銀魂の坂田銀時や金太郎のモデルとなった坂田金時ってどんな人?







大人気漫画「銀魂」の主人公である「銀さん」こと「坂田銀時(さかたぎんとき)」にモデルがいたことはご存知ですか?

坂田銀時のモデルとなった偉人はその名も『坂田金時(さかたきんとき)』

みなさんご存知の金太郎(きんたろう)のモデルとなった人でも知られる超有名人です。

 

本記事では国民的な漫画や童話のモデルとなった坂田金時について説明します。

 

坂田金時は「金太郎」と人気漫画「銀魂」の主人公坂田銀時のモデル

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「まーさかりかーついで金太郎~」の歌いだしで始まる童謡の「金太郎」は童話「金太郎」をモチーフにして作られた歌です。

そして去年実写で映画化された週刊少年ジャンプで連載中の人気漫画「銀魂」は2004年から現在に至るまで10年以上連載され続けています。

 

さて、昨今では「金太郎」のストーリーを知る少年少女が少なくなってきている傾向がありますが、大人気漫画「銀魂」は読んだりアニメを観たりしたことがあるでしょう。

一見なんの関係もなさそうな童話「金太郎」と大人気漫画「銀魂」ですが、主人公の金太郎と坂田銀時が同一人物をモデルにしていることはご存知ですか?

そのモデルとなった人物こそ坂田金時(さかたきんとき)です。

 

坂田金時(金太郎)の誕生

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坂田金時(金太郎)は西暦956年の5月に誕生しました。

山姥(やまんば)に育てられたという伝説も残されていますが、坂田金時の母親は彫り物師(木工彫刻の職人)の十兵衛の娘で八重桐(やえぎり)といいます。

父親は朝廷の下級役人だった坂田蔵人(さかたくらんど)です。

 

八重桐は宮中の女官として就職したのですが、坂田蔵人と結ばれて坂田金時を身ごもると、宮仕えを辞職し故郷へと帰ります。

そして故郷で坂田金時を出産するのですが、夫の坂田蔵人が亡くなってしまったため、京都へ上洛せず故郷で金時を育てることにしました。

 

坂田金時の少年時代は童話「金太郎」そのもの

きんたろう (日本名作おはなし絵本)

童話の「金太郎」は少年らしからぬ怪力の持主で、まさかりを担ぎ熊と相撲を取る野生児のような人物として描かれています。

そんな金太郎のモデルとなった坂田金時ですが、童話の金太郎に劣らない少年時代だったようです。

少年になった坂田金時は毎日足柄山へ入り、熊と相撲をとったり鹿と競走をしたりして動物に囲まれて育ったと言われています。

また、坂田金時は孝行息子で女手ひとつで育ててくれた母親の八重桐に孝行も行う元気で優しい子供でした。

 

坂田金時(金太郎)、源頼光に出会う

 

足柄山で育った金太郎こと坂田金時は青年へと成長したとき、足柄峠で運命的な出会いを果たします。

なんと坂田金時の力量を聞きつけた偉いお侍さんが「ぜひとも私の家臣に」ということでわざわざスカウトしに出向いてくれたのです。

その偉いお侍さんというのが源頼光(みなもとのらいこう、みなもとのよりみつとも)という清和源氏の流れを組む立派な武士でした。

 

源頼光と言えば酒呑童子(しゅてんどうじ)や土蜘蛛(つちぐも)、牛鬼(ぎゅうき)などの妖怪退治を次々と行った妖怪ハンターのエキスパートです。

坂田金時はこのとき、まだ金太郎と名乗っていたのですが、源頼光に仕官することを機に坂田金時と改名して故郷を離れ、源頼光の家来として見事ド田舎の野生児から武士の仲間入りを果たします。

 

坂田金時(金太郎)は頼光四天王のひとり

源頼光と四天王

源頼光は人ならざる者、つまり妖怪を退治するために武勇の誉れ高い武士団を結成していました。

そこに選ばれた金太郎こと坂田金時は妖怪退治に必要不可欠とみなされた実力を持ちます。

源頼光の武士団には坂田金時のほか、碓井貞光(うすいのさだみつ:後の平貞光)渡辺綱(わたなべのつな)卜部季武(うらべのすえたけ)とともに四天王と称される伝説の猛者が集い妖怪退治を行いました。

 

ちなみに四天王とは仏教において毘沙門天や韋駄天などの如来を守護する仏様のことを指しており、平安時代以降指折りの武士の代名詞として使われるようになりますが、その先駆けとなったのが坂田金時たちでした。

 

坂田金時(金太郎)酒呑童子(しゅてんどうじ)退治に参加

酒吞童子(しゅてんどうじ)

源頼光に選ばれた坂田金時は平安京に混乱を招く有名な「酒呑童子」の退治に参加します。

そのころの平安京では丹波の国の大江山に酒呑童子という鬼が巣くっており、都に度々現れては悪行の限りを尽くし社会問題になっていました。

 

源頼光はときの天皇から酒呑童子征伐の命令を下され、坂田金時を始めとする精鋭部隊5名を引き連れて出撃します。

源頼光は地域住民に聞き込みを行いながら酒呑童子の本拠地を目指しました。

その聞き込み調査の過程で「山伏(修験者)に変装すれば山に入っても怪しまれませんよ」というアドバイスを受けて酒呑童子の住む屋敷を訪問しました。

 

酒呑童子は自分を討伐しに来た源頼光を山伏だと信じて疑わず、酒宴を催しておもてなしをしました。

源頼光はその宴の席で「神変奇特酒」という睡眠薬入りの酒を振舞って酒呑童子とその配下を眠らせることに成功します。

そして酒呑童子の首を斬り落としたのが坂田金時でした。

 

坂田金時(金太郎)死す

 

坂田金時(金太郎)は源頼光に生涯仕えて酒呑童子、土蜘蛛、牛鬼、牛御前、産女などの妖怪退治に次々と参加します。

そして55歳のとき、源頼光が九州地方の筑紫国(現福岡県)の賊征伐の命令を受けて遠征をするのですが、その道中美作(みまさか)の国(現岡山県)で病床に臥せり、随行を断念します。

その後病状はいっこうに回復することなく西暦1012年1月11日に金太郎こと坂田金時はこの世を去りました。

 

坂田金時(金太郎)は死後日本男児のヒーローになった

 

坂田金時が他の四天王よりも有名になれたのはド田舎の庶民の出自から立派な武将となったサクセスストーリーに起因するでしょう。

言われてみれば他の四天王はみな貴族や豪族、武士の出身で親から武術を習ったりお金をたくさんかけてもらって師範を雇ってもらい武術を身に着けた者ばかりです。

 

一方、坂田金時は熊と相撲をとり、熊に乗って乗馬の練習をして鹿や猿から走り方や木登りのしかたを習ってきた野生児です。

庶民からすれば自分と似たような境遇で立身出世を実現したヒーローなので誰しもが憧れたことでしょう。

 

また、金太郎こと坂田金時は孝行息子であったことから親孝行を子供に教えるためによい例であったとも言えます。

ちなみに坂田金時の息子坂田金平(さかたきんぺい)は父親に匹敵する怪力で源氏の武士では一般庶民にまでその名を知られた武将です。

きんぴらごぼうという料理は金平の偉業を讃えてできた料理であるともいわれています。

 

まとめ

第1話 てめーらァァァ!!それでも銀魂ついてんのかァァァ!(前編) ※EDがございません

童話「金太郎」や人気漫画「銀魂」の主人公、坂田銀時のモデルとなった坂田金時という人物は源頼光に仕えて妖怪退治や賊の討伐を行った武将です。

ド田舎出身の野生児から立身出世を果たした坂田金時は後世の人々から憧れのヒーローとして千年以上その名を語り継がれています。










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