東京大学に合格するための長文英文読解勉強法







はじめに

 

大学入試の英語は、単に受験生の英語力を尋ねる試験ではありません。

各大学にはそれぞれがイメージする学生像があって、入試問題はそれに合致するものを新入生として選別するための手段なのです。

出題傾向は各大学によって異なります。

例えば、東京大学と学力が並び称される京都大学の英語入試問題を見比べると、まったくといっていいほど形式が違っています。

したがって、受験生が最初に取り掛かるべき入試対策は、東京大学のイメージする学生像を把握することです。

そして過去問を解く前に、そのイメージが具象化された入試傾向を理解することが先決事項なのです。

 

 

東京大学の長文読解問題の特徴

 

東京大学が学生に求める能力とは高度の事務処理能力です。

英語が素早く読めるだけでは不十分です。

素早く文の趣旨を把握する能力が問われているということです。

 

文は性質に着目したとき、二つに大別されます。

一つは単なる事実の伝達です。

二つ目は、一般法則や思想と呼ばれる知の体系です。

後者には、主張と根拠という因果関係が必ず存在します。

歴史で例えると、何年にこうゆうことが起きたという表現は、単なる事実に過ぎませんから前者になります。

しかし、その事実は別の事実が誘因となって起きたという文になると、個々の事実という点を因果関係という線で結んでいますから、単なる歴史的事実から歴史観に変化します。

 

さらに、因果関係を含む文章には二つの表現方法があります。

一つは演繹法という表現方法で、主張・根拠を先に示してから、具体例を次に書くというものです。

二つ目は帰納法です。

まず具体的な状況や事実を書き、次に共通項を抽出し結晶化するという表現方法です。

以下に両者の例を示します。

 

If history is regarded as just the record of the past, it is hard to see any grounds for claiming that it should play any large role in the curriculum of elementary education. The past is the past, and the dead may be safely left to bury their dead. There are too many urgent demands in the present, too many calls over the threshold of the future, to permit the child to become deeply absorbed in what is forever gone by.

(「英吾要旨大意問題演習」P30 東京大学より)

 

この文は、演繹法の典型例です。

最初の文で「歴史は単なる過去の記録に過ぎない(根拠)、したがって歴史を学校で教える意味合いは薄い(主張)」という内容を示しています。

次の文には、「過去は、過去に過ぎない。死者を葬るには死者にやらせておけばいい。」とあります。

これは比喩です。

一見すると難しいですが、比喩は何らかの主張等に対する陰画像であるという点を抑えられていれば、最初に示された因果関係の具象化ということで「過去は過去」という箇所は根拠の、「死者は・・・」のくだりは主張の言い換えであることがわかります。

 

 

では、二つ目の例文に移ります。

 

Gather a throng of people and pour them into a ferryboat. By the time the boat has swung into the river you will find that a certain proportion have taken the trouble to climb upstairs in order to be out on deck and see what is to be seen as they cross over. The rest have settled indoors to think what they do upon reaching the other side, or perhaps lose themselves in apathy or tobacco smoke. But leaving out those apathetic, or addicted to single enjoyment, we may divide all the alert passengers on the boat into two classes: those who are interested in crossing the river, and those who are merely interested in getting across. And we may divide all the people on the earth, or all the mood of people, in the same way.

(「英吾要旨大意問題演習」P82 岡山大学より)

 

この文は帰納法の典型例です。

演繹法と帰納法の違いは対象範囲の変化です。

帰納法は個別的な話から始まり、一般法則(筆者の主張)へと移っていきます。

概して、一般法則は個別的な表現と比べると、該当する領域が広がります。

 

冒頭文では、“people・・into ferryboat”とありますから、「フェリーボートの人々」が対象です。

次の文は、”proportion ・・be out on deck”とありますから、まだ対象の変化は見られません。

読み進めていくと、最後の文では,”we may divide ・・on the earth”とありますから、対象が「フェリーの乗客」から「地球上の人間」へ拡大しています。

したがって、ここでの主張は、「地上の人間は(フェリーボートの乗客のように)二つに大別できる」ということがわかります。

勿論、常にこのような構成になっているとは限りません。

フェリーボートの話で終わる場合もありえるわけです。

その場合はフェリーボートの乗客が、主張すべきテーマになっていると判断すれば済むということです。

 

長文の分析方法の最短習得方法

 

演繹と帰納の区別を意識しながら文を読むのは、独学ではかなり大変なことでしょう。

時に、独学の悲しさか、間違った方向に行く場合もあります。

簡単な例を挙げましょう。国立大学入試問題の英語、英語が難しい場合は、その訳を読んでみてください。

その文の構成が、演繹、帰納のいずれであるか、そして自分が判断した根拠をきちっと表現できますか。

 

それができるということなら、かなり読解力があります。

しかし、一般の生徒は大概できません。

しかも、なぜ間違いだと指摘されるのかもわからないことが多いです。

丁度それは現代文での解答と同じようなものかもしれません。

言葉をただ読むというのではなく、言葉と言葉の関係、文と文の関係を意識しながら読むということです。

文章を把握するということは、そういった作業をするということです。

しかし、その技術を身に付けていない人からするとわけのわからぬことを言われているように感じるかもしれません。

 

根気のいる修正作業になります。

正しく導いてくれる人がいないとますますその誤解は面倒なものになる可能性があります。

すなわち、大学受験だけでなく、その後の社会人生活でも支障が起きる危険性があるということです。

 

しっかりと自分の処理手順を見てくれて、必要に応じて修正してもらうことで、正しい読解方法が身に付きます。

つまりは、それができるのは家庭教師だけです。

 

おわりに

 

東京大学は、新入生に高度の事務処理能力を有していることを求めています。

英語長文問題では、文中に潜む因果関係の把握力の是非という形で問われます。

英文の構造は演繹的と帰納的な流れの二つに大別されますから、家庭教師とともに、こうした文構造の特性を有効利用する技術を高める勉強を実践することが、東京大学のアカデミックな文章に取り組む上で、近道となります。










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