狐ばかりがなぜもてる、お狸様を忘れるなっ!







日本に古くから住み着いている愛すべき2大変身動物、狐と狸。

猫やカワウソも化けますが、やはりこの2種類は別格でしょう。

ところでこの狐と狸、どうも狐の方が格上に見られがちなのですが、本当にそうでしょうか?

 

愛すべき狸の活躍が忘れられているなんてことは無いでしょうか?

今一度検証したいと思います。

 

お狐様とお狸様

まずはお狐様、京都は稲荷山のふもと、全国に散らばる3万社の稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社にお祭りされている正一位稲荷大明神。

その大明神様のお使いとされているのが狐、これで何となく狐の方が格が上のような気がするのです。

 

これ誤解される方が時々いらっしゃるのですが、稲荷大明神様が狐だと言う訳ではありません、狐はあくまで神様のお使いです。

それに正一位と言っても稲荷大明神のみに授けられた位ではありませんが、今回はお狸様がテーマなので、深入りはしません。

 

いっぽうのお狸様、

狐があくまでお使いであるのに対して、狸の方は直接にお祭りされているのです。つまりお狸様がご本尊。

どこかの誰かに召し使われているんじゃ無いのです。そう「私が主人です」状態。

どうです?ちょっとは評価が上がったかな?

 

化け方いろいろ

 

さて肝心の化ける能力ですが、実は狸の方が狐よりちょっとだけうまいのです。

「狸八化け狐七化け」と申します。

 

その特徴は、

狐の方は何か悪い目的が有って化けることが多い。

狸は化けること自体が面白くて、自分の楽しみのために化けている。目的があると言うよりは、単純に人を驚かして楽しんでいる。

 

狐は色っぽい美女に化けると良く聞きますが、化け方は狸のほうがバリエーションに飛んでいます。

人に化ける、他の動植物に化ける、太陽や月に化ける、音真似をして、歌を歌って、踊りを踊る(しょ、しょ、証城寺~♪)、酒やタバコを要求する、鍋や机、イスなどの日用品に化ける、乗り物に化ける。数えて行けばきりが有りません、ほとんど無節操。

 

たとえばこんな話があります。

明治維新からしばらくたったころ、浅草寺の唯我詔舜(ゆいがしょうしゅん)大僧正と、上野寛永寺の多田孝泉僧正の夢枕に1匹の狸が立ち、お告げが有りました。

 

「我に住処を与えれば、火伏(ひぶせ)の神となろう」
(私に住まいを造ってくれれば、火事をふせぐ神様となってやろう)

同じ日に2人の偉いお坊様の夢枕にたったと言うので、これは確かなことだろうとなりました。

2人のお坊様は相談して、この狸神に“鎮護大使者(ちんごだいししゃ)”の名前を付け、浅草の伝法院裏にたいせつにお祭りしました。

 

またこれも明治時代のこと、今の葛飾区あたりを夜汽車が走ると、前方から汽笛が響いてきます。

なんと同じレールの上を、向こう側から走って来る汽車があるのです。

「衝突するっ!」驚いた運転手が急ブレーキをかけると、相手の汽車はぱっと消えてしまいます。

次の日もまたその次の日も同じ事が有りました。

 

いい加減頭に来た運転手はある夜、せまって来る汽笛の音にもかまわず、そのままブレーキをかけずに汽車を走らせ続けました。

すると「ぎゃっ」と言う凄まじい悲鳴と共に相手の汽車は消えて無くなりました。

 

翌朝そのあたりを調べると、1匹の狸の死骸が見つかりました。

 

線路が建設されたために、すみかを失った狸のしわざだろうと憐れんで、塚を造って供養したそうです。

今のJR東日本常磐線の線路沿いのことです。

 

国難に立ち向かったお狸様

 

日本が外国と戦う時には、八百万の神々や各地に住まいしている妖(あやかし)が日本軍に加勢して、共に戦ったとの話が伝わっています。

 

もちろんお狸様も戦いました。日清・日露の戦争の頃、特に北の大国ロシアを相手に、日本が苦しい戦いを続けていた日露戦争で活躍しました。

 

一族を率いて海を渡り戦場にたどり着いた“屋島の太三郎狸(やしまのたさぶろうだぬき)”(現在は香川県高松市の浄願寺に白禿大明神として祭られています。)、日本兵に化けた手下に命令して、ロシア軍の進路に山を造らせました。

「こんなところに山なんか有ったかな?」と首をかしげながら進軍するロシア兵。

山に登り始めたとたん、今まで有ったはずの山は一気に崩れ落ち、ロシア兵もいっしょに折り重なって落ちて行きました。

このためロシア軍には、多くの怪我人や死者が出ました。

 

また愛媛県伊予の“喜左衛門狸”や、愛媛県今治の“梅の木狸”も一族とともに日本軍に加わり、得意の術で敵兵をだまして大混乱をおこしました。

 

敵の将軍ロシア陸軍総司令官アレクセイ・クロパトキンは、手記の中にこう書き残しています。

「日本軍の中に赤い軍服を着た1隊が混じっている。奴らはいくら銃でうっても倒れないのだ。それどころか味方の眼がまぶしくてくらんでしまう始末だ。赤い軍服には丸の中に喜の字が書かれた印が付いていた。」

 

「ロシア人が日本語を読めたのか?」そこは、突っ込まないっ!

 

彼らの活躍もあって、海の中の小さな島国とバカにされていた日本は、北の大国ロシアに勝利したのです。

 

お狸様の勢力分布図

 

日本各地に有名なお狸様が住んでいますが、ここでは日本三大狸をご紹介します。

  • 佐渡の団三郎狸(さどのだんざぶろうだぬき)
  • 淡路の芝右衛門狸(あわじのしばえもんだぬき)
  • 屋島の太三郎狸(やしまのたさぶろうだぬき)

 

この3匹です。狸の勢力が強いのは、佐渡ヶ島と四国です。

 

それぞれにおもしろいお話も残っています

 

“佐渡の団三郎狸”は、現在佐渡市相川の山中に「二つ岩大明神」として祭られています。佐渡ヶ島中の狸を子分としていましたが、「関の寒戸(かんど)」「禅達(ぜんたつ)」「才喜坊(さいきぼう)」「おもやの源助」の4匹が四天王として知られています。

またこの狸は経済に明るいらしく、お金に困った人間にお金を貸していました。

団三郎のすみかに、貸して欲しい金額、返済日、借主の名前を書いた紙に判を押して置いて置けば、翌日には必要なお金が置かれていたとか。

 

“淡路の芝右衛門狸”は芝居好きとして知られ、淡路島から近いものですから、大阪までちょくちょく芝居見物に出かけていました。

大阪中座が閉館する平成11年まで、館の中に祭壇をもうけて祭られていましたから、つい最近のことです。

 

“屋島の太三郎狸”は、先程も述べたように日露戦争で活躍しました。

 

終わりに

 

どうです、ちょっとは狸の株が上がりましたか?

現実の狸はと言うと、最近は新宿など都心まで進出していますが、食べ物を巡って猫と縄張り争いを繰り広げています。

時には猫パンチを喰らって引き下がる情けなさ。

 

狸の食事は基本「何でも食べる、つまりは悪食(あくじき)」ドングリや栗、野山の果実だけならまだしも、ミミズも昆虫も好きですからね。

なかなかにイメージ向上はキビシイかもしれません。










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