戦国時代にはどのような職人がいたのか?戦国大名と職人との関係







戦国大名たちは自国を強化するために、各地から武器を作る名工や建築関連の匠、装飾品などをデザインする手工業の職人を呼び寄せて、領内に住まわせました。

それらの職人はいわゆる大名お抱えの職人で、現代でいうイギリス王室御用達の紳士服店や官営工場の社長などと同じくらいの特権がありました。

大名御用達の職人ともなれば、生涯子々孫々の代まで安泰した生活を保障され、職人にとっては憧れの職業でした。

本記事では戦国時代に活躍した職人たちについて解説します。

 

鍛冶師

鍛冶師には大きく分けて刀剣を制作する刀鍛冶と鉄砲を制作する鉄砲鍛冶がいました。

特に刀鍛冶は戦に備えて武器を大量生産する必要性から大名の支配下に置かれました。

当時は大和、山城、備前、美濃、相模の五箇伝と呼ばれるところが名産地として有名でした。

 

鉄砲が普及すると、刀鍛冶を営んでいた者から鉄砲鍛冶へ移行する者が多くなりました。

先見の明とも言えるのでしょうか?

当時鉄砲鍛冶へ移行した職人たちは刀剣へのこだわりを捨て、より安定した収入=将来的に仕事量が増えそうな武器を制作することが生き残る術として必要だと感じたのではないかと推測します。

 

彫金師

彫金師とは、金属にたがねで装飾を刻み込む職人のことです。

戦国時代には日本刀の鍔や目貫(めぬき)、日本刀の付属品となる笄(こうがい)、鎧兜の装飾などの装飾が主でした。

伝説の彫金師には後藤四郎兵衛という職人がおり、室町幕府の御用達彫金師として働きました。

倒幕後は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国の三大英傑に仕えました。

 

木地師

 

木の素材が豊富にある山間部を巡りながら、ろくろを用いてお椀やお盆などの木工品を製造するための職人が木地師です。

戦国時代には移動生活をやめ集落を作り、木地挽きと呼ばれる行商人として生計を立てる者が増えました。

 

塗師

塗師は漆を塗る職人です。

お椀やお箸、御膳などの生活用品を主に制作しました。

戦国期は紀伊の根来寺の僧侶たちが制作した根来塗という漆細工の食器が流行しました。

塗師は塗料の原料である漆の樹液の採取も行っていたようです。

漆の採取法としては、漆の木に刃物で傷をつけ、何時間もかけてタラタラとしたたり落ちる樹液を集めていたそうです。

 

石工職人

石工職人は築城工事の際に岩を運んだり削ったりして、石垣を作った職人です。石垣は岩のバランスや重さを考慮して計画的かつ優れた空間把握能力を必要とする人工物です。

石工は岩をくみ上げながら、より崩れにくい石垣とするために微調整をしながら石垣を作っていました。

石工職人はもともと寺社の造営や護岸工事などに携わっていました。

織田信長は安土城建設の際、比叡山延暦寺や日吉大社の石組みをしていた石工集団である近江の穴太衆(あなうしゅう)を雇って動員しました。

それ以降、全国の大名たちが、穴太衆(あなうしゅう)を雇うようになり、江戸時代初期までに作られた多くの城の石垣は穴太衆(あなうしゅう)が建設に携わりました。

日本で攻めにくい城のひとつとして数えられる熊本城の武者返しと呼ばれる石垣も、穴太衆(あなうしゅう)によって制作されたものです。

 

番匠(ばんしょう)

 

番匠は木造建築に携わる大工で、現代では宮大工という名で知られています。

その名のとおりもともとは寺社や宮殿の建設と維持に携わる職人たちで、戦国時代以降は城が巨大化し、複雑な構造の設計が求められたため、大名たちは番匠を多く雇って組織化しました。

安土城の天守閣を築城した番匠として、尾張の熱田大工という異名をもつ岡部又右衛門という職人が名工として名をとどろかせました。

また、大阪城や江戸城の造営の才には、奈良大工という系統の番匠集団が建設に携わりました。

 

瓦師

瓦師は屋敷や住居の屋根にふく瓦を製造したり、瓦の敷設をしていた職人です。

鎌倉時代以降、寺院を建築するための瓦の需要が多くなり、大工・左官と並んで確固たる地位を築きました。

瓦焼は自分の仕事場で仕事をしたので「居職」と呼び、瓦をふくのは現場に出張して作業することから「出職」と呼ばれました。

戦国時代には城下町にも瓦師を開業する者がおり、城下町に住む商人や下級武士たちを相手として商売をしました。

 

鋳物師(いもじ)

鋳物師は仏像や鐘、鍬、鍬といった農工具、鍋や釜などの生活用品に至るまでの製品を鋳造する職人でした。

鋳物師は平安時代には官職の称号となり、河内鋳物師と呼ばれる鋳造技師集団が各地に鋳造技術を伝えました。

河内鋳物師のおかげで農業生産率は飛躍的に向上し、一般庶民の生活も便利になりました。

 

まとめ

 

戦国時代の職人について解説しました。

大名お抱えの職人となると、現代でいうところの技官に該当し、憧れを抱いて就職や開業する者もいました。

しかし、このような戦国時代の職人のなかで大名お抱えの職人となれるのはごくわずかで、ほとんどの場合は行商や下請けとして働くことが多かったそうです。










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