織田信長が家族のために購入したお土産~実は超家族想いの大名だった?







織田信長は家臣たちから「赤鬼」と呼ばれて恐れられた戦国大名でしたが、自分の身内や家臣たちを大事にする武将でした。

織田信長は京都や大阪などに出張したり、南蛮由来の品があれば買いに行っていたのですが、そのお土産として家族のために購入して帰ったものが愛を感じるので、みなさんにご紹介します。

 

家族の喜ぶ顔を想像してお土産を買う信長

 

織田信長は家臣たちから「赤鬼」と呼ばれて恐れられた戦国大名でしたが、自分の身内や家臣たちを大事にしている武将でした。

織田信長は京都や大阪に足を運ぶ機会が多く、南蛮由来の品があればそれを買い付けたり、家族のためにお土産を買って帰ることが常でした。

おそらく、織田信長もよき旦那、よきお父さんであったので、子供や妻の喜ぶ姿を想像してそのお土産を選び購入していたことでしょう。

本記事では織田信長が家族のために購入したお土産にスポットをあてて紹介します。

 

濃姫のために金平糖

織田信長が堺の市場に南蛮由来の新商品を求めて買いにいったときのこと。

南蛮製の珍しいお菓子に目を奪われました。

そのお菓子とは「金平糖」のこと。

今では駄菓子として販売されている金平糖ですが、当時は「こんぴらとう」と呼ばれ、絶妙な火加減のかまどに鍋をかけ鍋を回しながら砂糖水をつぎ足しつつ作る金平糖は製法の手間と難しさから高価なお菓子でした。

織田信長はそれをひとつ試食するとためらいもなく金平糖を購入しました。

 

帰宅すると真っ先に正妻の濃姫を自室に呼びました。

信長は濃姫の前に蓋のついた陶製の壺を置き、「お濃が好きそうだと思って買ってきた」とニコニコしながら土産話を始めました。

ふんふん、そうですかと適当に相槌を打ちながら、濃姫はお土産の壺に視線を注いでいると、「そうだったそうだった、これは金平糖と言ってな。南蛮の菓子じゃ。」と一言いうと、蓋を開けて2~3粒つまんで口に含みました。

食べ物だということに気づいた濃姫も一粒つまんで恐る恐る食べてみると口一杯に甘い味が広がりました。

「おいしい」と言いながら濃姫の顔は緩んでいきました。

すっかり気をよくした信長は「今度も市にいったら金平糖を買ってくる」と約束しました。

 

信忠のためにコマ

織田信忠がまだ4歳の頃のこと。

まだ弟は小さくて、いつも信忠は家臣や叔母のお市の方と遊んでいました。

信長は長男のためにおもちゃを買ってやろうと常々思っていたのですが、仕事が忙しくて何を買えばいいのか、考える暇がありませんでした。

そのとき、幼少期の頃の記憶がよみがえります。そういえば、自分が子供頃はコマ回しで遊んでいたっけ。

ということで訪れたのは京都にあるコマ職人のところ。そこに制作を依頼して長男のためにコマを作ってもらいました。

そのコマをもらった信忠はたいそう喜んだのですが、まだ4歳の信忠はなかなかうまく回すことができません。

「コマくらい回せんで刀や弓は扱えないぞ」と言い聞かせた信長でした。

 

徳姫のために千代紙

織田信長には13人に娘がいたとされています。

その数ある娘のつちの長女にして織田信忠の実妹の徳姫は信長にとって初めての娘で特に可愛がられていました。

その徳姫がまだ幼い頃のこと、織田信長は女の子の遊びについて本気で悩んでいました。

自分は兄弟姉妹と引き離されて育ったので、女の子がどんな遊びをしていたのかをわからなかったからです。

そこで相談したのは正室の濃姫や側室の乃さん。

人形遊びやおままごと、折り紙といった遊び方を知った信長は京都に行った際に千代紙を購入してきました。

当時紙はとても高価な商品で、色や柄がついた千代紙はさらに高価なもの。

公家や武家でも高い地位でなければ購入することができませんでした。

 

くらの方のために香水

くらの方は信長の腹違いにあたる姉です。

信長の父信秀も子だくさんな武将で、織田信長には約25人の兄弟姉妹がいたと言われています。

くらの方は織田信長の家臣大橋重長の正室に嫁いだ姉で、かなり年の差のある結婚でした。

結婚から数年後すぐに未亡人となってしまうのですが、信長は姉のことを気遣いお金がなければいろいろと困ることもあるだろうと定期的に化粧料として仕送りをしていました。

それだけでなく、信長はお土産を持参してときどき面会しに行くことがあったそうです。

 

いまから紹介するエピソードはその一部です。

 

信長は南蛮由来の化粧品ということで、香水を購入してきました。

なんでも中世ヨーロッパの貴族たちは、男女とも香水を使用してよい香りを身体につけるのだとか。

当時日本ではお香に火をつけてその煙を被ったり、衣類にさらして香りをつけていたので香水は画期的な商品でした。

ということで、香水を購入した信長はそれを持参して姉のもとへ。

 

「姉上ーこのしろものはよい香りがしますぞ」ということで、香水をプレゼントしました。

信長は姉から褒めちぎられ、気分がよくなりました。

後日姉からはお礼の手紙が届き「お花の香りがして、いつも使っています。機会があればまた買ってきてね」とありました。

赤鬼と呼ばれた信長はシスコンなのでは?と疑わざるを得ないエピソードのひとつです。

 

まとめ

 

織田信長も家族にとってみればよいお父さん、よい旦那、よい弟であったようです。

お土産を買って帰るマメな部分があったなんてなんだか意外と思われる方も多いかもしれません。

普段は赤鬼と呼ばれ恐れられていた織田信長ですが、実はとても家族想いで家臣想いの武将だったのです。

 

みなさんも出張で他の都道府県に訪問したり、旅行に行ったら織田信長に倣って家族のために是非お土産を買って帰るようにしましょう。










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