日本には今まで3つの幕府が起こり、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の座には50人以上の人々が就きました。
日本において”将軍”といえば征夷大将軍しかありませんが、実は征夷大将軍とは雑号将軍(ざつごうしょうぐん)と呼ばれる役職に該当します。
同じく「将軍」の愛称で呼ばれる人気漫画「キングダム」に登場する大将軍の王騎(おうき)や「三国志」に登場する曹操孟徳(そうそうもうとく)、北朝鮮の金正恩(きむじょんうん)の方が征夷大将軍よりも実は位が高い将軍です。
本記事では、征夷大将軍とはどれくらい偉い将軍位なのか?また、上記のような将軍の種類による位の差についてご紹介したいと思います。
日本で最初に征夷大将軍に就任した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

坂上田村麻呂
日本で最初に征夷大将軍の座に就いた人物は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。
坂上田村麻呂と言えば平安時代初期に桓武天皇(かんむてんのう)の詔勅(しょうちょく:天皇の意思表示の文書)を受けて征夷大将軍に日本史上で初めて就任し、蝦夷(えぞ)の主導者である阿弖流為(あてるい)を討ち、蝦夷討伐を行った平安時代の公卿兼軍人です。
ちなみに征夷大将軍の征夷とは「蝦夷(えぞ)を征伐(せいばつ)する」という意味が込められており、征夷大将軍の本来の意味は「蝦夷を征伐する軍の指揮者」です。
そのため、鎌倉幕府や江戸幕府の武将の中で最も偉い将軍というのは本来の意味としては離れてしまっています。
征夷大将軍以外に将軍ってどれくらい種類があるの?

鎌倉幕府 征夷大将軍 源頼朝
日本で将軍といえば征夷大将軍のことを指します。
と言うよりも日本において将軍と呼ばれる者は征夷大将軍に就いた者のみです。
しかし、中国の軍事制度や日本が鎌倉時代まで法律の基盤としていた律令に定義されている軍事制度の中にはいろいろな将軍位があります。
それではどれだけ将軍と呼ばれる役職があるのか、正史三国志や史記などの史料に記録されている将軍位を書き連ねていきましょう。
【将軍位の種類】
《特権将軍》
- 上大将軍(じょうだいしょうぐん)
- 衛将軍(えいしょうぐん)
- 飛将軍(ひしょうぐん)
《常設将軍》
- 大将軍(だいしょうぐん)
- 上中下大将軍(じょうちゅうげたいしょうぐん)
- 驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)
- 車騎将軍(しゃきしょうぐん)
《雑号将軍》
- 四鎮将軍(しちんしょうぐん)(東西南北)
- 四安将軍(東西南北)
- 四征将軍(東西南北)
- 四平将軍(東西南北)
- 前後左右将軍(ぜんごさゆうしょうぐん)
- 撫軍将軍(ぶぐんしょうぐん)
- 伏破将軍(ふくはしょうぐん)
- 輔国将軍(ほこくしょうぐん)
- 牙門将軍(がもんしょうぐん)
- 裨将軍(ひしょうぐん)
- 偏将軍(へんしょうぐん)
※上に位置する将軍位から中国の九品制度(第二品上位など)や日本の官吏制度(下従五位など)の順序に従って並べています。
上大将軍~飛将軍は皇帝から特別に特権を与えられた者のみが就いた将軍で、常設されている将軍位は大将軍~前後左右将軍までです。
頭文字に「四」や「前後左右」の文字が入る将軍は布陣するときの位置や都から見てどの方角に派遣するかで決められた将軍位です。
ちなみに大将軍、驃騎将軍、車騎将軍以外の将軍位は常設ではなく、臨時の官職や常設の将軍の仕事または領土の一部を代理で司る将軍位であり、すべてひっくるめて雑号将軍と呼ばれます。
征夷大将軍よりも偉い将軍っているの?
ゲームや映画、ドラマなどで男性なら一度はその虜になったであろう「三国志」や人気漫画「キングダム」には数多くの将軍が登場します。
例えば三国志なら悪玉の代名詞である曹操孟徳は作中で「曹将軍」と呼ばれていますし、人気漫画「キングダム」では「趙の三大天」、「秦の六大将軍」と呼ばれて恐れられる大将軍という位に就く武将が登場します。
結論から言うと役職名に「将軍」という文字がつく中で最も最高位に位置するのは「大将軍」と呼ばれる地位にある者です。
中国では「司馬(しば)」や「大司馬(だいしば)」という軍事面を司る大臣の位がありますが、厳密に言うと大将軍よりも司馬、大司馬のほうが上位の役職です。
ちなみに日本においては司馬、大司馬、大将軍の位に就任した者はひとりもおらず、軍事面で最も偉い役職は大和朝廷の右大臣になります。
※左大臣は文官の最高位の官職、右大臣が武官の最高位の官職です。
征夷大将軍含む将軍ヒエラルキー(階層)
それでは次に将軍位はどのようなヒエラルキー(階層)になっているのか以下に示してみましょう。
【将軍ヒエラルキー】
- 最高位 大将軍(だいしょうぐん)
- 序列第2位 驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)
- 序列第3位 車騎将軍(しゃきしょうぐん)
- 序列第4位 雑号将軍(ざつごうしょうぐん)
征夷大将軍は東西南北の四征将軍と同じ征伐することを目的とする将軍位のため、四征将軍の一種として考えるので、雑号将軍のひとつに分類されます。
すると、征夷大将軍よりも上位にある将軍職は上から大将軍、次に驃騎将軍、その次に車騎将軍があります。
軍隊の制度としてあらかじめ定義されていた将軍位の中では征夷大将軍は下層の将軍位であったことがわかります。
征夷大将軍よりも上位の役職に上った武士

太閤 豊臣秀吉
征夷大将軍は武士の頂点なのか?という視点で見たとき、確かに幕府を開く権利があるのは征夷足し将軍なのですが、官職という視点で見た場合に武士の出身者で征夷大将軍よりも上位の位に上りつめた者がいます。
その武士とは
- 武士で史上初の太政大臣に上り詰めた平清盛(たいらのきよもり)
- 武士史上初の右大臣となった織田信長(おだのぶなが)
- 武士史上初の天皇のよりも上位の太閤という位についた豊臣秀吉(とよとみひでよし)
この3人です。
平清盛が就いた太政大臣とは現在の内閣総理大臣に相当し、織田信長が就いた右大臣は国務大臣のひとつ防衛大臣に相当します。
豊臣秀吉の就いた太閤は彼以降誰もついたことのない摂政、関白、太閤といって天皇が幼少の場合や天皇の権利が弱いとき、または国難であるときに天皇の代わりとなって政務を執る官職です。
そのため、序列的には「豊臣秀吉」→「平清盛」→「織田信長」の順序で武士出身者にして征夷大将軍よりも上位の役職に位置した者がいました。
まとめ
征夷大将軍は将軍位の中では序列第4位の雑号将軍に相当し、官職の定義では摂政や関白、太閤、太政大臣、右大臣よりも下位に位置する役職です。
将軍位の中では人気漫画「キングダム」に登場する王騎が与えられた大将軍、三国志の曹操孟徳が就任した驃騎将軍、同じく三国志の張飛翼徳が就いた車騎将軍の方が征夷大将軍よりも上位にあたります。
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