みなさんは“てるてる坊主”をご存知ですか?
てるてる坊主は昨今消えつつある日本の伝統的な風習です。
こちらの記事を読んでいる方の中には、幼少期に翌日雨が降らないように、てるてる坊主に祈りを捧げた経験のある方もいるでしょう。
今回はこの翌日の晴天を願って飾る“てるてる坊主”の由来についてご紹介します。
てるてる坊主の由来には秘められた怖い話があったのです。
てるてる坊主とは?
てるてる坊主をご存知ない方のために今一度簡単な説明をします。
てるてる坊主は雨を降らせたくない(止ませたい)ときに窓辺に吊るして願掛けをする人形です。
人形に対して祈りを捧げることから、民間に古くから伝わる呪詛(呪い)のひとつとして考えられています。
てるてる坊主が懐かしい方も多いのではないでしょうか。
遠足や運動会など、特に雨が降ることが望ましくないイベントの前日には童謡「てるてる坊主」を歌いながらてるてる坊主を作り、「明日雨が降りませんように」とよくお願いをしたものです。
てるてる坊主の作り方
てるてる坊主は簡単に作ることができます。
紙を丸めて球状にしたものに紙をかぶせて球の根本(てるてる坊主の首元)をひもか輪ゴムで縛れば、あっという間にてるてる坊主の出来上がりです。
必要な工具は一切なく、紙が2枚あれば誰でも手軽に作ることができます。
紙を材料とせずとも布やテッシュを代用することもできます。
童謡「てるてる坊主」に秘められた怖い話
「てるてる坊主~てるぼうず~」の歌いだしで有名な童謡「てるてる坊主」は、当時の子供たちに身近だったてるてる坊主を題材とした童謡でした。
みなさんは童謡「てるてる坊主」を最後まで歌いきることができますか?
童謡「てるてる坊主」の原版は「てるてる坊主の歌」といい、1番~4番までの歌詞がありました。
ところが一般的に知られる「てるてる坊主」の歌詞は1番~3番までしかありません。
これはいったいどういうことなのでしょうか?
てるてる坊主の幻の1番
てるてる坊主の作者は作詞が浅原鏡村(あさはらかがみむら)という小説家、作曲が中山晋平(なかやましんぺい)という童謡の「シャボン玉」、「せいくらべ」を世に生み出した日本音楽業界の巨匠です。
浅原鏡村とはペンネームで、本名は浅原六郎(あさはらろくろう)と言いました。
作詞した浅原六郎が書いた原版の歌詞を読んだ中山晋平は、独断で不必要だと思った歌詞をカットし、童謡としてリリースしました。
それでは、以下に幻の1番を加えた童謡「てるてる坊主」の歌詞を記述します。
【原版1番、童謡からはカット】
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もし曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こ
【原版2番、童謡1番】
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつか夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
【原版3番、童謡2番】
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
【原版4番、童謡3番】
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ
原版では4番、童謡では3番の歌詞の最後に注目してください。
「そなたの首をチョンと切るぞ」
なんて怖い歌詞なのでしょうか?
「首をチョン切る」なんて物騒な歌詞を子供が歌うために作られた童謡の歌詞にするとは…。
しかももっと注目してほしいのはカットされてしまった幻の1番です。
童謡3番と同様に「晴れなかった」ときの対応(結果の後の行動)について歌詞にしています。
幻の1番の方が、道徳的な対応(残酷でない)を歌詞としているのに、なぜかそれがカットされて「首をチョン切る」という怖い対応をしているほうの歌詞を採用しています。
中山晋平が1番を削除した動機としては「晴れなかった」ときの対応が重複していること。
そして、残酷な表現の方を残したのは「虫の身体をちぎったり、動物をイタズラでいじめるなど」というような子供が本能として持っている残虐な一面を表現すること。
「晴れたとき」は顔を書き、酒を備えて感謝の意を捧げる。
「晴れなかったとき」はてるてるぼうずの首を切る。
という“てるてる坊主”本来のおまじない方法を残そうという意思があったことなどが理由として挙げられています。
中国に伝わる”てるてる坊主”の由来の話が怖い
てるてる坊主は平安時代に中国から伝わったおまじないだそうです。
中国でのてるてる坊主の起源となった伝説には「晴娘」という名の女の子の悲しい物語があります。
中国では遠い昔、雨が降り続いて深刻な問題となったことがありました。
そのとき雷鳴が轟き、天から「晴娘を人身御供として差し出せば空を晴れさせてやるが、もし差し出さないのであれば都を水没させてくれる」という声がしました。
晴娘は人々を雨から救うために自ら生贄となることを望み天へ昇りました。
晴娘が天に召されると、まるで空が箒で掃き清められたようにすっかり晴れました。
「これはきっと晴娘が天に昇って雨雲を箒で掃いてくれたんだ」ということで、切り紙(紙を切っていろいろな形を作る遊び)が好きだった晴娘にちなんで、箒を持った女の子の紙人形を作り、それを吊るして翌日の晴天をお願いするようになったのだそうです。
日本に伝わる”てるてる坊主”の由来の話もまた怖い
実はてるてる坊主の起源と伝わる逸話は先に示した晴娘のものと、僧侶がもとになっているものがあります。
日本に伝わるてるてる坊主の起源はその僧侶にちなんだ逸話となっています。
てるてる坊主を漢字で表記すると「照照坊主」となり、僧侶のことを表していることがわかるかと思います。
てるてる坊主の起源となった日本に伝わる逸話としては、晴天祈願成功率100%を誇った僧侶がもとになっています。
かつて日本では僧侶の仕事のひとつとして雨乞いや晴天祈願など天候を望むとおりにコントロールするための儀式の執行がありました。
その昔、雨が降り続いて困っているとひとりの僧侶がやってきて、「私が読経を天に捧げ、雨を止ませましょう」と提案しました。
なんでもその僧侶がお経を読めば雨が止むことで有名なのだそうです。
当時その領地を治めていたお殿様はその僧侶に雨を止ませることを依頼したのですが、その僧侶はなんと雨を止ませることに失敗してしまいます。
怒り心頭に達したお殿様は「この嘘つきが。打ち首じゃ。」と言い、罰としてその僧侶は首をはねられてしまいました。
お殿様はさらに残虐で僧侶の生首を白い布で包ませると、それを屋敷の縁側に吊るしました。
すると、翌日雨が止んだのです。
これが日本に伝わる”てるてる坊主”の起源であり、「晴れなかった」時に”てるてる坊主”の首を切ってしまうという本来のおまじないの起源であり、歌詞の理由にもなっています。
まとめ
”てるてる坊主”の童謡には「晴れなかったとき」に首を切るという怖い歌詞が本来の”てるてる坊主”のおまじない方法を残すために掲載されていたようです。
また、てるてる坊主の由来となる話は中国で伝わる晴娘という女の子が生贄になったものと、日本に伝わる雨をやませるのに失敗した僧侶を斬首に処したというものがあり、どちらも命に関わる怖い話だったのです。
今後てるてる坊主を作るのがなんとなく怖くなるお話でしたね。
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