戦国武将や貴族など、昔の日本人が名前を頻繁に変えた理由とは?







戦国武将や著名な貴族、幕府の将軍たちなど昔の人々は子供のときの名前(幼名:ようみょう)と大人になったときの名前(諱:いみな)が異なっていたり、成人してからも名前や名字を頻繁に改名したりしています。

このように昔の人々が名前を頻繁に改名したのはなぜなのでしょうか?

本記事では昔の日本人が頻繁に改名した理由についてご説明します。

 

かつての日本人は名前を改名することが通過儀礼だった

 

現代を生きる我々は、親から授かった名前を余程のことがない限り改名することはありません。

しかし実は日本人が生涯同じ名前を名乗るようになったのは明治時代以降からのことで、それまでは名前を改名することのほうが一般的でした。

具体的にいうと、大人になったら名前を変えるというのが通過儀礼になっていました。

 

昔の日本人が幼いときと大人のときとでは名前が異なる理由

 

昔の日本人の名にはかつて幼名(ようみょう)諱(いみな)がありました。

幼名は父祖(父親か祖父)がつけるもの、は成人したときに自分でつけるか高尚な聖職者によって名付けられる名前です。

 

幼い時と大人になった時とで名前を変更した理由は3つあります。

 

まずひとつ目の理由は、当時の名前に関する概念として、親がつけてくれた名前は真名(まな:自分の本当の名前)で、これを他人に知られてしまうと呪われる、魔物にさらわれると呪詛の観点ではこのように言われていました。

そのため、幼名は信用のおける者以外には知られてはいけないと信じられていました。

 

ふたつ目の理由は、孝の精神から親から授かった幼名はありがたいもので、他人に気安く呼ばせてはいけない、他人の幼名を気安く呼んではいけないと言い伝えられていました。

 

三つ目の理由は、成人すれば公的な名前が必要だったからです。

幼い頃、交流を持つ人々は第一に親兄弟などの家族、次に友人、その次に近所に住む大人といったように身近な人々が大半を占めます。

しかし、大人になると全く異なる土地の出身者やさまざまな年齢層の人々、上司、同僚など不特定多数の人々と交流することになります。

そのため、幼名は私的な名前、諱が公的な名前という位置づけになり、ひとつ目とふたつ目の理由を顧みても誰から呼ばれても差し支えないような公的な名前が必要でした。

幼名から諱へ改名するタイミングは元服時で、元服は現在の成人式にあたる儀式です。

 

諱は偉い人の名前の一部をもらったりした

 

昔の武士や貴族は偉い人(天皇や大名、故人)の名前から1文字とって自分の名前を入れるという習慣がありました。

将軍や大名から名前の一文字をもらう(偏諱を賜う(へんきをたまう))ことは戦で優れた功績を上げたり、当主に就任するなど、余程のことがない限りは行われないことだったので、大変名誉あることでした。

 

偉人の名前を例とするなら、

  • 羽柴秀吉…丹羽長秀の”羽”、柴田勝家の”柴”を組み合わせて姓とした
  • 伊達政宗…伊達家中興の祖先の名前
  • 足利尊氏…もとの諱は高氏、後醍醐天皇の本名尊仁から”尊”の字を与えられた

などがいます。

 

名前で職業がわかるように改名した

 

名前には職業を表わすものがあります。

伊勢守備前守上総介などは官職です。

佐藤工藤などは朝廷の官職にちなんで藤原氏が名乗りはじめました。

また、織田信長の実家の屋号、弾正忠(だんじゅうのちゅう)藤吉郎といった役職を表わすような名前もあり、その官職や役職に就任した者は先に述べた名前を自分の諱の枕に置いて名乗りました。

 

恩賞として名前をもらう

 

僭称と同じ類の褒美として、大名や天皇から功績のあった者が名前をもらうパターンもあります。

大名や天皇から名前をもらうことはめったにあることではないので、これも名誉あることでした。

特に名字をもらうことは、新興の家門として本家と同等レベルとして認められたことを意味します。

 

通常であれば名字は一族が代々受け継ぐものですが、嫡流から外れてしまう(次男以降や側室の生んだ子など)は本家から分家して庶流となります。

庶流となると本家よりも格下の位置づけになります。

そのため、大名たちは次男以降の庶流の者が大手柄を上げた際には土地だけでなく新しい名前を与え、新興の家門として実家と同等な扱いをする措置をとりました。

具体的な例としては源氏から分れた武田氏南部氏などがいます。

 

法名に名前を改名した

 

名前を改名するときのもうひとつのパターンは仏教に帰依し、法名を授かるパターンです。

仏教に帰依するということは俗世を捨て、僧俗に入るということです。

俗世を捨てるためには剃髪をするほか、いままで自分が名乗っていた名前を捨てて、師が考えた名前を名乗らなければなりません。そこで仏教に帰依した僧侶は法名を名乗りました。

戦国大名には仏教に帰依する者が多く、法名を名乗った戦国武将としては武田信玄(たけだしんげん)立花道雪(たちばなどうせつ)筒井順慶(つついじゅんけい)らがいます。

 

まとめ

 

戦国武将や貴族など、昔の日本人が名前を頻繁に改名した理由について説明しました。

それでは本記事で説明した改名の理由を箇条書きにします。

  • 幼名は私的な名前、諱(いみな)は公的な名前という位置づけだったから
  • 幼名を他人に知られると呪われると信じられていたから
  • 幼名を気安く呼ぶ、呼ばれることはいけないことだったから
  • 恩賞として偉い人の名前の一部をもらう、新しい名前をもらうことがあったから
  • 職業がわかるように改名したり、名前を引き継いだから
  • 仏教に帰依すると法名を名乗らなければならなかったから









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