家臣に分類がある?戦国大名に仕えた家臣の分類と役割とは?







会社員の方であれば、主任、チーフ、GL、課長や部長などの役職名に馴染みがあるかと思いますが、大名に仕える武士たちにも出自や階級、主君との関係性によって与えられる役職や分類がありました。

本記事では戦国大名に仕えた家臣の分類について詳しく説明します。

 

一門衆(いちもんしゅう)

池田恒興(いけだつねおき)

戦国大名との血縁が強い家臣たちによって構成される組織で、大名の子供や兄弟など身内にあたる人々が一門衆に属しました。

戦国大名との血縁関係が何親等以内でなければならないといった具体的な規定はありません。

 

一門衆はもともと戦国時代の本願寺宗主の直系庶子のことを指していました。

織田信長の場合は連枝衆(れんししゅう)と呼ばれる組織が一門衆にあたり、弟の織田信包(のぶかね)や次男の北畠信雄(のぶかつ)らが属しました。

また、連枝衆には織田信長と血縁関係のない池田恒興も入っていたのですが、その理由は池田恒興の母が織田信長の乳母を務めた女性で、池田恒興が乳兄弟にあたったからです。

織田信長はかつて養育してくれた池田恒興の母に恩返しをするために池田恒興を連枝衆に大抜擢し、さらに強い絆を結びました。

 

譜代(ふだい)

 

戦国大名の遠縁の親戚にあたる家臣や、先祖代々仕えてきた家臣が譜代に属しました。

譜代の家臣は信頼され、重要な役職を任されました。

譜代の家臣は主家に忠義を尽くして運命をともにするという使命がありました。

 

伊達家中を例としてあげるならば、伊達政宗に仕えた片倉小十郎が譜代に属する武将です。

主君の伊達政宗の養育係を任され、成長後は伊達政宗の右腕としてその手腕を発揮し、生涯伊達家に尽しました。

 

外様(とざま)

藤堂高虎(とうどうたかとら)

譜代の対義語にあたる家臣で、主君との血縁関係がなく、古くから主従関係になかったニューフェイスな家臣たちがこれに属しました。

藤堂高虎は「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と大胆な発言をしていますが、外様であることが主を7回も変える行動をとれた要因にもなっています。

 

直臣・陪臣・奉公衆(じきしん・ばいしん・ほうこうしゅう)

 

主君に直接仕えて主従関係を結んでいる家臣を直臣と言いました。

陪臣とは直臣が抱えた家臣にあたり、又者、又家来とも呼ばれました。

主君とは直接の主従関係をもっていない奉公衆はさらにその下に仕える最下級の家臣になります。

ただし、室町幕府においては、将軍の側に仕えて近習・申次などの諸役を務めた御目見以上の御家人を奉公衆と言っており、戦国時代とは扱いが全然異なります。

 

家老(かろう)

 

戦国大名の家臣団のうちトップの地位にあった役職です。

その中でも最有力者のことを筆頭家老と言いました。

重臣のなかでも家格が高い主家の譜代家臣が任されるのが一般的でした。

 

鎌倉時代から存在する武家に見られる役職ですが、大名家によってその呼称は異なりました。

具体的な例としては、年寄、大人、宿老、執事・両識などと呼ばれ、大友氏に仕えた立花道雪や今川氏に仕えた朝比奈泰能・泰朝親子が家老職にあった武将として名を残しています。

家老となった家臣は平時には領国経営の内政面で実務を執り、戦時には部隊の長として指揮を執りました。

 

大名家によって異なる家老の呼称

漫画やアニメなどでよく「爺」と呼ばれている家臣が家老にあたります。

織田家や伊達家は家老のことを宿老と言いました。

この宿老には豊臣秀吉、丹羽長秀、池田恒興、柴田勝家などがこれに該当します。

 

大友氏には「加判衆(かばんしゅう)」なる武家の家老職があり、それが年寄へと変化しました。

この役職についたのは、大友氏に仕えた立花道雪です。

また年寄という役職は江戸幕府において、将軍の代わりに内政や財政などの舵をとる大年寄や年寄という役職へ変化しました。

 

寄親と寄子(よりおや・よりこ)

 

家臣団が大きくなると、主君1人ですべての家臣を掌握することができなくなるため、優秀な家臣を寄親に命じました。

そして新しい家臣を寄親の部下として預けました。

預けられた家臣は寄子となり、寄親の支配下に入りました。

大名は主従関係を強化するために、寄親の権利を保障して、寄子は寄親を変更ができないなどの強制力を持たせました。

寄親、寄子性をとった戦国大名としては、北条氏、今川氏、武田氏六角氏、毛利氏などが知られています。

 

主君の呼び方

 

各国によって、己の主たる当主の大名の呼称が異なりました。

御屋形様(おやかたさま)、殿、上様などがその典型的な例です。

御屋形様は室町幕府に貢献のあった武士に「屋形号」を贈られたことから御屋形様と呼ばれるようになりました。

戦国時代になり通常大名は殿と呼ばれるようになります。

上様はもともと天皇のことを意味していましたが、戦国時代には天下を掌握した主君の呼称として使われました。

 

まとめ

 

大名に仕えた家臣の分類について説明しました。

本記事で紹介した家臣の分類は大きく分けて6種類あります。意外と多いと感じませんか?

 

重臣たちは主君との血縁関係の近さによって呼びかたが異なっていました。

さらにその分類に応じて議論をする場や食事の席順が決まったり俸禄に違いがありました。

江戸時代や安土桃山時代の大名たちに外様大名、譜代大名、旗本という言葉を耳にしたことがあるかと思いますが、戦国時代の重臣たちの呼び方がこれらにつながっています。












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