「敵に塩を送る」の語源!上杉謙信と武田信玄との間にある美談の真相は?







古くから伝わることわざに「敵に塩を送る」というものがあります。

このことわざの語源は上杉謙信(うえすぎけんしん)が「塩」の入手が困難になって国家経営の危機に立たされた宿敵である武田信玄(たけだしんげん)へ塩を送り武田信玄の窮地を救った美談がもととなっています。

 

宿敵の武田信玄がおのずと滅亡の一途をたどるさまをただ見ているだけでよかったのに、あえて助けの手を差し伸べるなんて上杉謙信は気が狂っているのでは?と思いたくなる一幕ですが、その真相はテレビや映画では決して見せることのない何かが眠っています。

本記事では上杉謙信が武田信玄に行った「敵に塩を送る」の真相を解説します。

 

敵に塩を送るとは
苦境にある敵を助けること、敵の窮地につけこむのではなく窮状から救うことを意味する表現。

 

武田信玄の領地が塩不足になった訳

まず武田信玄の領地が「塩」不足になった経緯を説明します。

 

武田信玄の治める甲斐の国は現在の山梨県のあたりに位置する内陸国だった為、塩を採ることができませんでした。

そのため武田信玄は駿河国の今川義元(いまがわよしもと)と塩を永続的に売買するように同盟を組んでいたのですが、「塩」の入手に関して頼みの綱だった今川義元は桶狭間の戦いで当時無名だった織田信長(おだのぶなが)に討たれてしまいます。

 

このとき、武田信玄は今川義元を救援するどころか甲斐の国の領土拡大のために奔走していたので、今川氏から同盟を破棄されて塩の輸出入を止められてしまいました。

 

塩が輸入できなくなって窮地に追い込まれた武田信玄

武田信玄

今川氏から塩を入手することができなくなり、内陸国だった甲斐の国は窮地に追い込まれます。

まず、塩というのは人間を含む動物にとって欠かすことのできない食品であり、塩分が無ければ、人間も動物も生きていくのは困難です。

 

塩がなくなって困ったのは人間だけではありません。甲斐の国で塩を人間よりも消費していたのはでした。

 

農業用機械が発明される以前のこの時代は牛や馬が農業の生産性に大いに関わっていました。

牛や馬は人間よりも身体が大きく、かつ汗の量も尋常ではないので、水と塩を十分に補給できなければ牛や馬は体調を崩したり、うまく身体が動かせなくなって農業の生産性が下がってしまいます。

 

さらに武田信玄の軍隊の主軸は「武田の赤揃え」と呼ばれる騎馬隊です。

日本一の騎馬軍団の称号を欲しいままにした「武田の赤揃え」と呼ばれる武田軍の騎馬隊ですが、塩が不足したことで機能しなくなってしまいました。

このように甲斐国にとっての「塩」は経済的、軍事的に欠かすことのできない存在だったのです。

 

そして、この塩不足によって人材領民が国外へ流出する恐れもありました。

あなたはお金がいくらあっても生活に欠かせないものが手に入らないとしたら、そのような場所にいつまでも住み続けたいと思いますか?

車で数時間走ればそのような悩みのない国へ行けるとしたらすぐに移住したくなるでしょう。

武田信玄が最も恐れていたのは家臣が他の大名のもとへ出奔したり(人材流出)、領民(流民)が他国へ流出して国家経営が立ち行かなくなることでした。

 

上杉謙信が武田信玄に塩を送る美談

上杉謙信

桶狭間の戦いの後、塩の輸入が止まってしまった甲斐の国は混乱に陥り、武田信玄は絶対絶命のピンチに追い込まれました。

そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのが武田信玄の宿命のライバル上杉謙信でした。

上杉謙信はわざわざ越後から使者を派遣し、数台の荷車に乗せた大量の塩と一通の書状を武田信玄のもとへ送りました。

上杉謙信が武田信玄に宛てた手紙にはこのように書かれていました。

 

【上杉謙信が武田信玄に宛てた手紙(口語訳)―抜粋―】

この度、甲斐国にて塩が不足しているとの話を聞き及びました。貴公におかれましては、誠心痛の至りであることと存じます。

貴公と甲斐国がこんなたやすいことで滅びゆく様をただただ見るのは大変遺憾なことです。私は万全な貴公と正々堂々と戦いたいのです。さぞお困りのようなので、ささやかですが我が国越後の塩を進呈いたします。

貴公がお許しになるのなら、今後もぜひ我が国と塩の売買を行う関係を結んでいただきたいのですが、いかがでしょうか?

それでは戦場にて再び相見えることを期待しています。

 

どうでしょうか?

上杉謙信の書いた手紙には、とても男前な文章が綴られています。

武田信玄はこの手紙を読んで「謙信公こそ最も誇り高き御人だ」と言って涙を流したと言われています。

 

上杉謙信が塩を送った真相は経済政策のためだった

上杉謙信

美談として語り継がれる「敵に塩を送る」のルーツですが、その真相は上杉謙信の経済政策によるものでした。

「正々堂々と戦いたい」というのは建前で、その真相は塩の専売権を得ることにありました。

 

駿河の今川氏から塩の輸入ができなくなった甲斐国の状況を見て、ビジネスチャンスと見た上杉謙信は迷うことなく塩の専売を武田信玄に持ち掛けました。

これが敵対関係のない国との貿易だったとしたら対等な条件での貿易となったのですが、武田信玄の宿敵である上杉謙信だったからこそ恩を着せることに成功し、好条件で貿易関係を結ぶことができました。

 

まとめ

 

上杉謙信が塩不足で困っていた武田信玄に塩を送ってピンチを助けたことはとても有名な美談です。

しかし、その真相はテレビドラマや映画にあるような感動的なものではなく、ビジネスライクな上杉謙信が塩の専売権を獲得したあざやかな経済政策でした。










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