幕末最大の事件!江戸城無血開城とはどんな事件?わかりやすく解説!







西郷隆盛(さいごうたかもり)率いる『新政府軍』と、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)を総大将とする『旧幕府軍』戊辰戦争(ぼしんせんそう)にて火花を散らしていた時、江戸幕府の本拠地である江戸城が無抵抗で明け渡された江戸城無血開城という出来事が起こります。

江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう)とは呼んで字のごとく、江戸城が血を流すことなく(戦うことなく)新政府軍に開城された(明け渡された)事です。

では、この江戸城無血開城はどのような経緯で起きた出来事だったのでしょうか?

本記事では江戸城無血開城についてわかりやすく解説していきます。

 

徳川慶喜はもともと戦争に賛成していなかった

徳川慶喜

江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜(とくがわよしのぶ)新政府軍旧幕府軍が争う戊辰戦争に賛成していませんでした。

 

江戸城無血開城が行われる以前にはすでに大政奉還(たいせいほうかん:江戸幕府が政権を天皇に返上したこと)がなされており、徳川慶喜は政権を天皇へと手放していました。

しかし、徳川慶喜も頭のキレる将軍であり、大政奉還に応じたものの当時の天皇にはなんの権力もなく、国を統治してきたノウハウは江戸幕府の方が断然あったので、

「300年も政権を手中に収められなかった天皇に政治なんてできるはずはない。いずれ、幕府を頼ることになる=大政奉還しても実権は幕府が握ったままになる」と思っていたのです。

 

ところが、天皇には強い味方がついていました。

もとは下級武士の出身でありながら人々を先導し、明治維新の革命を実行した伊藤博文(いとうひろぶみ)木戸孝允(きどたかよし)西郷隆盛(さいごうたかもり)板垣退助(いたがきたいすけ)など、倒幕を企てて天皇に政権を奪還させようとする過激派な維新志士たちです。

西郷隆盛

 

当初、新政府側でも交渉を中心とした平和的な解決策をとる方針でした。

徳川慶喜も無駄な血は流したくないと勝海舟(かつかいしゅう)らを幕府代表の交渉人として幕府側が新政府側に恭順する態度をとりますが、新政府軍は当初の平和的方針を曲げて挙兵するに踏切ります。

 

しかし、それでも徳川慶喜は交渉による解決を望みましたが、幕府を守ろうとする尊幕派の藩主や新選組などの志士たちも黙ってはいません。

徳川慶喜の反対を押し切って新政府軍と徹底抗戦する構えを見せました。

そして再三にわたる徳川慶喜の停戦命令を無視して新政府軍と旧幕府軍は鳥羽・伏見戦争で衝突します。

もはや徳川慶喜は血気盛んな尊幕派の家臣を押さえつけることができなくなり、行く末を見ることしかできなくなりました。

 

江戸城無血開城への第一歩 篤姫の嘆願

天璋院篤姫

数年前、宮崎あおいさん主演のNHK大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」が放送されました。

篤姫は江戸幕府第13代将軍徳川家定の正室です。

篤姫は京都で起きた鳥羽・伏見戦争にて新政府軍の参謀を務めた西郷隆盛に書状を送っています。

 

篤姫と西郷隆盛は無関係ではなく、西郷隆盛にとって篤姫は主君の娘にあたります。

西郷隆盛は篤姫が嫁入りする際の仲人を務め、嫁入り道具や嫁入り行列など篤姫の結婚に関する一切をすべて取り仕切った過去がありました。

そんな関係の深い篤姫からの手紙を読んで西郷隆盛は涙し、新政府軍の歩調を弱め進軍を遅めました。

また、徳川慶喜が新政府側に恭順する姿勢を見せたのも篤姫による説得があったからだと言われています。

 

「新政府」西郷隆盛と「旧幕府」山岡鉄太郎による交渉

山岡鉄太郎

新政府軍が京都で蜂起してから約2カ月後、現在の静岡県にて新政府、西郷隆盛と旧幕府、山岡鉄太郎(やまおかてつたろう)の面会、交渉が行われました。

山岡鉄太郎は勝海舟の代理人として渡された書状を手に交渉の場へと現れました。

このとき、6日後には新政府軍が江戸城へ進撃することが決まっていました。

 

開戦を回避するように提案する山岡鉄太郎に対し西郷隆盛が提示した条件は

  • 江戸城の開放
  • 江戸城内にいる家臣はすべて向島へ謹慎処分にすること
  • 幕府所有の軍艦、武器をすべて新政府に譲渡すること
  • 暴動が起きた場合の官軍の鎮圧
  • 徳川慶喜の暴挙に関与した者の処罰
  • 徳川慶喜の身柄を備前藩へ預けること

 

上記の条件はすべて幕府側にとって当然ながら不利なものです。(負けを認めるようなものです)

 

山岡鉄太郎は最後の条件である「徳川慶喜の身柄を預けること」以外はすべて受け入れるとしました。

しかし「徳川慶喜の身柄を預けることだけは断固拒否する」と回答し、西郷隆盛に対して「あなたは己が主君を差し出すことになったら、あなたは首を縦に振るのか?」と質問すると、西郷隆盛は山岡鉄太郎の忠義心に心を動かされ、徳川慶喜の身を保障することを約束したとされています。

 

江戸城無血開城直前に行われた2回の交渉

勝海舟

新政府軍が江戸城へ進撃する予定である2日前、西郷隆盛勝海舟と会談を行いました。

このときの交渉では特に深い内容は互いの口から出ることはなく、少しの質疑応答と次回の会談の日程と場所の約束のみで終了しました。

 

江戸城進撃前日、再び西郷隆盛と勝海舟は会談し、西郷隆盛が山岡鉄太郎へ突きつけた条件への正式な回答を求められました。

そのとき、勝海舟が提示した降伏条件は以下のとおりです。

  • 江戸城明け渡しの手続きが完了したら、徳川家に返還すること
  • 江戸城内の者は場外にて謹慎とする
  • 武器や軍艦はまとめておき、後で収める
  • 暴動鎮圧は可能な限り努める
  • 徳川慶喜を助けた者の処罰は命に関わること以外のものにする
  • 徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎させる

 

勝海舟が提示した降伏条件は西郷隆盛が提示した条件を拒否しているようなものでしたが、西郷隆盛は勝海舟を信頼し、この回答を京都へ持ち帰り検討することにしました。

 

ついに江戸城無血開城が実行される

孝明天皇

勝海舟からの書状を持ち帰った西郷隆盛は江戸城への新政府軍すべてに江戸城総攻撃中止命令を下しました。

対する旧幕府軍は無抵抗で江戸城の門を開き、総大将の徳川慶喜が妻子、家臣団を引き連れて江戸城を後にし、大阪城へ向かいました。

 

江戸城には新政府軍が錦の御旗を翻し、孝明天皇(こうめいてんのう)を朱塗りの輿に乗せて江戸城へ入城しました。

この江戸城無血開城により事実上、江戸幕府が朝廷に屈服したことが公にされました。

 

江戸城無血開城がどれだけすごいことなのか?

まずは血を流すことなく(戦うことなく)政治の主導権が江戸幕府から朝廷に戻ったことです。

そして江戸に住む100万人の人民が戦火に巻き込まれることを防ぎ、町の機能や労働力はそのまま維持しつつ、後の文明開化に移行しやすくなったのです。

この江戸城無血開城は後の日本という国の発展を考えても大変重要なことだったと考えられます。

 

まとめ

 

江戸城無血開城とは、京都で蜂起し錦の御旗をはためかせた新政府軍が旧幕府軍の総大将、第15第将軍の徳川慶喜の居住する江戸城の眼前に迫り、戦戈を交えることなく江戸幕府の本拠地を明け渡させた出来事です。

この平和的解決の裏には篤姫の手紙に始まり、新政府軍の西郷隆盛や旧幕府軍の山岡鉄太郎勝海舟らによる交渉があったのでした。










よろしければシェアお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です