「歴史を学ぶ理由が分からない」という考えは歴史が苦手な方、嫌いな方なら誰しもがいき着く疑問でしょう。
そもそもなぜ私たちは歴史を学ぶ必要があるのでしょうか?
文部科学省が歴史を義務教育として定めているのにはちゃんと理由があります。
「過去のことなんてどうでもいい」そう思っている方は歴史を学ぶことの意義、意味を知れば、「歴史なんてどうでもいい」なんてことは言えなくなるはずです。
それでは、私たち人間が歴史を学ぶ意味について考えていきましょう。
歴史を学ばなくたって生きていける
『歴史なんて勉強しなくても生きていける』
この言葉は私がまだ中学生だった頃、私の友人が歴史の授業で堂々と言い放った言葉です。
歴史が嫌いだった彼女は数学と理科が得意で、歴史が得意教科だった私とは真逆のタイプでした。
そして彼女も「歴史を学ぶ意味が分からない」という疑問にたどり着いたひとりです。
彼女から「なんで歴史を勉強するんだろう?」このように質問されたとき、私は「歴史を勉強する理由は正直わからないけど、オレは歴史の勉強が好きだからね」というとても適当な解答をしてしまいました。
もし、私がこれから書かせてもらう歴史を学ぶことの意義をこのときちゃんと説明することができていたら、彼女が第1志望だった高校をあと10点という惜しい点数で不合格になることもなかったかもしれません。
歴史を勉強することで歴史上の失敗を学ぶ
「歴史上にあった過去の失敗を学ぶ」という言葉は歴史を勉強する上でよく先生が言うことです。
過去の失敗例を学ぶことによって、私たちは同じ過ちを犯すことのないようにしていかなければなりません。
しかし、過去とまったく同じことが本当に起こるのか?と問われると答えは「限りなく同じことが起こりうる確率は低い」となるでしょう。
今は昔と違い科学の力で雷などの超自然的なエネルギーを立証することができているし、テレビや電話の発明によって情報伝達スピードはかなり速くなりました。
このように時代が進めば状況が異なってくるし、状況が異なればとるべき防止策や起こってしまった後の措置などが変わってくるはずです。
となると、歴史の授業で勉強した通りに過去にとられた対策や方法とまったく同じことをしても解決の糸口が見つかるとは限りません。
また、その反対の成功例をとりあげても同じことで、過去とまったく同じ成果を上げたとしても、もうすでに誰かが成し遂げてしまったことなので、誰も関心を示してくれないのです。
このことから歴史の勉強をするのは意味がない!と思うのはまだ早いです!
次からは歴史の勉強を本当の意味で活かす方法について説明します。
歴史を学ぶことは因果関係を見抜くこと
歴史上に起こった失敗には、必ず何らかの原因があります。
これをきちんと理解しておけば、少々状況が異なっていても、その場に適した行動や対策を思いつくことができます。
それでは例として歴史上起きてしまった「応仁の乱」と「胡亥の乱」というふたつ失敗を例に因果関係を考えてみましょう。
まず「応仁の乱」は1400年代にかつて日本で起きた戦争です。
もうひとつの「胡亥の乱」は今から2500年前の中国で起きた出来事です。
「応仁の乱」は叔父と甥との間で繰り広げられた室町幕府将軍の座を争った事件。
「胡亥の乱」は秦の始皇帝の次男胡亥が帝王に就くために父の死を隠して兄弟を次々と殺害していった事件です。
どちらも国や起こった時期、事件に至った経緯は異なりますが、「応仁の乱」は先代の将軍が弟(叔父)に位を譲ろうとしたのに子(甥)側が反発したこと。
「胡亥の乱」は先代の帝王が長男(兄)に継承するつもりだったのに弟(次男)がそれを隠して兄を殺害したことが経緯となっています。
この2つの失敗例、どちらも共通して言えるのが「先代の言うことを聞かずに跡目に就こうした」ことが原因となっています。
このことから、跡目争いで失敗しない為には「明確な継承権を定義しておくこと」、「後継ぎ争いを取り締まる法律を作ること」などの対策が考えられます。
日本国憲法では天皇につく権利(皇位継承権)は皇太子にあると明確な定義をしています。
おそらく日本国憲法を考えた方々は、歴史を学ぶ上で今回取り上げたような失敗から国が乱れる可能性があるため、明確な定義を憲法に乗せるべきと考えたのでしょう。
以上のように因果関係に注目して考えることができればひとつの出来事をたくさんの事件や事象と比較して応用することができるのです。
因果関係を見抜くためにはぐっと近づいてその物事を見つめたり、視野を広げて遠目で見るなどいろいろな視点を持ってひとつの出来事を分析し、簡略化することが大事です。
そうすることによって同じ失敗をせずに済むようになります。
歴史を学ぶ際には、物事を分析してその因果関係や本質に注目することが重要であると言えます。
歴史を学ぶことで時代の変化に順応できる人になれる
歴史を考えないで生きてきた人はその時代に翻弄されることを証明してくれる良い反面教師です。
たとえば新しい農地を耕すことを怠けていた農民はお米を納税する量が増えたり、凶作に陥ると飢饉に陥って命を落としました。
戊辰戦争や函館戦争に参加していた民兵も「上の人から行けと言われたから」という理由で参戦し、なんの抵抗もできないまま命を落としています。
このように何も考えずに目先のことだけに反応していたり、価値観や物事の判断を組織や上位者の手にすべて委ねてしまうと時代の変化にうまく対応できず翻弄されてしまうのです。
そうならないように私たちはきちんと自分で考えて人生を歩まなくてはいけません。
- 《これからどんなことが起きようとしているのか?》
- 《もしそうなったらどうすればよいのか?》
- 《そうなった時に備えてどんな準備をしておくべきなのか?》
これらを考えるのに歴史の勉強は大変役に立ちます。
今と同じような状況に陥ったときどのような害が及んだのか、その時代に翻弄された人々はどんな人だったのか、その反対にうまく立ち回った人々はどんな人なのか。
歴史を学ぶことで、時代に翻弄されずに生きていく方法がおのずとわかるようになります。
歴史を学ぶことによって自分で考えることの意義がわかる
先生の言うことを「はいはい」と聞いているだけでは、自分で考えていることになりません。
歴史の勉強をするうえでの面白い特徴の一つに、自分で考えなければなかなか覚えることができないという特徴があります。
漢字を覚えるとき、面積の公式を覚えるとき、そこまで意識しなくても暗記することができたと思います。
しかし、歴史の場合は《なぜそんなことがあったのか》《その結果どうなったのか》《どこの誰がやったことなのか》などをじっくり考えなければ、記憶にとどめておくことが難しいのです。
歴史を学ぶとつくづく「人間ってなんて愚かな動物なのだろう…」と思います。
しかし、それは今だからこそ言えることです。
もし、私がその場にいたら周りの人々と同じように戦火に晒されたり、物乞いのように道端で食べ物を恵んでもらっていたかもしれません。
現在とは文化も時代背景も全く異なっているため、当時の人々の行動について、勉強しなければ本当の理解はできません。
当時の人々もさまざま背景があった上で行動し、そして歴史をつくっているのです。
現在では間違っていると一般的に言われていることも当時は正しい判断かもしれないし、当時も現在も間違っていることなのかも知れません。
結局、《なにが正しいのか?》《誰の言うことが正しいのか?》は、世界中のどこを探し回っても見つけることができないと思います。
私たちはそのような曖昧な世の中で生きており、曖昧な世の中であるからこそ、飽くなき探求心に胸をおどらせて、過去の歴史から様々なものを学び、一生懸命に考えなければいけません。
『結論』歴史を学ぶことは現在に活きる
私たちが生きている現在には、必ず根本や通過点に歴史があります。
歴史がなければ現在のような社会も文明も発明品も100%存在していないのです。
さてそれでは、歴史を学ぶことの意義を以下に箇条書きにして以下にまとめましょう。
- 歴史上の失敗を学ぶことで過失を予防し、もしそうなったときの準備ができる
- 因果関係を見抜くことができるようになる(視点が身につく)
- 時代の変化に順応できる人になれる
- 自分で考えることの意義がわかる
今は勉強することが嫌で嫌で仕方ない時もあるでしょう。
しかし、歴史を学ぶことは必ず現在に活きてきます。
『歴史の勉強なんて意味がない』なんて言わず、これからも歴史の勉強を頑張っていきましょう。
将来あなたの力になることは間違いありません。
救いようのないFランおバカアベチャンのことを、
”国民から高く評価され長期政権となった。主な政策のアベノミクスは歴史に残る政策であった”
などという恣意的な記録が行われ、後世において誤った評価がなされる可能性は否定できない。
それと同じように、所詮歴史など根拠のない噂話。
何ら参考にもならない上に知識としての価値も全くなし。
そこらのおばちゃんの世間話と同じレベル。
まったっく価値、意味がない。