再建しています。

徳川家康が大坂城を攻める前に、秀吉が残した豊臣家の莫大な財産を消費させ、経済的に疲弊させようとしたと言われています。

 

・国宝 社殿

約500坪の社殿は、本殿と拝殿の間に石の間、本殿の西に脇殿、拝殿の両脇に楽の間という複雑な構造になっています。

八棟造(やつむねづくり)と呼ばれ、徳川家康を祀る日光東照宮に受け継がれたため、権現造(ごんげんづくり)とも言われます。

 

・三光門(さんこうもん)

重要文化財の三光門は、拝殿の入口に建つ、鮮やかな装飾の中門です。

三光は日・月・星を表し、梁の間の彫刻が名の由来となっています。

 

※境内に横たわり撫でるとご利益のある「なで牛」、秀吉が寄進した日本最古の「絵馬所」、50の摂社・末社(神社の境内にある小さな社)など、広大な境内は見どころ豊富ですよ。

 

北野天満宮の基本情報

 

・参拝時間
4月~9月 5:00~18:00
10月~3月 5:30~17:30
*毎月25日の縁日は、21:00まで

・参拝料
境内の拝観は自由

・アクセス
JR京都駅より市バス50・101系統 北野天満宮前下車すぐ
最寄駅の京福電車「白梅町駅」より徒歩5分

・駐車場
(第1駐車場:300台、第2駐車場:40台)
9:00~17:00 無料
※毎月25日の縁日は、第1駐車場は利用不可

・宝物殿
9:00~16:00
500円
※開館日:1月1日、12月1日、毎月25日、4月10日~5月30日、観梅・紅葉シーズン

・史跡 御土居の青もみじ公開
9:00~16:00
500円
※例年5月上旬〜下旬に公開

・もみじ苑公開
9:00~16:00(ライトアップは日没~20:00)
700円
※例年10月下旬~12月上旬に公開

〒602-8386 京都市上京区馬喰町 北野天満宮社務所
電話番号 075-461-0005
FAX番号 075-461-6556
※北野天満宮公式サイト : http://www.kitanotenmangu.or.jp/


 

天神様となった道真公を偲んで、参拝しましょう

 

受験を前に、地元の天神様に、合格祈願に訪れた人も多いのではないでしょうか。

清涼殿落雷事件をきっかけに創建された北野天満宮は、学業守護の社として多くの信仰を集める、天満宮・天神社の総本社です。

学業以外にも、技芸上達・スポーツ向上・身体健康・病気平癒・縁結び・子授け・安産・家内安全・金運向上・商売繁盛、そして一願成就(牛を撫でると一つ願いが叶う)などのご利益を頂戴できる北野天満宮は、京都有数のパワースポットですね。

神童から右大臣、怨霊神から天神様へと、波乱の人生を歩まれた菅原道真公を偲びながら、広大な境内をゆっくりと散策してみてはいかがでしょう。












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