圧倒的に危ない男!大日本帝国陸軍参謀『辻政信』とは何者か!?







大日本帝国陸軍はどうしても太平洋戦争ではわき役的イメージが強のではないでしょうか。

太平洋戦争中、戦前の陸軍にはあまりいいイメージは無いでしょう。

まあ、太平洋戦争に興味の無い方で「海軍」であれば「零戦」、「大和」、「山本五十六」と有名な名前が名前は知っているかもしれませんよね。

では、「陸軍」は? 「隼」、「チハ」、「三八式歩兵銃」でしょうか。人物は……

教科書に出てくる、開戦時の首相である東條英機大将くらいでしょうか。

 

しかし――

ネットを中心に「誰か知っている人」とアンケートをとれば、この男がおそらくTOPに食い込んでくることは間違いないでしょう。

『辻政信』大佐――

 

戦後、「機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男」とアメリカのCAIに評された男。

辻政信とはいったいどんな人物だったのでしょうか。

 

辻政信とは何者なのだ?

亀井宏氏の「ガダルカナル戦記」という名作のノンフィクションがありますが、今でも手軽に文庫で入手できます。

この中に、辻政信については「原稿用紙500枚を使ってもその人物を描ききれない」と評価されています。

それほどまでに、良い評価と、最悪の評価がごった煮となって、カオスとなって結晶化したような人物です。

 

まず、軍人としての頭脳は優れていたのでしょう。

陸軍士官学校は首席、陸軍大学校は3位の席順で卒業しています。

これは、将来、陸軍内でTOPになることを約束されたようなものです。

しかし、彼の行動を見ていくと組織内の「出世」ということに全く興味が無いように見えます。

自分の意見を通すためなら上司にも噛みつく。命令のねつ造すら平気でやります。わが身が可愛い組織内での出世を考えるような小物ではないです。

 

参謀という後方にいればいい存在なのに、銃弾が飛び交う前線にも出ていきます。

彼の身体には何発、何か国もの弾丸、断片が食い込み、戦後はその古傷を見せて自慢することがよくあったようです。

辻政信は、大日本帝国陸軍参謀として、活躍したことは確かです。

ただ、本当に評価の困難な人物です。

 

神か?悪魔か?評価不能の危ない参謀

まず、辻政信は非常に潔癖です。

不正が大嫌いで、上司が料亭で飲み食いにふけっていると、その証拠を入手して告発します。

中国戦線では高級料亭に入り浸る、佐官や将官見ると怒り狂い「高級料亭の閉鎖」を提案します。

そんなもの通るわけがありません。

しかし、常識も組織の論理も辻政信の前には関係ないのです。

高級料亭などなくなればいいわけです。

 

上海では別の人間が起こした料亭放火事件の犯人と噂されましたが、辻政信は、それを否定しません。弁解しない潔さで評価を高めようとかでは無いと言われています。

 

己の恐怖――

 

辻政信は何をしでかすか分からんという、恐怖を高級将校に見せつける材料に使ったようですね。

こういった潔癖な面や、兵隊や下の者を思う気持ちが非常に強かったという行動を見せています。

兵隊が寒い中、夜営をしているにも関わらず、演習中に酒を飲んでいた上官と殴り合いです。そして、部下をいたわり、休む時も最後に座りそれまで兵をねぎらいます。

 

また、兵の荷物まで持つというかなりの体力の持ち主だったようです。

戦闘になると、まさに弾丸の下を平気で潜り抜ける参謀であったことは確かなようです。

それが参謀として正しかったどうかは分かりませんが。

 

「戦争は負けたと感じたものが負けだッ!!」

ノモンハン事件とは太平洋戦争の直前1939年に起きた国境紛争です。

満州国とモンゴルの国境紛争が、そのバックにいる日本とソ連の国境紛争になっていったものでした。

旧ソ連が崩壊する直前に史料が流出するまでは、一部を除いて日本のボロ負けの戦闘であったといわれています。

ただ、国境紛争の結果は、芳しくありませんでしたが、戦闘における日本とソ連の被害では圧倒的にソ連軍の方が多かったことが分かっています。ソ連も相当な苦戦をしたようです。

 

このノモンハン事件に、辻政信参謀が関わっています。

東京の参謀本部から送られてきた「停戦」の命令を握りつぶします。

そして、現地で戦闘続行です。

完全に軍法違反行為なのですが、なぜか処分が軽く済みます。

とにかく、中央の制御が効きませんから辻政信という参謀は。

ノモンハンの停戦も不服で、続ければ絶対に勝てたと、ずらりと大砲並べて準備していたのは確かです。辻政信は「戦争は負けたと感じたものが負け」と語っています。

要するに、負けたと思わねば負けないのですから最強です。

 

南方作戦で「作戦の神様」へ

太平洋戦争、つまり日米戦が避けられなくなると、辻政信は南方攻略作戦の立案と、兵隊たちの教育のために「これさえ読めば戦に勝てる」という小冊子を作ります。

マレー半島の攻略、続くフィリピンでの戦闘などは、戦闘作戦立案、指揮については、完璧であると評価する歴史家も多いです。

 

戦闘作戦立案能力は高く、少なくとも結果を出しています。

あれだけの大軍を動かすというのは、膨大な物資も動きます。辻政信はこのときはそれをきちんと計算して作戦していたようです。

作戦は成功し、辻政信はマスコミの間で「作戦の神様」と持ち上げられるようになります。

当時もマスコミは「スター」が欲しかったのです。

 

ただし、戦後の調査では辻政信を中心に作成した「これさえ読めば戦は勝てる」は兵隊から完全に無視され、あまり読まれていなかったようです。

ヘビの肝が滋養にいいとか、書いてあったなぁくらいの覚え方だったようです。

 

また、上司であった、山下大将からは「狡い小人物」と日記に書かれています。

これは、考えれば山下大将が皇道派と思われ、統制派の東條英機との仲が険悪であったことで、東條のラインにいると思われた辻政信の評価が辛かったのかもしれません。

 

そして、辻政信はマレーでは華僑を殺戮するという命令を出しました。中国とは戦争中ですから、敵性国家の国民だという理論でしょう。

そして、バターンでは、ギリギリまで米軍が粘ったため、7万6000人以上の捕虜を出しています。

その結果、日本の用意していた捕虜輸送計画が破たんします。

 

有名な「バターン死の行進」という、炎天下に捕虜を歩かせ虐待したというのは、真実ではなく結果論として日本の捕虜輸送計画の読み違えから生まれたものとされています。

しかし――

辻政信は違います。ここでも辻政信は偽装命令を作るのです。

アメリカ人も、アメリカ人に味方したフィリピン人も捕虜にすることなく、その場で処刑すべしという命令です。

ただし、当時の陸軍将校は、多くの人が真面目です。

こんな命令あり得ないだだろうということで、実際には組織的な虐殺はおきなかったといわれています。

 

一部では、偽命令で捕虜の処刑を行った部隊長もいたようですが、全体としてはそうはなりませんでした。

ただ、結果がどうであれ、辻政信参謀の精神性の恐ろしさ、敵への容赦なさ。

その悪魔性が垣間見える事件です。

 

ガダルカナルの人外・参謀

辻政信参謀の命令ねつ造はまだ続きます。

ニューギニア戦線では、連合軍の重要基地である、オーストラリア側に位置するポートモレスビーの陸路攻略を「作戦研究」から「完全な実行命令」に捏造します。

そして、陸路を進んだ日本陸軍がポートモレビーの灯を見ることのできる位置まで迫りますが、そこで撤退。

結果的に多くの犠牲を出すことになりました。

 

太平洋戦争の転機となったがガダルカナルの戦闘にも辻政信参謀は登場します。

ここでの評価も真っ二つです。

二見秋三郎少将というガダルカナル戦に関わり、戦後も生きていた軍人がいます。

彼は、南方方面を担当する第17軍・軍参謀長でした。

二見軍参謀はガダルカナル奪回のためには、『砲兵を含む有力二個師団以上を即時派遣して勝負しなければだめだ』と、かなり早い段階で決断します。

そして、上層部に提言しましたが、その案は却下されました。

この提案から先見性の高さで戦後も評価されている軍人が二見軍参謀長です。

その彼が、辻政信を「超人」と絶賛しています。

 

超人であるので、人間の価値基準では測れないといいって、ガダルカナル戦記の作者である亀井氏に語っています。

ただそれは、参謀としての評価というより「屈強な軍人・前線指揮官」としての評価です。

 

ガダルカナルの戦闘では日本はアメリカに敗れます。

この責任は辻政信という個人にかぶせることはできないでしょう。日本陸海軍の様々な組織的問題が見えなくなってしまいます。

ただ、辻政信は、ここでも川口少将という2回目のガダルカナル飛行場への攻撃を仕掛けた指揮官と対立し、戦後も負けた理由の罪のなすりあいをしています

その後、ガダルカナルをマラリアにより去りますが、次はビルマへと向かい、劣勢の中、戦いそして終戦を迎えるわけです。

 

遥かなる旅立ち―― そして

辻政信は、戦犯になることを恐れ、僧の姿となり、連合軍の追及を逃れ逃げ回ります。

辻政信は、戦犯指定が解除されるまで逃げ切って日本に帰国します。

この逃走していた体験記が戦後「潜行三千里」として大ヒットします。

そして地元の石川県から1952年に衆議院選に出馬し、当選します。彼は国会議員となったのです。

 

その後も、政治家としては根強い人気で1961年には、ベトナムに入っていきます。

思想的に反共活動を行っていた辻が北ベトナムでホー・チ・ミンに面会しようとしたのです。

結果、彼は日本には戻ってきませんでした。

トラに食われた。毒蛇にかまれて死んだ。暗殺された――

様々な説があますが、とにかく失踪してそのまま、彼は死亡したことになったのです。

 

戦後、多くの歴史家から「悪魔」扱いされています。

半藤利一氏などは生前の辻政信と面会した後の感想として「絶対悪というものが出現存在する気配にとらわれた」とまで書いています。

ただ、下級の兵に慕われ、教官だった時代も、評価が高かったこともあります。彼を「超人」と評価する将官もいました。

人間は簡単に評価できないものですが、この辻政信という人物は本当に評価の難しい人物です。

まるで、旧軍の組織的問題までも、彼の責任にされているところもあるのではないでしょうか。










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1 個のコメント

  • 先ほどノモンハン事件の真相というNHKの番組を観ました。

    テレビ放送は編集の方向性によって、その放送から感じる印象は大きく変わることは重々承知しています。
    そういったことは分かったうえで、嫌な男だと私は感じました。

    調べてみればみるほど、その後の人生の歩み方も実にこざかしい。
    嫌な男、というと安っぽい言い方ですが、それ以外にうまい形容がみつかりません。

    叶うのであれば、いったい人の命というものをどう捉えていたのか、ただそれだけを問うてみたいと強く感じます。

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