太平洋戦争に巻き込まれた上野動物園の動物はどうなった?







太平洋戦争は日本史上最大の戦争でたくさんの兵士や国民が犠牲となりました。

しかし、犠牲となったのは人間だけではありません。

飼い犬たちは繋がれたまま逃げることもできずに戦火を浴びました。

それと同様に檻の中に入れられていた上野動物園の動物たちは太平洋戦争の戦時下でどうなったのでしょうか?

 

日本史上初の動物園は上野動物園

幕末の江戸では犬や猿、馬などの動物に芸を仕込んでそれを民衆に見せて楽しませるという商売があったことは日本に滞在したヨーロッパ人の記録などにも散見されています。

日本で初めて設置された動物園は、明治15年から開園されている上野動物園です。

 

現在上野動物園は民間が経営しており、昨今ではパンダの赤ちゃんシャンシャンが誕生したことで話題となりました。

開園当初は国立博物館に付属する施設として農商務省が管理していました。

開園から4年後に宮内省へ移管されて当時上野動物園の面積は1ヘクタール、飼育されていた動物は400点ほどでした。

 

その後、海外からの寄贈や購入によって動物の種類は増えていきましたが、まだ「見世物小屋」のような状態が続いていました。

当時の動物たちは檻に収容されたまま、十分な運動も採光を考慮された飼育がなされていませんでした。

そのため、上野動物園の動物の大半は短命に終わっていました。

 

大正13年に皇太子(昭和天皇)の結婚を記念して、上野動物園は併設する上野公園とともに東京市が管理することになりました。

この時点でも、上野動物園の面積は4ヘクタール、飼育される動物は511点という程度でしたので、現在の上野動物園の総面積14ヘクタール、飼育動物870種以上、総数1万点以上という規模と比較すると、小さな動物園だったことがわかります。

大正後期から昭和初期になると動物学や博物館学もかなり進歩して、大掛かりな動物舎の大改造やサル山、アシカ池なども作られてそれ以降上野動物園は近代的な文化施設へと成長しました。

 

太平洋戦争の影響で薬殺されていった上野動物園の動物たち

上記に書いたような経緯で着実に文化的な施設として生まれ変わった上野動物園でしたが、時は太平洋戦争への道を突っ走っていました。

やがて太平洋戦争によってこのような文化事業は大打撃を受けることとなります。

 

上野動物園で飼育された動物たちは相当な食料を消費します。

食料事情が切迫していてもなお、動物たちを養うことができるのかどうか。

それ以前に、もし空襲によって猛獣が収容されている檻が破壊されるなどの不測の事態が起こり、猛獣たちが逃げだしたらどうなるのか、といったことが重大な問題となりました。

上野動物園はそういった混乱の渦中に飲み込まれていました。

 

すでに太平洋戦争開戦の直前の昭和16年には非常事態発生の際、猛獣の処置について研究と訓練をするように軍部からの要請がありました。

以来、上野動物園側も逃亡した動物の捕獲訓練、毒殺訓練などを行っていたと言われています。

 

そしてまもなく日本は太平洋戦争へと突入。

ついに上野動物園の動物たちの命を脅かす時がやってきました。

昭和18年、東京都長官の命令によって猛獣たちが殺処分されることになったのです。

それは、予想される危険を未然に防ぐ目的がありました。

逃亡した動物ではなく、檻に入れられた動物を殺せとの命令でした。





上野動物園では猛獣たちを薬によって殺害する薬殺処分が行われました。

熊が殺処分の第一号となったのをはじめとして、それ以後連日ホッキョクグマ、ライオン、ヒョウ、毒蛇などの猛獣たちが一日数頭ずつ殺処分されていきました。

薬殺に使用した薬には硝酸ストリキリーネが使われましたが、毒薬入りの食べ物を受け付けない動物たちはやむなく銃殺、刺殺されました。

 

「ジョン」、「ワンリー」、「トンキー」と名付けられた三頭の象は餓死させられました。

なかでも「トンキー」は性格がおとなしく、飼育員にもよくなついており、他の動物園へ疎開されることも検討されていました。

ところが輸送手段や受け入れ先の動物園の経済的状況がよくなかったり、諸事情があって疎開はさせることができませんでした。

 

猛獣たちの死は殉職扱いとなり、一カ月かけて殺処分されてきた猛獣たちの死を悼んで慰霊法要が行われました。

動物がいなくなった檻には、白黒の幕が張られ、檻の中には生前の姿をしのばせる絵看板が飾られました。

この時点では先に記述した三頭の象は飢えに耐えながらなんとか生きていたそうです。

 

結局、上野動物園は27頭もの猛獣を殺処分しました。

また、戦時中猛獣たちの殺処分が行われたのは上野動物園だけではありません。

その後、東京の頭公園内の動物園でも、ホッキョクグマやツキノワグマが殺処分され、関西の宝塚動物園、大坂天王寺動物園、京都市動物園、仙台動物園、福岡市動物園、名古屋の東山動物園などでも猛獣たちが殺処分されました。

 

まとめ

 

太平洋戦争の戦時下では食料事情や檻が破壊されるなどの不測の事態に備えて上野動物園の動物たちは薬や銃などによって殺処分されました。

このような動きは上野動物園に留まらず、他の動物園でも行われていました。

いずれの動物園でも手塩にかけて飼育してきた動物たちを殺処分しなければならなかった当時の飼育員や関係者たちはさぞ辛かったことでしょう。

太平洋戦争ではたくさんの人々が犠牲となりましたが、動物たちも犠牲になっていたことを知っておいていただきたいと思います。










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