甲子園大会の歴史は100年以上!?甲子園大会の始まりとなる第一回大会について







高校球児なら誰しもがそのグラウンドに立つことを夢見る甲子園(全国高等学校野球選手権大会)は100年以上の歴史があります。

先に示す大会名に変わってから2018年でちょうど100周年になります。

本記事では、野球の聖地甲子園の始まりである第1回目の全国高校野球について綴っていきます。

 

第1回目は甲子園ではなかった?

甲子園とは大会名ではなく、本来はその大会の会場となる球児たちの聖地阪神甲子園球場のことを指しています。

甲子園といえば高校球児たちが出身校の名を背負って野球をする大会ですが、当初は中学校の野球大会でした。

甲子園の第1回目の大会は現:全国高等学校野球選手権大会の前身となる全国中等学校優勝野球大会として大阪府の豊中運動場にて西暦1915年に開催されました。

 

当時は学校の教育制度が現在の6(小学)・3(中学)・3(高校)・4(大学)制ではなく6(小学)・5(中学)だったので、甲子園の会場に立ったのは高校生ではなく中学生でした。

また、現在の阪神甲子園球場は完成したのが西暦1924年なので甲子園と呼ばれるようになるのはまだまだ後のことです。

 

第1回目の甲子園(全国高校野球)が開催された時代

 

第1回目の甲子園(全国高校野球)が開催された西暦1915年は大正4年。

第一次世界大戦の翌年でそのときの内閣総理大臣は明治維新で伊藤博文(いとうひろぶみ)、木戸孝允(きどたかよし)、岩倉具視(いわくらともみ)らと活躍した大隈重信(おおくましげのぶ)です。

 

当時日本人の大半はまだ着物を着用しており、庶民がスポーツを楽しむということは稀でした。

また、今ではごく当たり前のようにリトルリーグや各校に野球部がありますが、野球はまだまだ一般人には手の届きづらいスポーツでした。

 

甲子園第1回目の参加校と出場校

第1回目の甲子園には選抜大会への参加校が73校、そのうち出場校となったのが10校です。

第1回大会の出場校となったのは

  • 東北代表…秋田中学校
  • 東京代表…早稲田実業
  • 東海代表…山田中学校
  • 京津代表…京都第二中学校
  • 兵庫代表…神戸第二中学校
  • 関西代表…和歌山中学校
  • 山陽代表…広島中学校
  • 山陰代表…鳥取中学校
  • 四国代表…高松中学校
  • 九州代表…久留米商業

です。

 

甲子園第1回大会の会場となった豊中運動場

 

甲子園第1回大会の会場となった豊中運動場は野球のために整備された球場ではなく、むしろ陸上競技場として使われることの多いグラウンドでした。

豊中運動場は1周400メートルトラックがあるだけのただの平地、観客スタンドもなければフェンスさえない運動場です。

そのため、当時は木造の屋根のある仮設スタンドを臨時で設け、マウンドはなくスローラインは石灰でラインが引かれているだけでした。

また、フェンスがないので地面に杭を打ち込みロープを張ってグランドと場外の境界としました。

つまり、張り巡らされたロープを超えればホームランになったのです。

 

第1回では多くの甲子園史上初が誕生

 

第1回目なので当然と言えば当然なのですが、第1回大会では多くの甲子園史上初が誕生します。

まずは始球式、名実ともに甲子園の第1球を投げたのは朝日新聞社の社長を務めた故・村山龍平氏です。

オシャレな洋風の帽子をかぶり、紋付羽織袴という和洋折衷な恰好で登場した村山龍平氏、彼の投げたボールは真っ直ぐキャッチャーミットの中へ吸い込まれ主審からストライクのジャッジがありました。

村山龍平氏はこの日に向けて投球練習を重ねていました。

 

現在の甲子園では始球式はあくまでイベントであり、始球式で投げられたボールではなく、代表の投手が投げたボールがその試合の第1球目にカウントされます。

しかし、2000年に出版された「高校野球の100年」の記事によると村山龍平氏が始球式で投げたボールは何故か甲子園の第1球目としてしっかりカウントされています。

そのときの先頭打者は三振していますが訂正されることはなかったといいます。

 

また、第1回目の甲子園決勝戦では京都第二中学校(現:鳥羽高校)と秋田中学校(現:秋田高校)が対峙しました。

その試合では甲子園史上初の延長戦が行われ延長13回まで続きました。

 

第1回甲子園の覇者 京都第二中学校(現:鳥羽高校)

第1回目の甲子園の決勝戦は京都第二中学校(現:鳥羽高校)と秋田中学校(現:秋田高校)が争ったと先に記しました。

当時はまだ球種自体が少なくほとんどの投手はストレートしか投げられず、打者もストレートしか体感したことがありませんでした。

しかし、京都第二中学校(現:鳥羽高校)の代表投手となった藤田選手はカーブを投げられるという当時では珍しい選手でした。

秋田中学校の選手はストレートばかり打ちなれていたのでカーブに翻弄されました。

 

対して秋田中学校は粘り強い守備で勝ちをなかなか譲りません。

延長13回の裏、攻撃は京都第二中学校、守備は秋田中学校です。

1アウト2塁、内野ヒットの打球に秋田中学校の選手がもたついている間に2塁にいた京都第二中学校のランナーが3塁でとどまらずにそのままホームベースへ直行。

秋田中学校の捕手が捕球しかけていたときにホームベースへスライディングし、第1回大会は甲子園史上初の「サヨナラ」で京都第二中学校が覇者となりました。

 

まとめ

 

100年以上も続く甲子園。

甲子園の始まりとなる第1回大会は阪神甲子園球場ではなく、大阪府の豊中運動場で開催されました。

第1回目の甲子園に参加した学校は全国で73校、うち出場を果たした学校はたったの10校。

第1回大会決勝では京都第二中学校(現:鳥羽高校)と秋田中学校(現:秋田高校)が対峙し、第1回の覇者は京都第二中学校(現:鳥羽高校)が手にしました。










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