桜餅といえばスーパーなどの店頭にも並んでいて私たちにも身近なスイーツです。
桜の葉に包まれた独自の見た目が特徴で春によく売られていますね。
実はこの桜餅は偶然のアイディアから誕生したスイーツであることはご存知でしょうか?
本記事では桜餅の誕生秘話をご紹介します。
桜餅の発明者は桜が大嫌いだった

桜餅の発明者は長命寺に雇われて庭掃除をする山本新六という下働きの男性でした。
後に江戸から上方(京都や大阪)にまで流行するヒット商品である桜餅を発明する新六青年には悩みがありました。
それは、長命寺に植えられている桜並木の桜です。
春になると桜が咲いて綺麗に見えるのですが、庭掃除の仕事をしている新六青年にとって桜は宿敵のような存在でした。
春は桜の花びらが散って、何度掃いても花びらが地面を埋め尽くします。
秋になれば、緑の葉が枯れて茶色や黄土色に変わり、ひらひらと落ちては地面を落ち葉で埋め尽くします。
新六青年にとって桜の花びらや桜の葉の落ちる季節は単純作業が毎日毎日続く、無限地獄以外のなにものでもありませんでした。

春と秋は「なぁ桜さんよ。お前さんよくも懲りずに毎年毎年落ちてきやがるよなー」と独り言を毎日こぼしていたほど、新六青年は桜が大嫌いでした。
もったいない精神から誕生した桜餅

日本の美しきよき文化として「もったいない」は現在も伝わっています。
桜餅の誕生にはこの「もったいない」が関係しています。
桜餅が誕生したのは関ケ原の戦いから約100年後の江戸時代中期。
新六青年は毎年毎年散っては悩みの種となっている長命寺の桜の葉をなんとかしてうまく活用できないか?と考え続けました。
ほぼ無限にある桜の葉は自分の仕事上、無資本で仕入れることができる。
それをうまく活用した商品を売ることができれば、日々の仕事への意欲も湧いてくると考えたのです。
桜餅は椿餅(つばきもち)からインスピレーションを受けて誕生した

桜餅によく似ているスイーツに椿餅(つばきもち)というものがあります。
椿餅は水あめを混ぜ合わせた甘い味のついた餅が乾燥してカピカピにならないように餅を椿の葉で挟んで乾燥を防止したスイーツです。
ある日新六青年が長命寺に出勤する途中にある茶屋でこの椿餅を食べている女性を見たときに桜餅の原型を思いつきます。
「そうだ椿餅みたいに餅を桜の葉で包めばお餅が乾燥しないし、桜のニオイがお餅についてよい風味になる。こいつは売れるぞー」ということで、それからは桜餅の試作を重ねるようになります。
そうして誕生した桜餅はあんこを棒状に成型して水あめとお餅をこねて薄く伸ばした生地でくるみ、三枚の桜の葉で挟んだものでした。
私たちがよく目にする桜餅はお餅がピンク色に着色されていますが、新六青年が発明した桜餅は色がついておらず白くて中のあんこが少し透けて見えるようなお餅でした。
桜餅の葉っぱははがす?そのまま食べる?

桜餅の葉っぱをはがして食べる、桜餅と一緒に葉っぱを食べるというように桜餅の食べ方には2パターンあります。
どちらの食べ方が正しいということはないのですが、私の場合は専ら後者です。
実は新六青年が桜餅を発明した当初は、桜の葉ははがしてから食べることを前提に作られていました。
そのため、桜餅の葉っぱはもともと食べられずに捨てられることが一般的だったのですが、あるできごとから桜餅と葉っぱを一緒に食べる食べ方が誕生し流行しました。
長命寺に露店を構え、桜餅を販売するようになった店主の新六のもとには桜餅目当てで長命寺に参拝するお客さんや長命寺に参拝したついでに桜餅を食べて帰るお客さんがいました。
たくさんのお客さんの中にちょうど田舎から上京したばかりのお客さんがいたそうで、そのお客さんは桜餅はおろか椿餅さえも食べたことのない方でした。
そして桜餅の葉っぱをはがさずにそのままパクリと食べてしまったのです。
新六青年はこのときたいそう慌てたそうです。「お客さん大丈夫ですか?」と冷や汗をかいて駆け寄る新六青年にそのお客さんは「これ美味しいね。餅の甘さと葉っぱの塩気が合わさって旨味がある」と答えました。
それを見ていた常連のお客さんも私もそうして食べてみようと同じ食べ方をしてみると葉っぱをはがして食べるよりもたしかにさっぱりとした後味でした。
それからその食べ方をするのがオシャレだと江戸中に広まり、ついには上方にまで伝わっていきました。
実は桜餅に使われていた桜の葉っぱの弱点は乾燥しやすいことでした。
桜の葉は枝から外れるとすぐに乾燥が始まり、一日もするとカラカラに乾き縮んでしまうのです。
その為、なんとかして葉っぱ自体を乾燥させないことを考える必要がありました。
新六青年は桜の葉を塩漬けにすることで、桜の葉の長期保存することに成功していたため、桜餅に使われる桜の葉は塩気のある味がついていたのです。
まとめ

桜餅の誕生秘話をお届けしました。
本記事で紹介した桜餅の発明者である新六は後に長命寺のすぐ近くに店舗を構え、そこで桜餅をはじめとするお菓子屋さんを営むようになります。
その店舗こそ現在も新六が開業した場所で営業されている長命寺山本やで現在も新六が開発した当初の味をその子孫である山本やの主人が代々守り続けています。
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