武士はどうしてちょんまげ? 武士がちょんまげを結っていた理由とは?







武士やお侍さんと言えば、誰しもが『ちょんまげ』という独特な髪型をしている男性を想像してしまいます。

なぜ武士や侍はちょんまげを結っていたのでしょうか?

ちょんまげをしていない武士や侍はいなかったのでしょうか?

武士がちょんまげを常時結っていた理由について解説いたします。

 

幕末で鎖国が解かれたとき多くの外国人が驚いたちょんまげ

幕末には日本で長きにわたって行われた鎖国(さこく)が解かれ、多くの外国人が貿易や文化交流の目的で日本を訪れました。

今まで鎖国によって入国することが叶わなかった日本。

外国人たちは胸を躍らせて日本の大地を踏みしめた、その時です!

 

彼らの目にはちょんまげを結った武士が映り、腰を抜かして驚きました。

「日本人こわっ!頭にピストルを装備していやがるぞ!!」

頭頂部分をきれいに剃り上げた月代(さかやき)にして、その上に黒い髪を棒状に結ったものが乗っているわけですから、外国人が頭の上にピストルを乗っけていると勘違いするのも無理はありません。

現代日本にいる我々ですらちょんまげという髪型は珍妙だと思わざるを得ません。

 

武士や侍がちょんまげの理由 兜を被る時に頭が蒸れて痒くならない為に頭頂部を剃った

応仁の乱が起きると、幕府や守護大名の力は弱まり幕府守護体制や荘園公領制がことごとく崩壊しました。

そして日本国内は下克上の風潮が跋扈する戦乱の世に突入していきます。

それまで乱や戦には武士しか参加していなかったのに、戦国時代には農民や商人からも戦闘員が現れはじめました。

みんなが刀や槍などの武器を所持し、鎧兜を揃えるようになるのです。

 

当たり前のことですが、戦闘時には頭部を保護するために兜をかぶります。

平安時代から応仁の乱にかけての兜の形状は、傘のように末広がりの形をしていたので通気性は悪くありませんでした。

ところが戦国時代になると鉄砲の出現や集団戦闘によって槍を刺すためだけでなく、叩いたり殴ったりするために使うようになります。

そして兜はその戦闘スタイルの変化に合わせて形状を変える必要がありました。

 

そうして改良された戦国時代の兜は頭部全体をスッポリと覆えるようになったのですが、長い髪を束ねてそれを被ると頭が蒸れて頭が痒くなります。

 

故に、兜をかぶったときに頭が蒸れて痒くならないよう、頭頂部は髪の毛がない方が好ましかったのです。

 

ちょんまげの剃っている部分は月代(サカヤキ)

 

さて、みなさんちょんまげを想像してみてください。

ちょんまげは頭頂部を剃髪していてそれ以外の髪をすべて1本に束ねてそれを植物性の油を整髪料として使って固めています。

頭頂部の剃髪している部分は月代と書いてサカヤキと言います。

 

伊勢貞丈(いせさだたけ)という武士はサカヤキの名前の由来をこう述べています。

「サカヤキはサカイキが訛ったものである。戦場で兜をかぶると気が逆さに上る。この意気を抜くために頭頂部を禿(は)げにしたのである」

 

当時の戦闘員たちは自然とひとつになると念じ、神様仏様を厚く信仰することによって天地のエネルギーや己の身体に流れる「気」を感じることができたのだそうです。

その「気」をいざというときに引き出して、本来持っている身体能力以上のパワーを発揮していました。

イライラしているときはその状態を「頭に血が昇る」と言いますよね?

この状態を昔の武士たちは「心火逆上(しんかぎゃくじょう)」と呼び、そうなってはいけないと強く戒められていました。

たしかに戦場でみんなが頭に血が昇った状態にいれば、軍隊はうまく機能せず冷静な判断はできないでしょう。

伊勢貞丈(いせさだたけ)は、こういった意気を抜くために頭頂部をハゲにしたということをいっています。

 

ちょんまげのサカヤキはどうやって整えていたの?

 

頭頂部にあるサカヤキの部分、どのように整えていたのかご存知ですか?

よく若い武士なんかはサカヤキ部分が青くなっているので、カミソリなどの刃物で髪の毛を剃っていたと思いがちですが、実際は木や竹で作った毛抜きによって一本一本抜いていたのだそうです。

 

しかもその様子を江戸時代初期の風土を記した「慶長見聞集(けいちょうけんぶんしゅう)」に書かれています。

その書物によれば「黒々とした血が流れてもの凄まじ」とあります。

当時の武士たちは毎日髪の毛を引き抜く激痛に耐え、血まみれになりながらも頭頂部のサカヤキを整えていたのです。

 

ちょんまげは「いつでも君主のために戦う」を意味する意思表示だった

 

以上の章で記した苦行の末に完成されるちょんまげだったので、兜をかぶること=合戦に参加することを前提にした髪型でした。

それは武士たちの「いつでも君主のために戦う」という意思表示にもなりました。

さらにその風潮はますます過激になり「サカヤキを整えないということは君主をないがしろにし、果てには自分は武士ではないと言っているものだ」というものに変化しました。

それこそが、戦のない平和な江戸時代に突入しても武士がちょんまげをやめるにやめられなかった理由になります。

 

まとめ

 

武士や戦に参加する町人、農民がちょんまげを結っていた理由は以下の4つです。

  • 頭が兜で蒸れて痒くならないようにするため
  • 頭に上った意気を抜くため(伊勢貞丈の説)
  • ちょんまげが「いつでも君主のために戦う」という意思表示だった
  • ちょんまげじゃないと君主をないがしろにし、自分は武士ではないと言っているものだった

 

ちょんまげを結う理由は《兜で頭が蒸れないように》という利便性からはじまったようですが、後の時代になると武士や侍の誇りやプライドに関するものへと変化していったのです。










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