合戦時の軍事費や大名の生活費の源~戦国時代の税制について解説~







現代の私たちは国や都道府県、市区町村に消費税や固定資産税、所得税などの税金を納めています。

戦国時代以前は幕府や朝廷が税を徴収していたのですが、戦国時代は朝廷や幕府ではなく、戦国大名たちが独自に税制を整備して軍事費や自分たちの俸禄を得ていました。

本記事では、戦国大名たちが独自に整備した戦後時代の税制について解説します。

 

戦国大名による税制

 

戦国時代以前は幕府や朝廷が税の徴収を行っていたのですが、戦国時代は戦国大名たちが独自に税制を整備して、軍事費や俸禄を得ていました。

合戦などを行うための軍事費、築城や公共事業を行うための工事費、家臣たちへの俸禄など戦国大名たちには莫大な費用が必要でした。

それらの収入源となったのが、当時農民や町人に課せられた税です。

 

前田利家の加賀100万石や蒲生氏郷の会津42万石の俸禄は実際に幕府や豊臣政権から支払われた給料ではなく。

それくらいの経済能力がある土地という意味です。

ですので、本当に100万石をきっちりとるのか、60万石で足りるならばそれだけで済ませるのかは大名たちの懐具合によって決まっていました。

 

戦国時代では農民と町人は課せられた税が異なっていた

 

現在私たちは、税をお金で支払っており、居住する地域や収入によって徴収される額は異なるものの、みな同じ税を支払っています。

ところが、戦国期には農民と町人に課せられた税は別にされていて、職業に応じた税の徴収がなされていました。

 

商人に課せられた税

宋銭(そうせん)

商人に課する税の中核は店舗や家屋に対して課せられる棟別銭(むねべつせん)でした。

当初は朝廷や幕府が徴収する臨時の課税でしたが、戦国大名たちが登場すると住民台帳を独自に作成して常習的に徴収される税へと変化しました。

その他、商売のやり方に応じて様々な税金が徴収されました。

 

棟別銭(むねべつせん)

棟別銭は商人や職人に対して課せられた税です。

家教調査(宗教の調査)を行い基本台帳を作成して、家屋単位に徴収しました。

 

蔵役(ぞうやく)

土倉などの金融業者に対して課せられた税です。

土倉は質屋のように物品を担保にして金銭を貸し、支払いが滞ると担保を没収しました。

 

矢銭(やせん)

その名のとおり戦国大名が合戦の軍事費として臨時で徴収した税です。

 

有徳銭(うとくせん)

もともと室町幕府が京都の商人から徴収していた税でしたが、戦国大名は大金持ちの商人や職人を対象として、この税制を導入しました。

棟別銭とは別にさらに税を徴収しました。

 

市場銭(いちばせん)

市場に出入りして商売をする商人に対して課せられた税で、要するに市場の場所代のような税です。

この税は市場代官と呼ばれる市場を監督する立場にある武士が徴収と管理を行いました。

 

地子銭(じしせん)

宅地に対して課税された税で、表間口の広さによって税額が定められていました。

 

農民に課せられた税

もともとは大名の直轄地から得られる農業生産品に対して農民から徴収するのが年貢で、課税額に相当する米を納付するというシステムでした。

しかし、豊臣秀吉が太閤検地を行って一段あたりの米の生産量に応じて田んぼを上田、中田、下田、下下田でに分類して石高を決め、年貢を算出しました。

年貢意外にも臨時で徴収されていた私段銭と呼ばれる税や公事と呼ばれるさまざまな雑役がありました。

 

また、領民に対して大名たちは夫役と呼ばれる労働を税の一環として課しました。

戦国の初期は兵農分離ができていなかったため、戦時には農民は武士として戦場に赴きました。

戦国時代の後期には兵農分離がきちんと行われ、足軽が専門職となり陣夫役が減り、税の代納によって免除されるようになりました。

 

年貢(ねんぐ)

大名の税の根幹をなす税。

年貢の徴収する方法には貫高制と石高制がありました。

貫高制は物価を基準にしてお米の量を定めた方法、石高制は生産量に応じてお米の量を定めた方法です。

 

私段銭(したんせん)

農地の広さに応じて戦国大名が臨時に課した税です。

段とは農地の広さを示す単位で、広ければ広いほど納入しなければならないお米の量も多くなりました。

 

公事(くじ)

農民が負担した年貢意外の税で、特産品を販売して得た売り上げの一部や雑穀の納付、人足(作業員)としての肉体労働などを課しました。

 

伝馬役(てんまやく)

宿駅を設置して物資輸送のために馬や人手を挑発する仕事をして納税する方法です。

この納税をしていた人々が多く住んでいたのが、東京都日本橋付近の小伝馬町です。

 

普請役(ふしんやく)

平時に築城や土木作業に従事する税。

 

陣夫役(じんぷやく)

合戦時に兵士や雑用を行う者として参加させられる税。

 

まとめ

 

戦国大名が領民に課した税制について記述しました。

戦国時代の朝廷は税収のほとんどを戦国大名たちが持っていってしまったので、大名たちよりも経済的に困窮していたそうです。

臨時的な課税や年貢の納入比率が多すぎると農民や町人は力で訴えて反乱を起こしたり、他国へ移住してしまうので、戦国大名が行った内政面ではコントロールがもっとも難しい業務でした。










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