現在の進化系家庭教師センターは、昔では考えられないほどその役割は広くなってきています。
その一つが不登校対策です。
今の時代、不登校だった生徒が東大へ進学しているって知っていました?
家庭教師トライでは、「トライ式高等学校」を開設して支店を全国展開しています。
そこでは、認可を得ていますから決められた単位を取得すれば高校卒業証書が発行されます。ただ高校卒業資格を発行する機関ではありません。
トライ高等学校の卒業生は、今年、東京大学1名、京都大学1名、北海道大学1名、九州大学1名の合計4名の旧帝国大学入学生を輩出しました。
そのほかにも国立大学・難関私立大学合格者は、324名に達しました。
ここでのシステムは、従来の学校とはまったく違うものです。
母体が家庭教師トライですから一対一の授業形態が基本です。
しかも、トライの人脈を駆使して、生徒が望む目標を実現できるように授業を柔軟に変更しています。
例えば、アニメの声優になりたいという生徒には、現役の声優さんを講師によんで授業をしてもらっています。その声優さんは、人気アニメ「夏目友人帳」の「田沼役」を演じている堀江一真先生です。
別の例は、Jリーガーにあこがれている生徒がいました。その生徒の先生は元Jリーガーです。他にもオリンピックの出場した選手やプロ野球の元選手まで用意しています。
残念なことですが、毎年のように生徒が自殺しています
本来、学校は人生の中でもっとも安全な場所なのではないでしょうか。
しかし、義務教育下にあって自殺する子供が毎年出てきます。
なぜでしょうか。
教育委員会がよく使うフレーズは家に問題があるということです。
家に問題がある、本当にそれだけでしょうか。
トライ式高等学校では、精神的に追い詰められ、学校に通えなくなった生徒が、笑顔を取戻し自分の次なる進路に向けて力強い足取りで進んで行っています。
世の中を見渡せば、今年もすでに多くの生徒が自殺という道を選んでいます。どうか、その子たちに伝えてあげてください。
今通っている学校が君の世界のすべてではないということを。
まだ、やり治せる方法はいくらでもあるということを伝えてください。
子供だけではないです。我々大人もこうした情報を共有して子供の命を助けましょう。
不登校は、個人のわがままでしょうか
生徒が自殺した後の教育委員会の説明に不信感を持たれた人は多いでしょう。
家に問題があったとか、責任逃れとしか取れないような表現を平気でしています。
不登校は、トラウマ、すなわち精神的外傷という治療が必要な疾病です。
子供が死んでも家庭のせいにしかできない教育委員会で運営されている学校に無理に通わせるというのは、むざむざ自殺に近づけているだけかもしれません。
自殺したくなるほどいやなところに毎日通うという選択肢しかないという考え自体を変える必要があります。
確かに義務教育は、日本人の3大義務の一つです。
しかし、その義務から地域の学校に通う義務が発生するわけではありません。
子供の自殺は、すぐに起きるものではありません。子供は、なんらかの信号を外に向けて発信しているはずです。
仮にそうした信号を受信できても、いままでは、代替手段がありませんでした。
しかし、現在ではトライをはじめとしたさまざまな支援学校が設立されています。
そうした信号を子供が発しているとなったら、ためらわずにそうした団体に相談してください。
少なくとも家庭教師トライでは、家が全面的に悪いとは、考えていません。
現に、そうした学校に通えなくなった子供がトライ高等学校に通い始めて、徐々に失われた自分の時間をスタッフとともに取戻していって、潜在能力を開花させ、卒業していっています。
邪魔なのは、既成概念ではないですか
学校はなんのためにあるのでしょう。子供のためでしょうか。
日本の教育システムは違います。
例えば110という数字がなにを示しているかお判りでしょうか。この27年間の日本の義務教育下の柔道の授業で、命を落とした児童・生徒の数です。
柔道は武道だから仕方のないことですか。
例えば、フランスの柔道人口は56万人で、日本の17万人を大きく超えています。
日本が110人死亡しているということは、フランスでは、3倍の330人死亡しているのでしょうか。
フランスはゼロです。
フランスでは、児童・生徒の死亡事故は起きていません。
日本の義務教育の歴史を紐解くと「富国強兵」というスローガンに出くわします。
つまり、日本の義務教育の原点は、兵士育成プログラムだったのです。
子供の自主性とか言っていますけど、これは第2次大戦後アメリカの指導で言わされただけで、本質はなにも変わっていないということです。
日本の教育の本質は、集団が個人を優先するという全体主義を植え付ける場なのです。教育勅語も復活するそうです。
先ほどのフランスの例に戻りましょう。
なぜ、フランスでは、柔道の授業で日本のように死亡事故が起きないのでしょうか?
それは、フランスの教育現場で一番大切なのが「子供の命」だからです。
日本の義務教育で生徒・児童が自殺するというのは、システム障害から生じる必然なのかもしれません。
(Author:グリンプス)
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