真田幸村の家紋『六文銭』真田幸村が六文銭に込めた意味とは?







戦国時代の武将たちは自分の部隊を他の部隊と識別するためにオリジナルの旗印を使用しました。

真田幸村(さなだゆきむら)と言えばその旗印として六文銭(ろくもんせん)をかたどった文様を使ったことが有名です。

 

真田幸村の軍と言えば、《六文銭!》となるほど有名な六文銭の家紋ですが、これは「死を惜しまず最後まで戦い抜く」、「いつ死んでも悔いはない」という想いや、意味が込められていました。

 

それでは、今記事では真田幸村のトレードマークとも言えるべき『六文銭』の意味について解説していきます。

 

大河ドラマ「真田丸」にも六文銭が多数登場

真田幸村を主人公とした作品として最も有名なのは2016年のNHK大河ドラマとなった「真田丸」ではないでしょうか?

真田丸の作中では真田幸村は真田信繁(さなだのぶしげ)と名乗っていますが、本記事では真田幸村と統一して記述します。

 

さて、真田丸を視聴していたことのある方であればわかると思うのですが、真田幸村は旗印に六文銭陣羽織にも六文銭兜の前立てにも六文銭、長野県にある上田城の城門にも六文銭と、ありとあらゆるものに六文銭の文様をデザインしていました。

 

真田幸村が図案化した六文銭

 

真田幸村が旗印に使った六文銭の文様は2通りのデザインがありました。

ひとつは立て一列に銭形を6つ並べたデザイン。

もうひとつは縦2行、横3列に銭形を並べたデザインです。

 

旗印の中には文字を図案化したものを使っていた武将もいたのですが、真田幸村は「六文銭」という文字を使った図案は使用せず、円の中にちいさな正方形を描く銭形を6つ描いた六文銭の図案を採用しました。

 

真田幸村の六文銭に対するこだわり

戦国無双4 真田幸村 布ポスター

先ほども書いたとおり、真田幸村は陣羽織、旗印、城門の表札、兜にも六文銭の図案や浮彫りを施しました。

真田幸村の六文銭に対するこだわりはそれだけにとどまらず、赤い紐で六文銭を繋いだものを肌身離さず持ち歩き、合戦時にはそれを腰にぶら下げて戦闘を繰り広げました。

 

さらに真田幸村の軍の兵士や家臣たちもそれにならって赤い紐で繋いだ六文銭を常に携帯し、「真田武士ならば六文銭を常に携えるべし」という暗黙の了解までできていました。

以上のことから真田幸村は六文銭に対して相当なこだわりを見せていたことがわかります。

 

真田幸村のトレードマーク六文銭は冥銭だった

 

 

みなさんは冥銭(めいせん)というものをご存知でしょうか?

まだ身近な方が亡くなっておらず、葬儀に一度も参加した経験がない方には想像するのが難しいものだと思います。

 

冥銭とは、亡くなってしまった故人が死後の世界でお金がなくて困らないように納棺(ひつぎに遺体をおさめること)時や埋葬(遺体を埋めて葬ること)時に遺族が故人の遺体と一緒に入れるお金のことです。

宗派によってはお墓へ納骨するまでの道中に紙吹雪とお神酒に浸したお米などと一緒に小銭をまいたり、紙を銭形にくり抜いたものを燃やすことで冥銭を天国へ旅立つ故人に贈るような行為をするところもあり、宗派によって冥銭のルールはまちまちです。

 

ちなみに中国や台湾に在中の道教の信者は冥銭の金額が故人の偉大さを示す指標となっているようです。

古代の中国や日本の王様が亡くなると、その墳墓には遺体とともに金銀財宝が埋められていることから、冥銭の概念は古くから根付いています。

 

六文銭は三途の川の渡賃?

 

さて、六文銭つまり六文という金額がなぜ冥銭なのかについてその理由を解き明かしましょう。

日本人の大半が信仰する仏教の教えでは人はみな亡くなると三途の川を渡ってこの世からあの世へ送られると言われています。

対岸を意味する彼岸とは、この世とあの世を隔てている三途の川のあの世側の川岸を指しています。

その三途の川にはこの世とあの世の橋渡しをする番人の奪衣婆(だつえば)という老婆が立っており、奪衣婆に渡賃(わたしちん)を支払わなければ身ぐるみ(衣服)を剥がされてしまい、舟に乗って三途の川を渡河することができません。

裸のまま三途の川を渡らなければならないのです。

その渡賃の金額が六文と言われており、故人が死後お金を使う機会は三途の川を渡る際の奪衣婆に支払う渡賃だけだと言われています。

 

六文銭はもともと旅人のお守りだった

昔の人々は旅行する際に必ず紐でつないだ六文銭を腰に括り付けるか、脚絆(きゃはん)に括り付けて旅路を無事に往復できるようにお守りとしていました。

旅人がなぜ六文銭を携行していたのかというと、当時旅をするということは危険が伴う行為だったからです。

 

旅ではいつ野盗に襲われるかわからないし、熊などの猛獣に襲われる危険性もありました。

また、ケガや病気にかかって命を落とすような旅人もいれば、旅行先で路銀が尽き飢え死にしてしまうことも珍しくはありませんでした。

ひとり孤独に亡くなってしまったとき、遺族は側にいないので冥銭を持たせてくれる人がいません。

そのため、旅人は六文銭を携行するようになり、いつしか旅路を無事に往復できるようにと家族が願掛けをして渡すお守りとなりました。

 

六文銭は真田武士の覚悟の象徴

 

冥銭として、旅のお守りとして使われていた六文銭に真田幸村は真田武士の覚悟を意味する象徴として採用しました。

冒頭でも出ましたが、真田幸村が六文銭に込めた真田武士の覚悟とはズバリ「死を惜しまず最後まで戦い抜く」、「いつ死んでも悔いはない」です。

 

まとめ

 

六文銭とは三途の川を渡る際に必要な渡賃である冥銭でした。

もともとはいつ死ぬかもしれない旅人などのお守りなどにされていたようですが、真田幸村は六文銭に「死を惜しまず最後まで戦い抜く」、「いつ死んでも悔いはない」というような真田武士の戦に対する覚悟の意味を込めました。

まさに日ノ本最強の武士の異名に恥じない覚悟の象徴である紋章だったといえるでしょう。










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