『前田家』魔除けと癒しの天下五剣『大典太光世(おおでんたみつよ)』







『大典太光世(おおでんたみつよ)』はあまり聞き慣れない刀剣の名前かと思います。

人気オンラインゲーム刀剣乱舞で初めてそのような刀があるのだと知った人も多いかもしれません。

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しかしこの『大典太光世』は国宝に指定されていて、室町時代からの名刀

  • 『三日月宗近(みかづきむねちか)』
  • 『数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)』
  • 『童子切安綱(どうじぎりやすつな)』
  • 『鬼丸國綱(おにまるくにつな)』

 

に並ぶ『天下五剣』の中の一本としても有名な刀剣です。

平安時代、三池典太光世によって作られました。

刃長66.1㎝、身幅は2.5㎝から3.5㎝で、同時期に作られた太刀の中では刃長が短く身幅が広いのが特徴です。

 

江戸時代に刀剣の試し斬り役『御様御用(おためしごよう)』を務めていた山田浅右衛門が大典太光世の試し斬りを行ったところ、重ねた死体の胴を二体分切断し、三体目の背骨で止まりました。

切れ味ランクは『三つ胴』と言います。

さすがに素晴らしい切れ味ですね。

 

足利将軍家の宝剣は豊臣家へ

大典太光世は、代々足利将軍家に伝わる宝剣でした。

足利家没落によって流出したことで、豊臣秀吉がしばらくの間所有することになります。

前田家に渡る経緯としては豊臣秀吉が前田利家に贈った説と、秀吉が徳川家康に贈った後、徳川秀忠が前田利家に渡った説の二つがあります。

前田家に渡った後は、前田家第一の家宝として大事にされてきたといいます。

 

病を治すという逸話

秀吉が「豪が男なら関白にしていた」と言うほど溺愛していた養女の豪姫はとても病弱でした。

子を産むたびに大病を患い、秀吉が亡くなる三年前である1595年にも大きな病にかかります。

「狐が憑いたのではないか」と大騒ぎになり、怒った秀吉は伏見稲荷に「豪から出ていかないのなら日本中の狐を殺す」と手紙まで書いたそうです。

 

この時、豪姫を救ったのが大典太光世でした。

豪姫の実の父親は前田利家で、大典太光世を使って病を断ち切ったというのです。

それ以降、病にかかった人の枕元へ大典太光世を置いておけば病が治ると信じられていました。

 

魔除けの逸話

また別の時、加藤清正と黒田長政が肝試しをして「伏見城にある千畳敷の廊下は、夜に歩くと何かが刀を掴んできて通れない」という内容の話をしていました。

前田利家はそんなわけないと笑います。

流れは当然「じゃあ前田様もあそこに行ってみてくださいよ、絶対通れませんから」という話になります。

近くで聞いていた秀吉が「これを持って行け」と大典太光世を前田利家に渡しました。

腰に大典太光世を差した前田利家は、何事も無く廊下を渡り切ることができました。

 

前田家の『三種の神器』

死期を悟った秀吉が形見分けとして大典太光世を手放し、前田利家に渡ってからは前田家三種の神器として『鳥とまらずの蔵』で大切に保管していました。

前田家三種の神器とは『静御前の薙刀』『三条小鍛冶宗近の太刀』『大典太光世』のことです。

大典太光世はその後1956年に重要文化財指定を受け、翌1957年には国宝にランク上げされました。

 

現在も前田家の家宝として文化財保護のため公共社団法人『前田育徳会』が所蔵しています。

他にも国宝『富田江』『太郎作正宗』や重要文化財『前田藤四郎』なども所蔵しています。

財団本部は東京都目黒区にあり、収蔵品の保管や管理を行っています。

展示などは石川県立美術館にある前田育徳会分館で年に数回テーマを決めて行われているそうです。

 

前田育徳会ホームページへ

石川県立美術館ホームページへ

 

『鳥とまらずの蔵』

金沢城宝蔵にある刀剣はお手入れ対象外だったことから、きちんとお手入れされていた大典太光世の入っていた『鳥とまらずの蔵』は江戸城付近の江戸藩邸にあったのではないかと言われています。

しかし何故『鳥とまらずの蔵』と呼ばれているのか、そこにも大典太光世の逸話が関係していました。

 

強すぎる霊力の逸話

豪姫の病を治し、肝試しでは魔除けにもなった大典太光世は強い力を持っていました。

ある日、『鳥とまらずの蔵』の前で小鳥が死んでいました。

おそらくは何度か蔵の前で小鳥が死んでいたのではないかと思いますが、大典太光世のその強い霊力は蔵にとまった鳥も殺してしまうほどだったということで『鳥とまらずの蔵』と呼ばれるようになったのだそうです。

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国宝なので当然かと思いますが、大切な刀剣を綺麗な状態で保存するためには徹底した管理を行う必要があります。

劣化や錆びなどが起こらないようにずっと蔵に入れられています。

刀剣乱舞のセリフで「虫干しで外に出されたのか」というものがありますが、この『虫干し』は日本で昔から行われている非常に大切な作業です。

 

虫干しとは

物は急激な湿度と温度の変化に非常に弱く、書籍や着物や金属も同様です。

桐箱など木製の箱は保管するには最適で、多少の火災にも強く湿度の調整までしてくれるという優れものです。

 

しかしながら、夏場は湿気がひどく虫による被害も防ぐことは出来ません。

そこで、夏の終わりごろの少し涼しくなったあたりで箱を開け、湿気を逃がして陰干しすることでカビも防げるという、この作業のことを『虫干し』と言います。

大典太光世と同じく天下五剣の『数珠丸恒次』は、毎年文化の日に本興寺で行われる虫干し会で特別に公開されています。

他のお寺や神社でも、虫干しのついでに貴重な歴史資料などを特別に公開展示を行うことが多いのだそうです。

 

ショーケースの中に温湿度計が置かれているのも、大切な資料たちにとって快適な環境が作れているか確認するためだったんですね。

 

まとめ

 

日本には昔から鏡や刃物を含む鉄製品を崇める『鉄器信仰』があります。

顔の映るものが対象でしょうか。

磨き上げられキラリと輝く刀身には顔が映りますし、数多くの逸話からも霊的な力が宿ると信じられているのは納得ですね。

 

刀剣乱舞で大典太光世のキャラクターデザインを担当している三輪士郎さんが描かれた非公式の漫画では、鳥とまらずの蔵の鳥関連で『鶴丸国永』が死んだふりをして大典太光世が泣くというものでした。

鳥すらも殺してしまう霊力、と聞くと本当に凄い!強い!と思いますが、病気を癒してくれるような優しい力を持っているのに、鳥を殺してしまうというのは望まないことだったのだろうなと思います。

歴史的背景を知った上で改めて刀剣の世界を見ていくと、一味も二味も違って沼が深まります。










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