武田信玄お気に入りのトイレ「甲州山」とはどんなトイレだったのか?







武田信玄はトイレにこもる時間が長かった戦国武将であったことは有名な話です。

トイレにこもる時間が長かった理由はお腹が弱かったからだけでなく、単純に武田信玄がトイレの空間がお気に入りだったから。

さらに武田信玄のトイレに対するこだわりは尋常ではなく、「甲州山」と名づけた武田信玄専用トイレまで作っていました。

今回は武田信玄お気に入りのトイレ「甲州山」について説明します。

 

トイレが大好き武田信玄

 

“トイレ”もとい“トイレで用を足す空間”は、外界や他人との一切の関わりを一時的に完全シャットアウトできるパーソナルスペースです。

人間は本能として、「自分だけのテリトリー」という概念を持っていて、その中に己の良しとしない人や動物が入ると不快感や恐怖心を抱いてしまうと言われています。

その可能性を完全に取り除くことができるトイレは「自分だけのテリトリー」が守られる安心なスペースというわけです。

 

トイレ内で読書やビデオ鑑賞などを楽しむ人は年々増大しており、トイレにこもる時間が長い人に至っては、トイレに本棚を設置したり、水分補給用のペットボトルを保存するための冷温庫を設置する人もいるそうです。

 

戦国武将の武田信玄はお腹が弱く、トイレにこもる時間が長かった大名としても有名です。

しかし、トイレに長時間こもっていた理由は単にお腹が弱かっただけでなく、トイレという空間がお気に入りであったからだと伝えられています。

 

武田信玄のトイレに対するこだわりは尋常ではなく、「甲州山」と称される武田信玄専用トイレまで建設させています。

「甲州山」とはどのようなトイレだったのでしょうか。

 

「甲州山」は畳ばりの広々トイレ

武田信玄の指示によって記録された甲斐国の軍記「甲陽軍鑑」には、武田信玄お気に入りの専用トイレ「甲州山」のことまで綴られています。

甲陽軍鑑によると、専用トイレの「甲州山」は武田信玄の住む躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に併設されており、広さは京間六畳。六畳間の床には『畳が敷き詰められいた』とあります。

 

京間とあるので、一般的な六畳よりも広めの作りとなっています。

武田信玄専用トイレは公園にある公共トイレや会社のトイレとほぼ同じ規模の広さを誇るトイレでした。

現在の一般的なトイレはタイル張りかフローリング材の床ですが戦国時代は土間が一般的で、高下駄を履いて入室していた模様です。

 

甲州山はなぜこのようなつくりになっていたのか。

その理由は敵襲からの攻撃に備えるためです。

たとえ屈強な猛者だとしても、お風呂やトイレは無防備になるので、暗殺の王道な現場として選ばれることが少なくありませんでした。

六畳ほどの広さもあれば一見トイレではなく、離れの居室か作業場にしか見えません。また、広ければ敵が自分の間合いに入るまでの時間を稼ぐことができるし、剣を振って応戦することもできます。

さらに念には念を入れるということで、武田信玄は用を足す際は、必ず周囲を家臣たちに警護させました。

 

合理的な便器

 

甲州山の便器は和式を採用しています。

金隠し(便器の前方に立てる板)の両端に支柱が立てられており、その支柱にはしゃがんだときにちょうど胸の下くらいの位置にくるように取っ手がついています。

イメージとしては、おむつを卒業したばかりの幼児が使用するおまるのように両手を取っ手にかけられるようになっています。

この取っ手は用を足している最中だけでなく、立ち上がる動作を容易にする工夫ではないかと考えられます。

 

また、排泄物が落ちる穴は将棋の駒のような五角形にくり抜かれていて、排尿時に尿が前後するゆとりを持たせています。

 

トイレ用芳香剤の元祖

 

武田信玄は甲州山に漂うニオイについてもこだわりがありました。

トイレなので便のニオイが少なからず漂ってしまうことは当然なのですが、武田信玄は甲州山の四つ角に香炉を設置していました。

その香炉に使われるお香も女性が居室で焚くような香りのものを使用しており、便のニオイが充満しないような工夫をしていたのです。

また、そのお香も24時間体制で交換し、交換する係は朝、昼、晩の三交代で任務についていたそうです。

 

日本初の水洗トイレは甲州山

 

甲陽軍鑑によると武田信玄専用トイレの甲州山は水洗トイレであったと記されています。

その具体的な作りは木樋(もくひ)の水路をお風呂場の下水から甲州山経由してお堀まで張り巡らせられており、武田信玄が排泄物を流す際は呼び鈴のひもを引いて、家臣たちが水路にお風呂の残り湯を流していたと伝えられています。

さすがに現在のようなレバーや足踏み式の仕様ではなく、全部人力による水洗システムだったみたいです。

 

アイディアや考えごとはトイレで

 

武田信玄は考えごとやアイディアに集中したいときはよく甲州山に足を運んでいたようです。

甲州山は広いので便器にまたがっているとき以外にも、室内を歩き回ったり敷いてある畳に寝転んだりしてリラックスした状態でアイディアや思案を巡らせていました。

 

さらに、武田信玄は甲州山をサイドオフィスとしても利用していました。

甲州山の出入り口には国名や案件名がラベリングされた引き出しつきの書類整理箱が設置してあり、武田信玄は甲州山の室内で国民からの訴えを判決したり、書類の保管もしていました。

 

まとめ

 

武田信玄専用トイレ「甲州山」について説明しました。

2009年にはTOTO主催の「愛・トイレ博」で一度、甲州山の一部復元がされました。

残念ながら躑躅ヶ崎館の跡地である武田神社には、甲州山の面影もなく、壮大な武田信玄専用トイレを目にすることはできないのですが、過去に某テレビ番組で武田信玄専用トイレの再現VTRが制作されたことがあります。

 

余談ではありますが、武田信玄が実戦で用いた作戦の中には、甲州山で生まれたものも多くあります。

武田信玄にとって、専用トイレの影響力は絶大だったのではないでしょうか?












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