戦国武将が所持した少しマニアックな名刀や名工具足の歴史







戦国武将たちの中には、名刀と呼ばれる刀や、名工の具足を所持していた武将がいました。

戦国時代の当時はいずれも名刀や名品として称賛されていたのですが、国内での戦がぱったりとなくなった江戸時代以降はそれらも陰りを見せていきました。

そして現代では、かつては戦の必需品だった刀や具足などの物品は完全に実用性をなくし、これらの名刀、名品も歴史を知る為の貴重な資料として、また観賞用の美術品として価値を残しています。

 

本記事ではそんな戦国時代では戦の必需品であった武具の中から、そこまで有名ではないものの、《歴史好きな方や武器好きの方であれば一度は耳にしたことがある》、そんな少しマニアックな名刀や名工の具足を紹介します。

 

もう少し有名な刀剣に関する記事はこちらからどうぞ

 

鬼道雪の愛刀『雷切(らいきり)』

雷切は豊後国(現:大分県)の大友氏の家臣で鬼道雪の異名をとる立花道雪(たちばなどうせつ)が所有した愛刀です。

往年の立花道雪は下半身不随の武将としても知られています。

戦場では輿に乗り、常に最前線で指揮をとりました。

「我を敵の中に担ぎ入れ、命が惜しければそのあとに逃げよ」と命令したので、味方の家臣が奮い立つのは当然でした。

下半身不随となってしまった経緯には諸説ありますが、一般的に落雷に打たれた影響で足の機能を失ってしまったとされています。

また、道雪は弓の名手としてもその名を後世に残しています。

弓道をたしなむ人間にとっては、伝説の弓引きとして尊敬を集める武将です。

 

この立花道雪の愛刀はもともと「千鳥」という名で親しまれていたのですが、ある日から『雷切』という名に改められることになります。

 

ある夏のこと。

その日は日差しが特に強く、道雪は木陰で涼んでいました。

そのときにわかに曇天が広がり、その直後豪雨に見舞われたかと思うと、激しい雷鳴とともに道雪いるところの大木へ落雷があったのです。

通常であれば、微動だにできない状況ですが、道雪に目にも止まらぬ早業で千鳥を鞘から抜き、大胆にも雷を斬り伏せてしまいます。

それ以来、千鳥は「雷切」という名に改められ、道雪自身は雷神の異名を馳せるようになりました。

なお、雷切の刀身には一面に雷が触れた痕が残りました。

 

軍神上杉謙信公の愛刀『小豆長光(あずきながみつ)』

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『越後の龍』や『軍神』とも呼ばれた上杉謙信公は戦上手な大名や献身的な仏教徒のほか、有名な刀剣コレクターとしても知られていました。

そんな刀剣コレクションの中の1本が長船派の優等生だった長光という刀匠作の『小豆長光』です。

 

日本刀は伝説的な逸話をもとに命名されることが多いのですが、それは謙信公所有の小豆長光についても同じです。

刃の上に落ちる小豆がすべて真っ二つに裂かれるほどの鋭さからその名がつきました。

上杉謙信公は宿敵武田信玄との争いで有名な川中島合戦でこの刀を携えました。

啄木鳥戦法といって、総大将である上杉謙信公自身が単騎駆けを敢行したときには武田本陣に乗り込み、小豆長光を武田信玄に振り下ろしました。

ところが、武田信玄はとっさに軍配でこれを防いでなんとか討ち死にを免れました。

 

その価値大般若経600巻 信長から家康がもらい受けた『大般若長光(だいはんにゃながみつ)』

模造刀-美術刀剣-関 大般若長光大刀 背金付(薄刃)

上杉謙信公の愛刀『小豆長光』、佐々木小次郎の愛刀『物干竿』の作者としても知られる長船派の開祖光忠の子である長光は、続け様に名刀を輩出して長船派隆盛の基盤を築きました。

その長光の力作のひとつが『大般若長光』です。

 

刃文の高低差が大きかったり、刃中の溝が線状に連なっていて所々が輝いてみえるなど、見るからに華やかな作風が目を引きます。

古い時代の日本刀は使われているうちに削れて短くなってしまうのですが、耐久性に優れた大般若長光は当時からの姿をしっかりと保っています。

当初は室町幕府将軍であった足利義輝が所有し、そのあとは三好氏を経て織田信長の手に渡りました。

そして姉川の戦いにて功績をあげた徳川家康に織田信長が褒美として与えました。

その後は家康家臣の奥平信昌の手に渡っています。

 

大般若長光という名はその刀の価値が由来となってつけられました。

かつて大般若長光は室町時代にその価値600貫という値段がつきました。

宗教にあまり興味のない方にはよくわからないと思われるのですが、玄奘三蔵が天竺から唐へ持ち帰った大般若経が全部で竹簡600巻。

お金の単位である貫と書簡の単位である巻を掛け合わせて大般若を冠するようになります。

 

武田氏の家宝 源氏の八領がひとつ『楯無の鎧(たてなしのよろい)』

源氏と平氏で知られる源氏が平安時代に使っていた8つの鎧のうち、唯一現存しているのがこの『楯無の鎧』です。

これは源氏の頭領だった源義朝(頼朝ら兄弟の父)が着用していた鎧で、楯がなくても槍や刀剣を防ぐ優れた強度を誇った鎧でした。

その鎧は親戚筋にあたる武田氏が家宝として相伝しました。

楯無の鎧は平家物語や保元物語、太平記にも登場する伝説の鎧で現在では国宝に指定されています。

 

まとめ

 

いかがでしょうか?

現在では一般的に知られていない上記の名刀や具足は、国内で戦が当たり前のように行われていた平安時代後期から江戸時代の初頭にかけてはその名を天下に轟かせていました。

これらの武器や具足たちは平和な世の中になるにつれて段々と忘れられていくことになりました。

 

しかし、最近になってこれらの武具に注目される機会が訪れています。

道雪が使っていた雷切は大人気漫画NARUTOにおいて忍術の名として一般的に知られることとなっていますし、その他の名刀については刀剣乱舞というアプリの人気によって、色々な刀に興味をもたれる方が増えてきています。

これらの名刀、具足は実際に博物館やお寺などで公開されることもありますので、興味がある方は実物を見に行かれてみてはいかがでしょうか。












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