参勤交代とは実際どのようなものだったか?参勤交代にまつわる「ちょっと意外なホントの話」5選







『参勤交代』とは各藩の藩主を年に1度、江戸と領地を行き来させることを強要した制度です。この制度は江戸幕府の3代将軍徳川家光が定めました。

主な目的としては、各藩の藩主を江戸に呼び寄せ、交代で軍役奉仕をさせることです。

さらにこの江戸へ来る為の旅費、江戸の滞在費などはすべて呼ばれた藩主の負担であった為、その財政的な負担は相当なもので、謀反対策としての側面もあったと言われています。

 

この参勤交代ですが、時代劇やお祭りなどでしばしば再現されており、想像に難くない制度だと思います。

しかし実はその再現に間違いがあったり、一般的には隠されていた真実も多くあります。

本記事では参勤交代とは実際どういうものだったのかが分かる、参勤交代にまつわるちょっと意外なホントの話をご紹介したいと思います。

 

庶民は参勤交代の大名行列にホントは土下座していなかった

時代劇ではよく参勤交代の大名行列が庶民の前を通過するとき、「下に~下に~」という掛け声をあげながら悠々と通り過ぎ、庶民たちは大名行列が通過するまで路肩で土下座をしているような描写がされています。

ところが、この再現には誤解があります。

 

土下座して通過するのを見守らなくてはならない大名行列は徳川御三家と呼ばれる大名の行列だけであり、意外にも地方の大名行列が通過するときはむしろパレードを観覧するように路肩に立って声援を挙げていたのです。

実際の記録によると参勤交代をする地方の大名たちは、むしろ自分たちの大名行列の豪華さをアピールしていました。

しかも参勤交代の大名行列が来る度に土下座をしていたのでは、都心部に住む人々は土下座するだけで一日が過ぎてしまうでしょう。

 

徳川御三家には格別な対応をしなければならなかったので、他の大名たちも庶民へ土下座することを強制できなかったのです。

 

また、「下に~下に~」という掛け声も徳川御三家だけで、他の大名たちの行列の場合は「寄れい寄れい」、「のけのけ~のけのけ~」といったように各大名家によってバラバラだったそうです。

 

参勤交代に参加する武士の多くはエキストラ

参勤交代にまつわる意外話としてよく取沙汰されるのが参勤交代に参加する武士の多くがエキストラであったことです。

参勤交代をするためには莫大な費用が掛かっていました。

 

領地からホントの家臣たちを江戸へ連れて行く場合、どうしても食費や宿泊費がかかってしまいます。

そのため、参勤交代で江戸へ上京する数カ月前から各藩は節約するために江戸に住む庶民や幕府の下っ端の武士たちに声をかけて参勤交代の行列に参加するエキストラを雇っていました。

また、旅籠(道中に儲けられた宿場)の中にはエキストラを派遣するサービスを提供するところもあったようで、地方の大名たちは数年単位でエキストラの長期契約をしていたとも言われています。

 

参勤交代の行列はハイペース?

 

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参勤交代の大名行列はゆっくり悠々と歩いて行進しているように時代劇で再現しています。

ところが、あのような行進は江戸に入ってからであり、それまでの道中は騎兵も歩兵も走りながら、なるべく速く江戸に到着できるように移動していました。

 

当然のことながら老臣たちは若者たちと同じように速く走ることができません。

そんなときは藩主の考慮のもと、先発させて指定の宿場で合流したり、海路を通行して足並みを揃えるようにしていました。

 

映画「超!!高速参勤交代!!」に出てくるようなハイペースの行進は意外にも笑い事ではなく、実際に行われていた行進の様子だったわけです。

 

参勤交代を免除される大名家がいた?

残念ながら一般的に認識されているような「参勤交代=全大名が交代で江戸へ行く」というのは誤った知識です。

大名家から分家した小大名や大老、老中など普段から江戸と領地を行き来しなければならない役職についていた大名は意外にも参勤交代を免除されていました。

 

また、徳川御三家のひとつ紀伊藩も江戸に常駐する大名だったので参勤交代に参加していたというのは少々語弊があります。

そもそも“参勤交代”「参勤」は江戸へ赴き将軍にまみえること。

「交代」は大名が江戸へ赴任する間、江戸常駐の家臣や大名の正妻と世継ぎが里帰りをすることです。

そのため、江戸に常駐しているような大名家ならば参勤はしても交代はしていないというわけです。

 

参勤交代の準備期間は約半年

 

私たちが国内旅行をしようと考えたとき、旅行計画や資金集め、旅館やホテルの予約などにかかる準備期間はどれくらいになるでしょうか?

ボーナスが入る見込みがあったり、普段から旅行するための資金を貯蓄しているような方であれば2~3日、遅くても1ヶ月くらいで準備期間を終えるはずです。

ところが、参勤交代は次元が違います。

参勤交代をするための諸経費を常に貯めて準備しているはずの諸大名たちでさえ、約半年も準備期間に費やしました。

この準備期間に関する話の根拠は現在の鹿児島を領地としていた薩摩藩の家老が残した日誌です。

その日誌には、参勤交代の苦労話や宿場に予約を断られたことに対する文句、結果だけを見て過程を顧みない藩主の愚痴などが赤裸々につづられていました。

 

まとめ

参勤交代にまつわる意外な話ということで、以下の5項目について詳しく説明しました。

【参勤交代に関する意外なホントの話】

  • 庶民たちは大名行列に対して土下座しなくてもよかった(徳川御三家を除く)
  • 参勤交代に参加する武士の多くはエキストラだった(雇われた人々)
  • 参勤交代を免除される大名家があった
  • 参勤交代の大名行列はハイペースで移動していた
  • 参勤交代をするための準備期間は約半年もかかっていた

 

このように参勤交代にまつわる意外な話を読んでみると「なんだあいつら偉そうに」と思っていた参勤交代のイメージがきっと覆ったのではないでしょうか?

参勤交代とは地方の大名にとって、とても辛いものだったのです。










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