安土桃山時代までは戦乱の世の中が続いていましたが、徳川家康(とくがわいえやす)が江戸幕府を開いてから幕末の維新志士たちが登場するまで、江戸時代は戦争のない平和な時代でした。
ところが平和になると困る職業の人々がいます。
刀鍛冶職人など、武器を生産する人々です。
特に戦国期から鉄砲の普及によって刀鍛冶職人は強い後ろ盾や優れた製造技術がなければ、刀鍛冶を継続することさえ難しくなりました。
ただでさえ継続するのが困難になっていた刀鍛冶ですが、この戦国期よりも平和になった江戸時代はさらに困った状況に陥ってしまいます。
江戸時代の刀鍛冶職人たちは結局どうなってしまったのでしょうか?
刀鍛冶から鉄砲鍛冶へ
戦後期にポルトガルから鉄砲が伝来し、大名たちから注目されたのを機に多くの刀鍛冶職人が『鉄砲鍛冶職人』へと転身しました。
織田信長(おだのぶなが)お抱えの鍛冶集団根来衆(ねごろしゅう)や雑賀孫一(さいかまごいち)を筆頭とする雑賀衆(さいかしゅう)はその代表例です。
しかし、刀は武士にとっての必需品です。
刀鍛冶職人の中には、大名から転身することを禁じられたり、刀に強いこだわりを持って作り続ける刀鍛冶職人もいました。
刀、刀鍛冶の需要が急落した江戸時代
江戸時代に入ると長く続いた戦乱の世が終わり、平和になりました。
平和になったことで刀や鉄砲などの武器の需要は一気に急落します。
そのため、刀鍛冶職人は刀の生産一本に絞って営業を継続することが難しくなってしまいました。
解雇される刀鍛冶職人
戦国大名たちは戦に備えて多くの刀や武器が必要だったため、多くの刀鍛冶職人を抱えていました。
ところが江戸時代になり、平和な時代が訪れると「刀の生産は一定量でよい」という方針へ移行する藩(大名)もあって、解雇される刀鍛冶職人が続出しました。
江戸時代の藩は借金を抱えているところが多かったので、断腸の思いでこのような経済政策をとったものと考えられます。
いわゆる官営だった産業を民営化してコスト削減を試みたのでしょう。
副業をする刀鍛冶職人
刀の需要が落ちてしまえば当然、刀鍛冶職人が作った刀は売れなくなります。
刀の生産一本で生活していくことが困難になってきた刀鍛冶職人は鍛冶技術を応用できる副業や全く異なる需要がありそうな業界の仕事をしてやりくりしました。
刀の鍛冶技術を応用した仕事としては、包丁や鍬などの庶民向け製品の制作です。
もともとは刀鍛冶職人と包丁や鍬などの日用品を制作する鍛冶職人は異なる業種でした。
しかし、刀狩令の影響で兵農分離された後の江戸時代の庶民たちは刀を必要としません。
刀鍛冶職人は庶民からも顧客を獲得するため、ニーズの多い調理器具や農具に使用する製品を生産するようになりました。
また、全く異なる業界の仕事としては刀鍛冶で培った知識と目、経験を活かして刀の鑑定士、刃物問屋を掛け持ちするしたり、本業にしてしまう刀鍛冶もいました。
刀鍛冶職人が首斬り職人に?
平和になってしまった江戸時代、刀鍛冶は同業他者と差をつけることができなければ継続的な売り上げは見込めません。
刀の生産量が減った江戸時代では安い刀を何本も量産するよりも1本に高値を付けて販売するほうが得策でした。
そのためには「私の制作した刀はこれくらい素晴らしいですよ」とアピールする宣伝活動・営業活動をしなければいけません。
刀鍛冶職人たちが自分の制作した刀を宣伝するために使った場がまさかの処刑場です。
今では信じられないことですが、江戸時代においては公開処刑が一般的でした。それは民衆に対する”見せしめ”の意味もありました。
ところが、当時の武士や庶民はまるで物見遊山に出かけるがごとく処刑場に足を運んでいたと言われています。
さらに武士たちの中には、刀を新調する際の刀鍛冶職人の腕前を判断する材料にする者もいました。
そのため、刀鍛冶職人はいかにうまく首を一刀両断できるのかを研究し、スパッと死刑囚の首を斬り落としながら実演販売をしていたのです。
さらに、このような活動を続けているうちに斬首の腕前が奉行所の武士よりも上達してしまい、副業として死刑執行を引き受ける刀鍛冶職人や奉行専属契約を結ぶ刀鍛冶職人も出現しました。
幕末になって少し盛り返した刀鍛冶職人
幕末になると尊王攘夷をうたって汚職幕臣を誅殺する維新志士やそれを討伐するために結成された京都見廻組、新選組などが戦うようになり、刀の需要は増えました。
また、明治政府軍と旧幕府軍との争いである『西南戦争』、『鳥羽・伏見戦争』、『函館戦争』などの戦争が起こり、たくさんの刀や武器が必要になりました。
この頃まで刀鍛冶を営み続けた刀鍛冶職人はこの時期きっと大儲けすることができたと思います。
なぜなら約300年の時代の変遷を歩んでいくうちに、刀鍛冶職人から鉄砲鍛冶職人や日用品専門の鍛冶職人へと転身した鍛冶屋さんはすでに刀を制作するための知識や技術がなくなっていたからです。
この時期だけは競争相手が減ったのに、多くの武士や兵士が刀を買い求めたのですから戦国時代以前の先祖と肩を並べる売り上げを上げていたことでしょう。
まとめ
江戸時代以降、刀の需要が急落した影響で大名お抱えの刀鍛冶職人たちは、ほとんどが解雇されてしまいました。
刀鍛冶一本で生活するのが困難になった職人は転身、副業との兼業などに追い込まれたのが実情です。
刀鍛冶職人が転身や副業とした仕事の例としては、鉄砲鍛冶、調理器具や農具の制作する職人、刀の鑑定士、刃物問屋、死刑執行人などでした。
幕末になって戦いが多く起こるようになると再び需要は回復しましたが、その頃には刀鍛冶の数も相当減っていたものと考えられます。
コメントを残す