聖武天皇が行った東大寺の大仏建設は日本史上初の国家プロジェクト







修学旅行の定番スポットとしてよく知られる奈良県にある東大寺の大仏

奈良の大仏はその高さ約15メートルに及ぶ巨大な仏像で、大仏を作らせた聖武天皇(しょうむてんのう)がどれだけ偉大だったのかがわかります。

そんな奈良東大寺の大仏は当時前代未聞の国家総動員プロジェクトによって作られたものでした。

 

本記事では聖武天皇が行った奈良の大仏の建設についてお伝えしていきます。

 

みんなの期待を一身に背負った苦悩の君主 聖武天皇

聖武天皇

奈良東大寺と大仏の建設を命じた人物と言えば奈良時代の偉大な名君である聖武天皇です。

聖武天皇が天皇に即位した頃の日本は各地で飢饉と疫病が流行し、混乱状態にありました。

また、聖武天皇が即位した奈良時代はまだ占いの結果を政治に反映させるスタイルをとっており、天災や病気など説明のつかない自然的現象はすべて神様によるもので、天災が相次ぐ世の中になったのは主導者である天皇に天命(神様の許可)がない、つまり天皇の資格がないことを意味していました。

そのため、聖武天皇は朝廷に仕える部下たちと国民を従わせるため、なにがなんでもこれらの問題を解決しなければなりませんでした。

いうなれば聖武天皇は崖っぷちの時代に天皇に即位してしまったのです。

 

聖武天皇は大仏を作る前に4度遷都(せんと)していた

 

当時は占いの結果を政治に反映していたと記述しました。

遷都(せんと)とは天皇が政治の中心とする都をお引越しさせることで、当時は「都に疫病や天災がはびこるのは都の運気が下がっているからだ」という考えから古代ではよく行われていた政策です。

 

聖武天皇が相談した朝廷の官吏や高僧たちも口々に遷都することを勧め、聖武天皇が中国の長安を真似して作った平城京を捨てて移住したのも朝廷で占いをし、天皇にアドバイスする役職についていた高僧が

「いま都には悪い気が立ち込めています。もっと清い場所へお移りになり、政(まつりごと)を執るべきです」

という助言から決意したと伝えられています。

 

聖武天皇は上記のような社会問題を打破するため、

平城京(へいじょうきょう)→恭仁京(くにきょう)→難波宮(なにわのみや)→紫香楽宮(しがらきのみや)

と合計4度も遷都したのですが、状況はいっこうに回復せず、骨折り損のくたびれ儲けな結果に終わります。

 

悩んだ挙句、聖武天皇が出した答えが大仏建設だった

 

1人の天皇が4度も遷都を行ったのは前代未聞のこと、なにより遷都するには膨大な費用と計画的な街づくりが必要となるので本来であればなるべくやりたくない政策です。

それでも聖武天皇が遷都を重ねたのは飢饉と疫病の問題がそれだけ国家を脅かす問題であり、聖武天皇自身が切羽詰まっていたからでしょう。

しかし、4度遷都しても飢饉と疫病に悩まされる状況は打破することができませんでした。

聖武天皇は次なる手を打つべくたくさん本を読んだり、朝廷に仕える貴族や外国から特別に招いた高僧に相談をし、頭を抱える毎日を送っていました。

 

そんな中、聖武天皇に一筋の光が差します。

そうです、聖武天皇が出した答えは「もう御仏の力に頼るしか道はない…大仏を建設しよう!」というものです。

 

聖武天皇が命じた奈良東大寺の大仏建設は日本史上初の国家総動員プロジェクト

聖武天皇は仏の力をより多くの人々にもたらすため、巨大な仏像である大仏の建設を計画します。

当時よく建立されていた仏像の平均的な大きさは約2.2メートル

対して聖武天皇が建設計画をした大仏の大きさは高さ約16メートルでした。

なんと一般的な仏像の7.5倍に匹敵する大きさです。

 

余談ですが、現存する大仏は復元されたものであり、建設当時の設計書がなかったためいろいろな記録から聖武天皇が作らせた大仏を再現しようとしてつくられたものです。

大仏の復元が完了してから高さを測り直してみた結果、聖武天皇が作らせた大仏よりも約1メートル低い14.7メートルになってしまったようです。

 

奈良東大寺にある大仏は現在でも世界一の巨大さを誇る仏像ですが、大仏を建設した頃4度の遷都をしたため国庫は底をつきかけていました。

聖武天皇のすごいところはここからです。

なんと大胆にも「国にはお金がないんだ」ということを正直に伝えるとともに国家総動員プロジェクトの概要や大仏建設の必要性を説き、すべて国民の力で建設させたのです。

 

大仏の建設に要した期間は14年

かかった費用は現在の価値に換算すると4657億円

さらに建設に携わった国民はその数なんと260万人

当時の日本全土に住む国民の半数で地方から男性がいなくなったと言われるほどでした。

 

聖武天皇の大仏建設を支えた行基(ぎょうき)

行基

みなさんは行基(ぎょうき)という高僧の名をご存知でしょうか?

聖武天皇の大仏建設において行基という人物は欠かすことができません。

聖武天皇が国庫からは一切支出することなく、多くの国民の協力を得られたのは行基の働きがいちばん大きいと言われています。

 

行基は自らの足で日本全国を旅し、一声発すれば1000人が集まるという評判の高僧でした。

当時は僧侶や一部の朝廷官吏しか知ることのできなかった井戸の掘り方や架橋などの土木工事の技術や知識を庶民に広く伝えた人物であり、大仏建設のための資金集めや民衆を語り諭して大仏建設へ導くために奔走しました。

 

残念ながら大仏が完成する3年前に行基は亡くなってしまいますが、聖武天皇の行基への感謝の念は絶えず開眼供養会(かいげんのくようえ)の式典では聖武天皇が行基の位牌を行基の弟子に持って来させるほどでした。

 

まとめ

修学旅行の定番スポットである奈良県東大寺の大仏。

奈良の大仏の建設は、当時日本各地で起きていた飢餓と疫病の問題をなんとか解決する為に聖武天皇が建設を命じました。

この大仏建設は聖武天皇によって行われた日本史上初の国家総動員プロジェクトであり、大仏の建設期間は14年、費用が4657億円、工事に携わった民衆が260万人におよぶ一大プロジェクトでした。










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